モモンガ通信2024年(第2期) ヴェノーヴァとかフルートとかオートバイとか・・・のどかさんの日常ヨタ話


2024年第1期 ← モモンガ通信 2024(令和6)年第2期 → 2024年第3期


#26
2024年(令和6年)4月4日(木)
「お花見2024」


こちら東京、3月さいごの土日は気温がドンと上がって本当に暑かったです。気温の上昇につられる感じでソメイヨシノの開花が報じられました。うむ、今年は桜の開花がちょっと遅かったですな。

我らが品川区内には他の都市と同じぐらいのレベルで「桜の名所」とされるスポットがいくつかありますが、五反田マンにとっては花見といえば「目黒川沿いの桜並木」ということになります。しばしばテレビなどでも映る有名ドコロなので名前は聞いたことがある人も多いと思います。まあ、その名の通りメインは「目黒区」(目黒雅叙園あたりから中目黒付近)なのは言うまでもないのですが、下流にある品川区もそのネームバリューのおこぼれを貰う感じで五反田から大崎、そして河口(天王洲付近)まで花見スポットが点在しています。

私がうろつく近所のお花見エリアといえば


・目黒区の碑文谷(ひもんや)八幡宮所まで続く立会川(たちあいがわ)の桜並木
・目黒不動尊の近くにある「かむろ坂」の桜並木
・上述の、目黒川沿い


の三か所がメインであり、どれも名が示す通り「事実上、目黒区の持ち物」という感じでマジで品川区って何も無いよね感が胸にこみあげるのであった。

まずは立会川の桜並木&かむろ坂の桜並木を堪能。こちらはタイミング的にちょうど「咲き始め」ならではの風景がひろがっており、大いに満足したのであります。満開の時期は数日後という感じでありましょう。

ということで日をあらためて目黒川にレッツGo。西五反田の「亀の甲橋」から川沿いをさかのぼって中目黒の「東京共済病院」のあたりまで行き、反対の岸にわたって五反田にもどるのが私のお決まりコースです。



亀の甲橋より

スタート地点、亀の甲橋




あれ?まだあんまり咲いてない感じですな。「立会川」「かむろ坂」がもっと華やかな風景だったので一瞬面食らった感じのザンネン感がよぎります。歩き始めたものの、まだ「膨らんだつぼみ状態」の木が多い。どうやら今回はいささか来るのが早すぎたようです。といってもねえ、4月3日の水曜日&4日の木曜日は天気予報では雨マークだったのだ。しょうがない。

タイミングがよければ文字通り川の両岸が見事に「花咲か爺さん状態」になりますから、今日はちょっとフライングが過ぎたと思ってテキトーに眺める方針に切り替える。



しだれ桜

咲いてる木だけ見ればヨイのだ




今回は荷物を減らそうと思って本気カメラを持ってこなかった。だからスマホのカメラ機能で適当に撮影するのみ。私自身のヤル気の無さが全開であります。「動物園に行く」となったら意地でも望遠レンズを持ってゆくけれど、それ以外の時は「面倒くさい」とか平気で言ってしまう。左肩が痛くてリュックを背負いたくないので、できるだけ軽装備にしたいのよね。水筒と団子とスマホだけ持ってゆけば充分ではないか?

服装も微妙に難しい感じです。上着を着れば暑いし脱げば寒い、みたいな。歩いている時は暑いけど立ち止まって休憩すると寒い。この季節は本当に何を着たらいいか悩みますな。

いつもなら中目黒の駅近くまで歩くのですが、何しろ今年はタイミングが早すぎました。咲いてる木が少ないので花見というよりは「ただの川沿い散歩」状態です。たくさんの人が来ていましたがおそらくみんな同じ気持ちだったに違いない。天気予報で晴れマークが出ている4月6日の土曜日辺りがちょうど見ごろになって良さそうです。そうこうしているうちに股関節も痛くなってきたので早々に撤収体制に入りました。



川岸の桜

これだけ見られれば充分だな




それにつけても股関節が痛くなる「限界」が、自分のイメージより早いタイミングで訪れるのが深刻な事態な気がする。その昔、腰の症状が悪化して左脚が動かせなくなり「杖っ子どうぶつ」になっていた頃に主治医から「20年後には車いすだよ」という結構キツい宣告を受けたのだった。ふざけるな負けてたまるかと思って水中ウォーキングなどのリハビリに必死に励み、サクサク動けるほどではないものの自動二輪免許が取れるぐらいには復活したのである。そう簡単に車いすになってたまるかバーカ!と思っていたけれども、ここ数年で股関節の状態がみるみる悪化して今日に至っております。ほんの5年ぐらい前には「冬は無理してオートバイに乗っても危険だから、新たにウィンタースポーツとしてスノーシューでもはじめようかな」とか思っていたのであります。現状からいうと、とてもじゃないけどスノーシューなんて出来ない。

まさか今の年齢で「ロコモティブシンドローム」(運動器の障害のために移動機能の低下をきたした状態)で日常生活に支障が出てくる事態は想定していませんでしたから、人知れず抱えている危機感はただならぬものがあります。今年のゴールデンウィークは横浜の「ズーラシア」に遠足に行く計画を立てているところですが、ヘタをすると股関節痛の限界で「園内で遭難」という恥をさらず可能性も否定できない。スノーシューをあきらめたのはもちろん、今はもう登山とか不可能だし去年の秋には電動アシスト自転車のペダルもふめなかったのであるから、ちょっと真剣に対策をとらないとマズいのかなと思ったりする。

身体の何処かが痛いときって湿布を貼るじゃないですか。でも股関節って湿布の貼りようがないのですよ。わかります?がんばって太ももの付け根あたりに前から貼ったとしても、寝てる間に100パーセントはがれちゃうのですよ。というか、寝返りをうつ瞬間にはがれます。だから湿布でスースー作戦ができない。いつも


仰向けでも痛い
横向きでも痛い

どうすりゃいいんだぁ(泣)


みたいな状況で布団の中で「人として変なカタチ」になってたりする訳ですよ。首から左肩にかけての部位も痛いから、この身体にとって楽な姿勢というのがマジでわからない。毎晩、寝床で私の左腕の下敷きにされているシベリアンハスキーのぬいぐるみはペッタンコになっていて本当に可哀想になるレベルですよ。ごめんよ、君を下に敷かないと肩が痛くて眠れないんだヨ。

今更登山をしたいという欲望は無いけれど、歩行困難になるのはちょっと勘弁してほしいよね。自力で外出できなくなったら人生は暗い。ということで本年度も


た の し い 通 院 生 活


な日々を送ることになりそうであります。「生き続ける」というのも、なかなかに過酷な果てしない道のりであります。










#27
2024年(令和6年)4月8日(月)
「右投げ転向で復活を誓う」


いよいよ始まりましたプロ野球ペナントレース。今シーズンは我らが横浜DeNAベイスターズが開幕3カード連続勝ち越しという、夢のような現実をまのあたりにして実に気分爽快であります。接戦をモノにする、最後は競り勝つという「あれ?もしかしてウチのチームって強い?」みたいな不慣れな状況に戸惑うレベルです。私は「ハマの番長」こと三浦大輔監督が現役時代から大ファンでありますから、この状況で興奮するなと言われても無理です。

そして当然の流れとして「私もこうしてはいられないよNE」という感情が湧きおこってくるのです。ベイスターズの快進撃は弱っている私のメンタルを奮起させるのに充分なインパクトがあるのです。


「こうなったら私も右投げに転向するしかない」


と、思っている次第であります。野球漫画の読み過ぎではないか?と言われそうだけど実際に思うのだから仕方がない。左手で投げられないなら右投げにスイッチすればよいのだ。というか、それ以外に道は無いと思います。

私は箸を持つのも文字を書くのも普通に右利きであります。しかし小学生の時に転落して右肩を粉砕するという割と派手な怪我をして、いちおう治ったけど骨が正しい位置で固定してなくて要するに右肩の動きに若干の支障が残ったのであった。なので私は自然とボールを左手で投げる生活様式が習慣化したのでした。

その後も怪我が多くて右手については小指の骨折して外に曲がってしまったり、人差し指の腱を断裂させたり数々の間抜けな故障をやらかしまくっていました。肩は上がらないし指はヨレヨレだし、右腕はマジで役立たず状態と化しました。他方、左に関しては手首を二回骨折した以外は割と無傷であり、言わば私のメインアームとして大車輪の活躍をしてきたのであった。私がふだん「蛇口をひねる」「ドアの取っ手を握る」「鍵をさす」「スイッチを押す・レバーを操作する」「ものをつまむ・拾う」といった些細な動作を左手で行う癖があるのは、おのずと身に付いた習慣なのだと思います。

余談ですが下半身(腰から下)の怪我については挙げたらキリがないレベルなので触れません。今は皆様ご存知のように腰と股関節が悪くてロコモティブシンドロームで頭を抱えているありさまですから、そこは色々と察していただきたいところです。

まあそんな具合で「右利きだけどメインで使うのは左手」という訳のわからないスタイルで生きてきた私ですが、2022年11月に交通事故に遭って結果的に後遺症が残り左腕が役立たずになってしまったのが現在の姿です。蛇口もドアノブもひねれないし落ちたネジすら拾えません。ふだん無意識にやっていた当たり前の動作が思うようにできない、というのはけっこうイライラするものです。ギターの弦も押さえられないしフルートもヴェノーヴァもロクに構えられないのでハーモニカを買って遊んでるネタは3月31日のモモ通で書きました。精神的にはけっこうヤケクソ状態に近いものがあります。

実際問題として今の自分に車の運転は無理ではなかろうか?と思うのであります。マニュアル車のシフトチェンジそのものは決して力が要る操作ではありませんが、現在のように腕全体が重だるくて手のひらが年がら年中シビレているような状態で迅速かつスムーズにできるとは思えません。ちなみにモーターボートの操縦では左手でスロットルレバーの操作を行いますが、こちらは割と力が要ります。しっかり握ってそこそこの力を込めつつ繊細にコントロールしなければならず、今の私には絶望的です。なので小型船舶操縦士免許の次回の更新は断念しました。現在の免許が失効する時点で私は船を降りる覚悟です。車の免許よりも先に取得した船舶免許は私の数少ない「誇り」であって、大海原を我がものとして自由に航海する船乗りである自覚は私の人生の指針であり哲学そのものであります。しかし身体能力的に無理だというのなら諦めるしかない。「艦長」の肩書を失うのは身を切られるように辛いのですが仕方がない。私もそろそろ青春の後始末をする年齢になったと思って覚悟を決めましょう。ですので今後は「元艦長」と呼んでください(←未練がましい奴だな)。



ボート

私の航海は間もなく終わる




こうなってくると心配なのはオートバイの運転でありまして、私にとっては死活問題というか生きる意味、生きる価値が問われるレベルの重要度です。船を降りて陸に上がるのは百歩譲ってガマンするとして、それでいて楽器もできない自動二輪も乗れない、となったら文字通り生きる希望はありません。何が楽しくて生きてるんだって話よ。

結論から言いますと「左手でクラッチを引くのは長時間じゃなければイケる」という感じでした。クラッチレバーの引きの重さは車種にもよりますし整備状態にも左右されますから一概には言えませんが、握力を競う訳ではないので教習所で習った通りに四本指で引けば何とか大丈夫でした。ただ街中で道がそこそこに混んできて半クラッチを強いられながら発進・停止を繰り返すのはかなりシンドいなと感じました。前にいる車両に突っ込んだらシャレになりませんから、左腕・左手に疲れをためないように早め&こまめに休憩を取るしかない。

むしろスクーターの左手ブレーキ操作のほうが地獄レベルでキツかったです。左手を休ませる時間がほぼ無いので長時間の運転は無理だと思いました。スクーターの話はまたいずれじっくりしたいと思いますが、私の身体の状態としてはリアブレーキは右足で踏んで操作する方が確実で安心だと思いました。あれ?だったらスーパーカブで良いんじゃないか?

しばらく前のモモ通でホンダが自動二輪については異様なまでの執念を燃やしてクラッチレバー操作不要の機構を開発しているというネタを書きまして、あのこだわりは一体ナンなんだという疑問を投げかけたのです。しかし自分自身の左腕が事実上役立たずになった今の私としては(あれからそれほど日数は経っていないにもかかわらず)一周まわって「ホンダえらい!最高!!マジ愛してる」と思い始めている今日この頃であります。先月のモーターサイクルショー2024でお披露目した「Eクラッチ」は夢の機構じゃないですか。左手のレバー操作無しで変速できるなんて素晴らしすぎます。超うらやまC。

人間は不老不死ではないのだから、こうやって年齢を重ねて行けば若い頃には想像もつかなかったような衰えを自覚する日が来るわけですよ。私とて、自転車でアチコチをかけめぐりザックを背負って山中に分け入る日々を送っていた頃は脚力だけは絶対の自信があったわけで、よもや数十年後に現在のように歩行に困難をきたすようなロコモティブシンドロームを抱える日が来るとは思いもよらなかった。ざっくり言えば身体の関節というのは「消耗品」ですから、酷使すればパーツの寿命が縮まるというそれだけの話ですけど、自分自身がその境遇になって初めて他の人の病気や障害の苦労を知る、という面は否定できません。私は自分で経験した事しか理解できないタイプの阿呆ですので、最近になってようやく他の人の苦しみや辛さを想像するようになった。自分ももっと高齢になれば出来ない事が増えるであろう。そういう想像力がようやく身について、世界中のお爺ちゃん&お婆ちゃんの苦労を察して気の毒な気分になってしまうのであります。

これは言い方を換えると私は身体の自由が利くうちに、ありとあらゆる方面でやりたい事をやってきたのは恵まれていたと痛感するのであった。今となっては大きいオートバイに乗って高速道路をひた走り長距離を移動するとか絶対にやりたくないもん。無理だもん。早朝に品川区を出発しひたすら高速道路を走り、安曇野インターチェンジで下りて「大王わさび農場」「碌山美術館」をまわって「青木湖」に寄ってから白馬で宿泊、なんていうのを当たり前にやっていたのが夢か幻のようです。もうそんな気力も体力もない。穂高や白馬に帰りたいと思うけれども自力では無理だと思う。天国に行く前にあと一度でいいから白馬村から白馬三山(鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)を眺めたいと思うけど不可能であろう。あの日あの時に見ておいて、その美しい光景を脳裏にクッキリと焼き付けておいて本当にヨカッタと思うのであります。このような現実を鑑みれば、あれもやりたい、これもやりたいと心の底で願いながら


老後の楽しみにとっておく


という人生計画がいかに馬鹿げているかを痛感するのです。やりたい事があるなら今、ただちに始める!というのが最優先なのは明白です。後回しにしてはダメなのです。これからの人生で今が一番若い、と気づけばおのずと「動くべき時は今しかない」のであります。我々に残された時間は意外と短い、というのを日々感じるのであります。



もふっとオオカミ

身体の自由が利かなくなったら家でぬいぐるみを抱いて過ごすしか出来なくなる




長々と綴ってきましたがここでようやく最初の話に戻るのです。右投げに転向すると言っても私の右肩は上がらないので、投げ方にも制約が出ると思います。雑にくくるとフォームとしてはサイドスローもしくはアンダースローの二者択一になると思いますが、下半身が柔らかくないとアンダースローなんて不可能です。自分の肩の可動域を活かし、できる範囲内でのサイドスローを習得したいと思います。

私の中では右投げ・サイドスローのピッチャーといえば、たとえば西武ライオンズの塩崎哲也投手、ヤクルトスワローズの高津臣吾投手が浮かびます(←なんか情報が古いな)。高津臣吾さんといえば今は監督ですよ!いつの話だよ!!みたいな。しかしサイドスローの投手で一番印象に残っているのは何と言ってもジャイアンツの斎藤雅樹投手です。私は根っからのホエールズファン&ベイスターズファンであり「資金力にモノをいわせて他球団の良い選手をひっこぬいてチーム強化をはかる『札束野球』をする巨人」というのは憎き存在でありましたから、正直ジャイアンツの選手はどうでもいいのです。それでも斎藤雅樹投手は応援していました。ハンサムだしピッチングは素晴らしいし。藤田監督時代のジャイアンツのエースといえば斎藤雅樹、という印象です。打たれ始めるとどんどん表情が曇って、みるみる弱っていく感じも親近感がありました。

「右投げに転向」というのは極論を言っただけで実際には野球をすることはないでしょう。でも、とりあえず右手の能力向上を目指したいというのが今回のモモ通の趣旨であります。そもそもキャッチボールをする相手もいないしウチの近所ではボールを投げられる場所もないですから、まずは庭でひとりシャドウ・ピッチングをはじめようかと思っております。バッティングセンターというのはあるけどピッチングセンターという施設はないですよね。

水島新司先生の野球漫画『ドカベン』で、エースの里中智くん(←わりと怪我が多い)が投球ができない時期にリハビリのために年がら年中ゴムまりを握ってニギニギしていたエピソードがあるのです。あのひそみに倣って、私も

・ゴムまりをニギニギして左腕のリハビリ
・軟式野球用ボールをつかった右投げのシャドウ・ピッチング

という二つのメニューをやろうと思い立ったのであります。現状、激しい運動はできませんし柔軟体操もヘタにやると翌日腰が立たなくなることがあるので、慢性的運動不足なのは否めません。でもシャドウ・ピッチングなら無理せずはじめられるメニューではないか?とひらめいたのであります。速球や変化球を投げる必要はありません。「軽いキャッチボールで球を放るイメージで身体全体を柔らかく動かせるようになる」のが主たる目的だと思えばそれほど阿呆なアイデアでもないし、続ける努力も無駄にならないと思います。無理しない投球フォームを通じて身体全体の筋力アップをしようという作戦です。痛い痛いと言って何もしないで過ごすよりはマシでしょう。

私はあまり漫画を読む習慣が無かったのでアニメ化した作品ぐらいしか知りませんが、昔の『巨人の星』の星飛雄馬は大リーグボール3号で左腕を破壊して引退、のちに『新・巨人の星』で右投げに転向しています。アニメ『メジャー』でも主人公の茂野吾郎は小学生のリトルリーグ時点で右肩を故障、中学から左投げに転向していますな。こういう展開を漫画・アニメの世界だけにしておくのはもったいない。自分もやってみようではないか、と思うのであります。

というわけで取り急ぎ軟式野球のボールと、天然ゴム製のゴムまりを入手したいと思っているんですけど何処に行けば揃いますかね?品川区の武蔵小山商店街にスポーツ用品店があるので近いうちに見に行こうと思います。たしかトレッサ横浜の中にも大きいスポーツ用品店があった気がするので、下調べをしてみよう。

ノドカまさかの右投げ転向宣言、今後の展開にご期待ください。










#28
2024年(令和6年)4月12日(金)
「空力特性とエアロパーツ」


自動車競技の最高峰、フォーミュラ1(日本では「F1グランプリ」の名で広く馴染みがある)にて用いられる車両は、私たちが日常生活で使う乗用車や貨物車とは次元の違う「異形」をしているのは、多くの方がご存知であろう。地を這うような低い車体に太くて大きな車輪、何よりも目に飛び込んでくるのが車体前後のウイングであります。高速走行した時にこのウイングが空力特性を発揮してタイヤを路面に押し付ける力を発生させて旋回速度を高めているそうです。

本質的に、エアロパーツは特定の条件下において性能を発揮するものです。

と同時に「たとえ個人所有の普通の乗用車であろうとも、装着するとあたかも競技用車両のような雰囲気になるので純粋に見た目がかっこよい」という面もあります。言い方は賛否両論かもしれませんが「ドレスアップ効果」と言い換えても良い。装着することで愛車の見た目のカッコ良さが増す、という側面は重要です。

「このパーツが実際に空力的な効果を最大限に発揮するのは時速130km〜140kmで走行した時」とわかっていても、公道でそんな速度は出さないと百も承知の上で日産サニーのセダンに純正オプションのリヤウイングを装着した訳ですよ。ただのファミリーセダンじゃなくて排気量1600ccのツインカムエンジンを搭載したスポーティグレードだということをアピールするのが主たる目的であった訳です。

パジェロミニを購入したときもルーフにウイング(ハイマウントストップランプ付)を装着したのは『パリ・ダカールラリー』に出場したパジェロをイメージしたのであって、正直なところ空力特性はオマケ程度(たぶん効果を体感することはない)と自分でも思っておりました。

どうにも昔話ばかりになってしまい申し訳ないのですが、三菱自動車からランサーエボリューションが登場した時に私は大歓喜しており、公道で見かけると「わぉ!」となって目が釘付けになったものです。しかし、世の中からみたらそういう人は圧倒的少数派でありまして


「あんなデカいリアウイングつけても意味ないでしょ(嘲笑)」


みたいな事を言う人がいっぱいいたのであります。



ランエボ

ランサーエボリューションIII




エアロパーツのたぐいを「意味がない」「ただの飾り」と決めつけ、嘲笑の的にするだけでは飽き足らず「そもそもエアロを付けようという感性がダサい」などと人格否定までする人がいたりするけれども、ダサいかどうかはその人の好みの問題であってエアロパーツ装着する意味は間違いなく有る訳で、断じて「ただの飾り」ではない。

ということで私は、GTウイングやエアロパーツの専門メーカー、ボルテックスさんのウェブサイトを見ておりました。


GTウィングやエアロパーツなど空力特性にこだわったクオリティの高いカーボン製品などをリリースする専門メーカーのボルテックス
VOLTEX RACING SUZUKA JAPAN
https://www.voltex.ne.jp/


製品カタログページより画像抜粋
https://www.voltex.ne.jp/catalog



エアロパーツ



ボルテックスさんの上記カタログページより画像を引用しております。かっけえ。




エアロパーツ装着車をダサいと思うか否か、という話は単純に「好みの問題」として片付けるとして、空力特性への配慮に意味が有るか無いかという点については私のメインの趣味であるオートバイを例にして考えてみたいと思います。

私自身がオートバイに乗るようになって驚いたのは、走行時の風圧(空気抵抗)のすさまじさであります。

免許を取ろうと教習所に通っていた頃は課題をこなすのに必死で、体感として風圧を意識した記憶はありません。しかし免許を取得し実際に公道で走行するようになってから、スピードを上げれば上げるほど全身に受ける空気抵抗が極端に増してゆく現象を痛烈に思い知ったのであった。

時速15km:空気抵抗は感じない・ほぼ無風
時速30km:あぁ、この爽快感!その昔原付スクーターに乗っていた頃を思い出すなァ(しみじみ)
時速60km:け、けっこうな空気抵抗じゃないか(おもいのほか風圧がキツいな)
時速90km:ギョエェエ!!(後ろに飛ばされそうだぁ)

みたいな体感ですよ。

私は自転車競技をやっていたので、当時の最先端モデルの「流線型で、かぶると後頭部がエイリアンみたいに後ろに長いヘルメット」なんていうのをかぶったものであります。自転車の世界でも空力特性というは話題になるテーマでありました。しかし自転車の場合は平地のみならず下り坂であろうとも文字通りシャカリキになってペダルを漕ぐのに必死で風圧の違いなど意識する余裕がないのであります。ましてや上り坂になればハンドルバーを強く握りサドルから尻を持ち上げ、車体を左右に揺らしつつアゴから汗をボタボタと垂らしながら全身もがきまくって脚が「売り切れる」までいわゆる「立ち漕ぎ」状態で必死ですから、空力特性など知った事ではありません。

だから私はオートバイで走って最初に感動したのは「上り坂でも身体が空気抵抗を感じる」という点でありました。自転車しか乗らなかったら一生知ることのなかった真実ですよ。

排気量が400ccなどという大きなエンジンを積もうとも、見た目が「すっぽんぽん」のオートバイだと時速80km巡航ぐらいが楽で、それ以上のスピードを出そうとすると風圧がすさまじくて体力的にものすごくシンドくなります。私は教習所に通っていた時からオフロード用のヘルメットをかぶっていましたが、高速道路で車線変更するのに安全確認のため後方をチラ見しようとわずかに首を動かしただけで凄まじい風圧がブワッとおしよせて本当に首がモゲるんじゃないかというぐらいの力を受けてビビった次第であります。



オフロードバイク

こういうタイプの車種は風圧が全身に正面からモロにかかります




その後私はヤマハYZF-R15というオートバイを買って高速道路も使いまくってあちこちに出かけたのですが、それまで乗っていた「バッタみたいな見た目の、すっぽんぽん系」ではなく風防のついたスポーティなオートバイに乗り換えたことでまたしても新たな感動を味わいました。同じ時速100kmで走っても、正面から身体に当たる風が圧倒的に少ないのであります。



R15

空力特性を考慮した外装のついたタイプ




このオートバイにオフロード用ヘルメットは似合わないので、あわせてヘルメットも卵型のオンロード用フルフェイスタイプに買い換えたのですが、これも効果絶大。顔面といいますか頭部全体が正面から受ける風をスムーズに後方に流していく、というのがわかるのです。車線変更で首を後ろにふっても「いきなり風圧がかかって首がモゲそうになる」という事はありません。

それだけではありません。高速道路を走っている最中に突然ポツポツと雨が降り出す、みたいな最悪の状況で半泣き状態になりながら次のサービスエリアまで「忍の一字」で走るようなケースで、下半身がほとんど濡れないのであります。ヒザの前あたりまで風防がある効果がてきめんで、上から下まで絶望的にビショ濡れ、というふうにならないのであった。

YZF-R15は私の身体にちょうどいい塩梅に合っていたようで、乗車姿勢に無理が無くて何時間でも乗っていられるほどでありました。また非常に軽快で意のままに動く感じで、左右コーナーが連続する山坂道を走らせるのがとても楽しいのです。舗装路で運転を楽しむにはこのようなオンロードスポーツ系のオートバイがやっぱり向いているんだなあ、と強く実感したのであります。もともとアウトドア志向で悪路を走れるオフロードバイクにしか興味が無かった私にはすごく新鮮な感動でした。

ちょっと話がそれたので空力特性の話題に戻しましょう。

このように、オートバイに乗る人なら誰でも「風圧」「空気抵抗」というものはいつも全身で感じ取っているから、空力特性がいかに重要な要素であるかを野生の感覚的に涙が出るほど知っているのです。

であるから、ビジネスバイクの代表車種スーパーカブのレッグシールドをダサいとは思わないし、スクーターに透明の風防を付ける人の気持ちも察するし、快適に走行するために正面からの風をうまく流す部品を取り付けたり、スピードメーターの上に配置された透明のバイザーを大きいものに交換したり、みんな自分の使用目的にあわせて改造するのは当たり前の事だと認識しているのであります。

ゆえに「エアロパーツなんて意味無い」「ただの飾り」などというふうには思わないし、口に出すこともない。

もちろん前提条件として「エアロパーツも無暗やたらに付ければいいってモンじゃない」ということは承知しています。エアロパーツは特定の条件下で最大の効果を発揮する、ということを知識としてでは無く体感で知っているからこそ「付けたっていいじゃん!」「付けたいなら付けるといいよ!」ぐらいに思っている、それだけの話です。

さすがに私ももう「無益な論争などするのも面倒くさい」という齢にさしかかっていますので、エアロパーツを「無駄」と一蹴する人がいてもテキトーにスルーするだけです。「GTウイングなんて付けても重心が高くなるし車両の重量が増して燃費が悪化するだけ」みたいなことを言ってる人がいても


「はい、そうっすねー(棒読み)」


と軽く流しておしまい。別に「小仏トンネルの渋滞」を前提にしてGTウイング付けてるわけじゃないんだから正直どうでもいいじゃんね。

空気抵抗との闘い、という意味ではジェット戦闘機が誕生してから「音速の壁(sonic barrier)」を破るまでの各国の開発競争に目を向けると、正直に言って感動のストーリーしかない。航空機は音速(いわゆるマッハ1ですな)のあたりで様々な要素で飛行困難になるわけですが、先人たちは知恵をしぼって難題に取り組んだのであります。個人的には「シンプルで効果絶大」なMiG-21のショックコーンが好きであります。一時期、ソビエトのカメラを収集していましたが「シャッターは切れないけどフィルムはチぎれる」「レンズ交換式にもかかわらず一度装着したレンズが二度と外れない」みたいなどれもこれもポンコツだらけで「やっぱり共産主義国の工業製品なんて大したことは無いな」と思ったりしましたが、第二次世界大戦後に最も成功した(高性能でたくさん製造され長きにわたって世界中で活躍した)戦闘機といったらMiG-21ということで異論はあるまい。1万機以上生産されて正式な製造数がわからない(数えきれない)というのはちょっと考えられない。傑作機の誉れ高い合衆国のF-4ファントムIIでさえ生産数は5,195機にすぎない。

なんか話が訳のわからない方角に脱線してしまいましたが、結論としては「空力特性を学びたいならまずは自動二輪に乗って体感するのが初めの一歩」というのが私の持論であり、「良いじゃないですか、NISSAN GT-R!」と叫びたいのであります。



GT-R

画像は下記公式サイトより引用




NISSAN GT-R(日産公式)
https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/gt-r.html


いいよねえGT-R。これぞ日本の誇り、唯一にしておそらく最後のスーパーカーですよ。今日はそれが言いたかっただけです。はい。










#29
2024年(令和6年)4月16日(火)
「體育推進運動 ボールを用いてリハビリ開始&右投げ転向へ」


私は交通事故の負傷のダメージから回復することを目指しているのであります。テレビアニメに出てくる強いキャラクターのように「あの程度でやられる私ではない」と言いたいではないか。まだ、この先人生が長く続くかもしれないのだから「できる範囲で動けばよい」などと弱気になってはイカンと思う。

アニメ的によくあるじゃないですか。圧倒的な数の敵に包囲された主人公が絶体絶命のピンチ、もはやこれまで、というまさにその時!いきなり彼方の上空にピキーン!と謎の光とともに謎の機体が超速で飛来したかと思うと凄まじい飽和攻撃で主人公を囲んでいた敵を瞬時に殲滅。あれは!過去のエピソードですでにヤラれていたはずのキャラがまさかの再登場。そして


主人公:生きていたのか、エゾモモンガ!

モンちゃん:へへっ、地獄から舞い戻ってきたZE!(ニヤリ)


みたいな会話が交わされ、状況が一転。先ほどまでヘトヘトだった主人公も謎の力がみなぎって形勢逆転という熱い展開。

あれよ。あきらめかけたその時に駆けつけて助太刀する復活キャラ(←どうやって生き延びたのかは不明)みたいな。私もそういう強いキャラとして復活したいと思う。今の状態はともかく、まだフルートの演奏をあきらめたくはないのだ。

ということで4月8日のモモ通で書きましたように


・ゴムまりをニギニギして左腕のリハビリ
・軟式野球用ボールをつかった右投げのシャドウ・ピッチング


というのをやろうと決意したのであった。で、まずは重だるさと痛みが治らない首、肩から左腕および年がら年中ぴりぴりとシビレて思うように力が入れられない左の手のひらを何とかするために、適度に弾力があり低下した握力でも握り潰せるようなボールを「ひたすらニギニギ」して症状の回復を目指したい。イメージは子供の玩具レベルのゴムボールでしょうか。

まずは近所の商店街にあるスポーツ用品店に行ってみることにしました。もう20年以上前に品川区に住み始めた頃からある「街のスポーツ用品店」という感じで店先にはサッカー日本代表のユニフォームがズラッと並んだりしているのをなんとなくチラ見しつつ、いつも前を素通りしていたのであります。

で、そのお店を目指して出かけたのはいいのですがやっぱり個人の店って気軽には入れないですよね。店の前には到着したのですがナンとも入りづらい。いちど中に入ったら何かを買わないと出て来られなさそうな空気感がたちこめているのです。そもそもこういう小さい店が極端な安売りをしていることはないでしょうから、ホコリかぶったような売り物もすべて定価という可能性がオオアリクイ。

私自身、別に本気のスポーツをやろうという訳ではないのでアスリートが真面目に使い込むような用品をすすめられても困る。握力鍛えるならこれだよ、と正真正銘のハンドグリップなど出されたら逃れる術はない。とてもじゃないけど、軽い気持ちで覗きに入れる店ではなかった。

ゆえに、そのスポーツ用品店に突入する作戦は断念しました。かといって手ぶらで帰るのもちょっと悔しいので駄目もとで100円ショップを覗く。

犬のおもちゃとして売られているボールが握った感じは良かったのですが、握って潰すたびに「キュー!」みたいな音が出る仕掛けなのでこれはさすがにちょっと無理だと思いました。

玩具コーナーを見ていたら2個入りのゴムボール(?)がありました。商品名は「パールエアーボール」ということで、空気で膨らんでいるみたい。外から握った感じはちょっと固いけど、試しに買ってみましょうかね。



ボール

大小のボール2個セット




材質は塩化ビニル樹脂と記載があり、非常によく弾むボールでありました。小さい方(青い方)がおおよそ直径65mm程度で、手のひらにはスッポリおさまる。手に吸い付くようなグリップ感がしっかりあります。ニギニギするにはちょっと固いかな。



商品タグ

これだけのマトモなボールが2個で100えんは安いと思った




とても弾力があり、床や壁にあてるとよく弾むボールで、こんなので野球ごっこして本気バッティングしようものなら凄い勢いで飛んでしまってあっという間に失くしてしまいそうです。もうちょっと握り心地が柔らかければコレで充分だったなあ。もうすこしツブれてくれるものが欲しいんだよう。



オオカミとボール

まあ100円ショップのおもちゃですから文句は言えない




その後も出かけるたびに「テキトーなボールは無いかなあ」と探していたのですが、なんと!まさかの新宿ヨドバシカメラおもちゃ館の外遊びコーナーにて絶妙な商品を発見しました。



ウレタンボール

ウレタン野球ボールネオ




こちらも「対象年齢3才以上」と書かれた商品ですが、握ってみると非常にいい感じであります。中に空気が入っているのではなく球体のスポンジみたいなもので、ムギュッとつぶれるのです。健康な右手で握ればいい感じに潰すことができますし、ヨレヨレの左手には適度な負荷という印象です。何よりも見た目が野球のボールに寄せている(ちゃんと縫い目ふうの赤い着色がしてある)のが妙にテンションUPです。ちなみにお値段はヨドバシ店頭価格で180円(税込)です。これは気に入ったゾ。



野球のボール風味

つぶし心地もなかなか良好




触り心地は最初に紹介した塩化ビニル樹脂の「手に吸い付くような感じ」とは全く違い、サラサラしています。私がリハビリで握りたい感触のイメージとぴったりなので満足度が非常に高いであります。

余談ですが左手でニギニギすると過去に骨折した手首のパーツがコッツンコッツンと音を立てています。身体ボロボロですな。まだニギニギをはじめて数日なので如実に変化を感じはじめた、という事はありませんがリハビリだと思って気長に続けていれば何かしらのプラス作用があるだろうと期待していますので焦る気持ちもありません。何もしないでいるよりは確実に握力の復活にはつながると思います。左手の握力が少しでも向上してゆけば、たとえばオートバイのクラッチレバーを引く動作なんかも楽になってくるでしょう。もしそうなれば結果的には大成功です。

かくしてリハビリ目的でニギニギするボールを無事に入手いたしました。と同時に、このボールを右手で持ってみれば今後、右投げの投球フォームを習得するための練習にも活用できそうです。ゆえに結論としては「まずはリハビリ用品購入作戦を始めた訳だけど、比較的いいスタートを切ったのではないか」という感じであります。

こちらは何しろ数年積もり積もった「慢性的運動不足」ですし、股関節が痛すぎてロコモティブシンドロームすら危惧する状況ですから、これからは少しずつ身体を柔らかくほぐしつつ適度に動かしながら不健康状態から脱却したいなと思っています。

人間は不老不死ではありませんから、加齢とともに内臓の働きも筋力も衰えて身体のアチコチに不具合が出てくる、というのは当たり前の話です。だからといって、予防と称してただの筋トレをするのは超つまらないじゃないですか。トレーニングのためのトレーニングはつまらん。ですので私自身は「野球の動作」というのを実践しながら全身を軽く動かしつつ健康増進を図ろうと思っています。今後の課題としては、たとえば右投げに転向するという最終目標に向けて適切なピッチングフォームを習得する努力をしながら全身の筋肉を使う、ひいてはその一連の行為が筋力トレーニングにつながってゆく、というような流れになればヨイなと思っています。

左手にグローブをはめて捕球できるようになり、そのうえ右手で狙ったところにある程度ちゃんとボールを放れるようになったら(別に速球を投げる必要は無いし、変化球を覚える必要も無い)、将来的にはキャッチボールができるようになるではないか。そう思うとワクワクが止まりませんよ。










#30
2024年(令和6年)4月20日(土)
「ポンチョ」


2024年4月現在、日本において自動二輪を運転するための免許は細かく分けられており、区分はなんと7つもある。

・原付免許
・小型限定普通自動二輪免許
・小型限定普通自動二輪免許(AT限定)
・普通二輪免許
・普通二輪免許(AT限定)
・大型二輪免許
・大型二輪免許(AT限定)

以前は「原付」「小型二輪」「中型二輪」「大型二輪」という呼び名であった。私はこっちのほうがスッキリする。私が持っているのは「普通二輪免許」だけれども、なにをもって「普通」と呼んでいるのか意味がわからない。

「普通」というのは、あえて類語を挙げるならあ「一般」「平常」「通常」という意味ですよね。現代ではあまり使わないけど「尋常(じんじょう)」ということばもあります。たとえば


ノドカさんの精神状態は尋常ではない


みたいなふうに使います(なんと適切な例文であろうか)。そして「普通」の対義語は「特別」「特殊」あるいは文脈によっては「異常(※ノーマルに対するアブノーマル)」という言葉が該当するでしょう。排気量400ccのオートバイのいったい何が「普通」なんでしょうか?

ましてや現代は「多様性」の名のもとに「普通」という概念が人によってバラバラになりつつあるのだから、安易に用いるべきではない単語だと思う。サイズで区分するなら「大・中・小」でいいじゃん、と思うのです。ゆえに私は400ccまで乗れる免許を「中免(中型二輪免許)」と呼ぶほうがしっくり来ます。

でも今の自動二輪界隈においては「ミドルサイズ」というカタカナ呼称を見る機会が多くて、その内容はエンジンの排気量が650cc前後のものを指しているようです。ならば400ccは小さい部類、ということでしょうかね?よくわかりません。

さて私は旅の相棒として、あるいはパーソナルな移動手段として自動二輪をこよなく愛する者です。しかし自分自身は「旅先などで車体を倒してしまった時に自力で起こせるような、小さくて軽いオートバイ」に乗りたい(自分自身で対処できる範囲の大きさ・重さでないと怖くて乗れない)という個人的モノサシを持っていて、


乗り物としてのオートバイはみんな好きだけど自分が運転するのはちっちゃい車両じゃないと無理です派


という流派に属しており、排気量やサイズに制約なく世界中のありとあらゆる自動二輪を運転できる「大型二輪免許」は自分には要らないような気がして今日に至っております。オートバイ好きを自認する人は選択肢に制約が出ることを嫌い大型二輪免許を取得するのがほとんどですから、そういう意味で普通二輪免許で満たされている私は「オートバイ好き」を自称するには「ひよっ子」というか「名ばかり」というか「こけおどし」に近い存在であり、正しくは


「ちっちゃいオートバイが好きな人」

もしくは

「ちっちゃいオートバイしか乗れない人」


というのが適正な表現でしょう。しかしオートバイの「サイズ」の境い目というのは非常にあいまいであり、250ccよりも車体サイズの大きい125ccバイクであるとか、私が教習車で乗ったCB400SFよりも車体が細くて重量も軽い排気量500ccの大型バイクなんていうのも珍しくはありません。そういう現実も含めて制度的・法的な制約にとらわれず色々な車種にあれこれ乗って楽しみたいと思う「生粋のオートバイ好き」は迷うことなく大型二輪免許を取る、というのは当然な話です。

ハナから乗る気が無いとはいえそ、そもそも大きいオートバイに乗った事が無い私は「自動二輪の楽しみの全てを知り尽くしている」などとホラを吹く資格は無いし、自動二輪の神髄すら理解していないのかもしれません。しょせんは「毛の生えた原付マン」といったところでありましょう。

別にヨイのであります。私個人が実際に乗って一番楽しかったのは2ストローク80ccエンジン車であったから、仮に4ストエンジンであれば単純計算で2倍して排気量160ccもあれば充分かな、などと思うレベルで「ちっちゃいの」が好きなのです。これはもう一生治らない「性癖」みたいなもので、その身に生まれたオノレを受け入れて生きて行けばよいだけの話よ。

さて。ここで話は自動二輪からクルマに移ります。今日の主たるテーマは自動二輪ではなくクルマなのであります。ということはここまでの長い話はすべて前置きです。

私自身は二輪も四輪も大好きではあるものの、今の生活ではとてもじゃないけど四輪を所有して乗り回すなどという贅沢は不可能です。自分で運転するならスズキの軽トラック「スーパーキャリイ」が欲しいな、などという妄想は抱いていますが現実問題としては到底叶わぬ夢のまた夢です。ちなみにウチの周辺だと月極駐車場の相場は6万円です。五反田でも「東五反田」(要するに山手線の内側)だと、もっと高いです。車を置くスペースに月6万を払うなど、私のような下層民にできるはずがありません。

私がふたこと目には「原付!原付!」と騒ぐのは決してネタで言っているのではなくて、真面目な話として割と生活水準の低い人間がパーソナルな乗り物を確保しようと思ったら自転車と同じ駐輪場に停めさせてもらえる原付自転車というのが限界ではなかろうかと思います。過去には私も仕事をして給料を受け取っていたからTDR80やYZF-R15といったオートバイを月極バイク置き場に保管できたわけで、今それと同じことをやろうとしても無理です。

いくら往生際の悪い私とはいえ、現在は正直左腕の具合がイマイチだから仮にスーパーキャリイがあるとしてもキビキビと運転する自信は無いし、そもそも口で言うほど運転が上手なわけでもない。また、オートバイに関しても高速道路を使ってまで遠乗りしたいという野望も体力も無い現実を直視しています。ゆえに


「若くて元気な時にやりたい事を片っ端からやったのだから、もうヨシとするか」


みたいな境地に達しているのであります。最近は街でスーパーキャリイを見かけると「お!いいな!!」とは思うけれども、それ以外の車に関してはほとんど興味を失っており(どうせ自分には乗れないと諦めている)、何を見ても「みんな良い車のってるなあ」ぐらいにしか思わなくなっているのでした。

しかしそんな矢先、友人との会話の中で偶然「個人的には凄く好きだけれども自分が運転する類のものではない(運転する可能性は0パーセント)ゆえに名前すら知らなかった車両」が登場し、予期せぬタイミングで好きな車の姿と名前が一致してしまったのです。私自身にとっては大事件でありました。

ずばり、バスであります。路線バスというか主にコミュニティバスで用いられるちょっと小さいバス型の車両であります。その名は「日野ポンチョ」です。


日野ポンチョ(日野自動車 公式)
https://www.hino.co.jp/poncho/



ポンチョ

日野自動車公式サイトの画像を引用




一般的にポンチョというと私のふるさとアンデスの人々が身につける頭からかぶるタイプの民族衣装(アルパカなどの毛で編んだマントふうの外套)を思い浮かべるのであります。むかしのテレビアニメ『母をたずねて三千里』の主人公マルコが着ていたアレです。

私もギターをメイン楽器としていた時代はポンチョをまとい愛用のギターを黒いハードケースに入れてペルーやボリビアあたりのフォルクローレ歌手をきどっている時期があったので深い思い入れがあります。

日野ポンチョという名前はこのアンデス民族衣装の意味合いも含ませつつ「PONと乗って、CHOこっと行く。」というキャッチコピーを前面に出しているというなかなかに素適な世界観です。

そして今日一番肝心なポイントは、この日野ポンチョが渋谷区のコミュニティバス「ハチ公バス」に使用されていて私の勤務先が渋谷にあった時代にその可愛らしさで私のハートをつかみまくっていたのです。要するに私は「ハチ公バスが可愛くて大好き!!」という思いを胸に抱いて暮らしていたのです。


ハチ公バス(渋谷区 公式)
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kurashi/kotsu/hachiko/



ハチ公バス

渋谷区公式サイトの画像をお借りしました




多くの市区町村で小型の車両を用いた「コミュニティバス」が運行されていると思いますが、私自身は「あんな小っちゃいバスもあるんだねー」ぐらいの印象でとりたてて好きとか嫌いとかまで意識が無かったわけですよ、「ハチ公バス」を見るまでは。

勤務先が渋谷になって、いわば「仕方なく渋谷に通勤する」生活になった私は「ハチ公バス」をひと目見ていきなり悶絶しました。車体に描かれているハチ公(←いうまでもなく忠犬ハチ公ですよ)のイラストが超かわいくて完全に魂を抜かれてしまった次第よ。



神宮の杜ルート

画像は「代々木1ばん.com」さまのページを引用ぅ




代々木商店街振興組合 代々木1ばん.com
https://www.yoyogi-ichiban.com/


というわけで私はこの小さいバスを「ハチ公バス」と脳内変換して覚えていて、たとえば杉並区のコミュニティバス「すぎ丸」を見ても「ハチ公バスの杉並区版」というふうな捉え方をして、正式な車両の名前を知ろうという気すら無かったのであります。

しかしこのたび会話中の偶然とはいえ「日野ポンチョ」が正式名称だと知ってしまった今は完全に「ポンチョ派」になってしまったのですよ。私はひとたび大きな感動を受けてしまうと思考回路が極端に振れる癖がありますから、たちまち「世の中を走っている車の中でポンチョが一番好き」という状態に至ったのであります。


ハチ公バスかわいい=日野ポンチョかわいい=もはや他の車はどうでもいい


という拗(こじ)らせっぷりであります。とはいえ幾らなんでも私自身が日野ポンチョを個人で所有するなどという事は絶対にありません。まず運転する免許がないのだし、仮に免許の有無を除外して考えたとしてもバスを個人が所有するというのは通常は考えられない話です。鉄道車両が好きとか航空機が好きとかと同じ次元になって「自分が運転・操縦するかどうかは問わず単に好き・嫌いを述べているだけ」になります。なまじい「スズキのスーパーキャリイが好き」という話だと所有する・しないの問題が出てきて悶々とする訳ですが、好きな車両がバスということになると購入するか否かというのは考えなくて済みます。ただひとすじに「ハチ公バス」を愛していればよいのです。

という訳で私の中から「車が欲しい」という欲望が忽然と消失しました。「ハチ公バス」が好きすぎて、ほかの車に対する興味がすっかり薄れてしまったのです。自分で買ったり乗ったりするのはちっちゃい自動二輪や原付自転車でいいや。私は心の平安を得たのであります。

心の平安という話のツイデに『ハチ公バスのうた』を皆様にご紹介したいと思います。可愛くてマジ最高な名曲ですのでぜひ聴いていただけたら幸いです。心が清らかで渋谷の街とハチ公が大好きでなければこんなに素敵な曲はつくれませんよ。


ハチ公バスのうた(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=Z6jt6tAqfEs







実に素晴らしい楽曲であります。聴くたびに心が晴れるのであります。「ハチ公バスだワン!ワン!ワン!」がタマランです。根が暗くて人として捻じ曲がり過ぎている私にはどう逆立ちしても書けない、本当に素敵な曲であります。

という訳で、今年のゴールデンウィークの遠足プランが決定しました。

プラン1:よこはま動物園ズーラシアにお出かけ
プラン2:ハチ公バスに乗りに行く

以上です。言うまでもなく一番の願いはズーラシアに行ってオオアリクイのオレオくん、アモちゃん、サエちゃんに会いに行くことです。あわせて予備的にプラン2を準備しておけば、仮に大雨でズーラシア遠足が中止になったとしても「ハチ公バスに乗る」という計画なら実現できますから「どこにも行かず何もしないまま連休を棒に振った」という最悪の事態は回避できます。うまくすれば両方のプランを実現して最高のゴールデンウィークになるかもしれません。我ながらグッドアイデアすぎてシビレる。

結論。一番好きな車?日野ポンチョに決まってるじゃないですか(断言)。










#31
2024年(令和6年)4月24日(水)
「ジョン・ダウランド」


昨日は個人的に大切な日である4月23日すなわち「セント・ジョージの日」だったこともあり、私は毎年この季節になるとなんとなく気持ちがイングランド方面に向くのであります。皆様ご存知のように私の魂のふるさとはエスパーニャ(スペイン)でありますから、どうしてもまず最初に1588年に我らがスペイン帝国の艦隊 "Grande y Felicísima Armada" (いわゆる「スペイン無敵艦隊」ですな)がフランシス・ドレイク率いるイングランド艦隊にボコられた苦い記憶がよみがえってしまうのであります。

また、ついこの間の1982年の話でありますが、我らアルゼンチンの領土であるマルビナス諸島(当時は何もなくてペンギンが住んでるだけの場所)に上陸したらブリテンが「おい!ウチの領土に勝手に入ってくるんじゃねえよ」とイチャモンをつけてきて、ついうっかり戦になってしまい(さすがの私も、まさか連中が大西洋をはるばる渡って本気で攻めて来るとは思わなかった)これまた一方的にボコられて結局マルビナスを丸ごと取られちゃった(※奴らはフォークランド諸島と呼んでいる)という苦い記憶がよみがえってしまうのであります。

しかしその一方で「二輪車の理論」というのは19世紀の英国において既に確立されており私自身もBSA製の1930年代の自転車を宝物として乗っていたのであります。戦前のバーミンガム産の鉄といえば世界最高品質。ダテに産業革命をやった国ではないのであります。

ゆえに私はブリテンに対しては「好き」と「嫌い」が混ぜこぜになったきわめて複雑な感情を抱いており、憎たらしいけど気になってしょうがないアイツ、というような思いでビミョーな距離感を保っております。余談ですがかの国の正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(略称United Kingdom:UK)」ですが、個人的な好みでブリテンと呼ばせていただきます。ラテン語の「ブリタニア」に由来する名称として敬意を抱いて呼んでいるのであり、差別的な意図や偏見などは一切含んでおりませんのでご了承ください。

で、今日はナンの話かというとひと言でいえばクラシック音楽の話であります。どうしても文脈的にイングランドが登場するので上記のような前置きをせずにはいられなかったのであります。

私がクラシック音楽に接近したのはハタチになるかならないか、という年頃でありました。恥ずかしながらそれ以前、高校生の頃なんかは全く興味関心がありませんでした。そりゃあもう、ロックに夢中でありました。

スペイン語を勉強していたつながりでパブロ・カザルスが演奏するチェロを聴いたのがきっかけです。忘れもしない、楽曲はシューマンの「トロイメライ」とフォーレの「夢のあとに」の二曲であります。魂をわしづかみにするほどの衝撃でありました。野人の私が生まれて初めてクラシック音楽の扉を開いたのであります。チェロの音色(音域)ってものすごく心地よくて素敵よね。

そこから乾いたスポンジが水を吸うようにいろいろなクラシックの作品にふれていったのですが、正直クラシックの楽曲は「過去の名作」が多すぎて追いきれません。今でも知らない曲ばっかりです。

で、結論を先に言っちゃいますけど私はイングランドの作曲家でありリュート奏者のジョン・ダウランドが大好きなのであります。またしても宿敵イングランド人にヤラれてしまったのであります。いつも私はイングランド人に負けるのです。

イタリアの画家メロッツォ・ダ・フォルリの『リュートを弾く天使』という素敵な作品がありますね。リュートというのは一体どんな音色がするのだろう?と想像をふくらませていたわけですよ。そしてダウランドに出逢ったのです。何が好きなのか、どこが良いのか、というのは言葉にして答えることができない。魂が共鳴する、としか言いようがない。



リュートによる『常にダウランド 常に悲しく(J.ダウランド)』おやすみリュート
https://www.youtube.com/watch?v=n56DX6tg4Ek







John Dowland - Can She Excuse My Wrongs|Vivid Consort & David Bergmuller
https://www.youtube.com/watch?v=LB9USv8VYvA







John Dowland | Now, O Now | Lute Song by Les Canards Chantants
https://www.youtube.com/watch?v=5l6jF8v_Wus







ダウランドは作品が多いので動画のリンクを貼り出したらキリがないのでそろそろヤメにしておきます。ああ、これが絵画で見てどんな音色なのだろうかと想像を膨らませたリュートの響きなのか、としみじみと感動しつつ、ダウランドの作品がたたえる憂いと悲しみに私は深い喜びを見出すのであります。

ダウランドはイングランドで宮廷リュート奏者になりたいとの願いを抱いていたけれどその夢は叶わず、失意のうちに大陸に渡って転々とし、やがてデンマーク王のもとでリュート奏者の地位を得た、などという割と可哀想系な来歴を聞くと


なるほどねえ
そりゃあ、作品もこうなるよねえ


と納得したりする訳ですが、私の勝手な想像ではダウランドは「作品は暗いけど実際に会ってみると人物的にはけっこう陽気なタイプ」だったんじゃなかろうか、と思ったりするのです。なんとなく私自身と重ね合わせてしまうというか、ダウランドは私と似たようなタイプの人間だったんじゃないか、と妙な親近感を一方的に抱いているのですよ。

という訳で、ここ数日なんとなくブリテンに思いをはせている私が、作曲家でリュート奏者のダウランドをたまらなく好き!という「秘めたる思い」を赤裸々に告白して今日はおしまい。やっぱり、ブリテンには何か私をとらえて離さない不思議な魅力があるんだよなあ。










#32
2024年(令和6年)4月28日(日)
「ゴールデンウィーク遠足計画、意表をつく」


いよいよ連休開幕であります。既に書きました通り、私は「天候が良いときに実施する1号作戦:よこはま動物園ズーラシア訪問」および「雨天でも決行可能な2号作戦:渋谷区のコミュニティバス『ハチ公バス』に乗って車窓の風景を楽しむ」という、ふたつの遠足プランを用意してこの休暇を待ちわびておりました。

先日、これらの極秘プランをハマっ子の友人にひっそりと打ち明けたところ


「連休中のズーラシアは凄く混雑するから、動物をじっくり見たいならヤメておいたほうが良いよ」


と簡潔かつ的確な助言を頂戴したのであった。実際、ズーラシア公式サイトのトップページでも「GW御来援予定のみなさまへ」という見出しで大変な混雑が見込まれることを大々的に告知したうえで「できるだけ公共交通機関をご利用ください」と呼びかけています。聞くところによれば例年ゴールデンウィーク中はマイカー勢が殺到するため周辺の道路はすさまじい渋滞が発生し、収拾がつかないレベルの絶望的状況に陥るとのことです。



公式の告知


公式サイトには「大変混雑」のオンパレード




まあ、そりゃそうですよね。どんなに駐車スペースがあろうとも皆がイッキに殺到したらパンク状態になります。そして当然、園内も大混雑になります。当たり前の話です。

このタイミングしか休みが取れないという人ならまだしも、その気になればいつでも行かれる身であるのなら何も大混雑が確定している動物園にあえて突入する必要はない。たしかに「おっしゃるとおり」でありまして、家族がいないばかりか毎日が基本的にフリー状態の私は「連休中のズーラシア遠足」というプランにこだわる理由があるはずもなく、サクッと取りやめを決めたのであった。

そして、その発想で行くなら「ハチ公バス」もわざわざ人出の多い連休中に乗りに行く必要は皆無であります。人がごったがえしている混雑の中に行って楽しいことなど無いのであります。うむ、これはもう実行する日はすいている日を選んだ方が遥かに良いな、ということで最終的には当初思い描いていた「連休中の遠足プラン」を取りやめ(延期)にしたわけであります。

目的地としてはキープするけど、行くタイミングをずらす、ということです。

ふだん仕事に追われて忙しい毎日を送っていて「家族そろってお出かけできるのは連休しかない」という世の中のお父様方には同情を禁じ得ません。身も心もヘトヘトになって休みの日ぐらいは家でノンビリしたいなあ、と思っても子供から「ズーラシアにつれてって」と言われたら断れるはずなどあるまい。ルンルン気分の妻子をのせて朝から車を運転せねばならぬ。なんと過酷な生活であろうか。動物園で遊び疲れた妻子は帰りの車では眠ってしまうであろう。そんな中「ああ今日も疲れたなあ」とヨレヨレな本音を包み隠して、家に帰り着くまで渋滞しまくる道をひとり黙々と運転するしかないのだ。『男はつらいよ』っていう映画シリーズのタイトルじゃないけど、私は世の男性の日々のたいへんな苦労を想像してしまうというか思いを馳せては


みんなをゆっくりさせてあげたいよなァ


と、しみじみと思わずにいられないのであった。「男はつらいよ」って言われたときに「何言ってんの?女だってつらいよ!」とケンカ腰で語気を強めて条件反射のように叫んでしまう女は「ひとの話を聞こうとしない」「まずは自分の主張を先に出す」「相手の身になって考えるという想像力が足りない」と私は思うのよね。みんなそれぞれ事情があって人知れずつらい思いをしているのは当たり前であって、その前提に立ったうえで


「男はつらいよ」


っていうフレーズを「いつくしみと愛、そしてまごころ」で受け止めるぐらいの「器(うつわ)」というか「度量」というか、自分自身の内側にやわらかいクッション素材をもっていたいなと思う次第であります。私は必殺技としての「毒」はもってるけど、ふだんの心のありようとしてはギスギスしていたくはない。

ズーラシアの話に戻りますが、皆様は公式サイトで園内の動物を紹介しているページはご覧になったことがおありでしょうか?ズーラシアの動物写真はなかなかに良いですぞ。ぜひご覧いただきたい。

まあ、どこの動物園も園内で展示している動物の紹介ページは当たり前のように存在します。決して珍しい物ではありません。ズーラシアの何が素晴らしいかと言えば、動物の正面顔を撮影した写真を掲載しているのであります。まさに「卒業アルバム」みたいになっているのです。



園内動物紹介

正面顔の写真が掲載されている







紹介は続く


どう見ても卒業写真じゃないですか




こんな感じでズラーッと動物の写真が並んでいるのがズーラシアの公式ページであります。世界中に動物園はあるけれども、動物を紹介するために写真を掲載する場合は全身像が見えるものを使うのが一般的、というかそれが王道というか逆にそうしないと情報としては不十分のそしりを免れないはずです。

しかしズーラシアだけは正面顔のアップ写真という前代未聞の手法を用いているのです。こう言ってはナンですがオオアリクイの正面顔というのは私のようなオオアリクイ好き(言い換えればマニア)でなければ興奮するわけがなくて、世の中的にみるとニーズは限りなくゼロに近いのです。しかし、それをあえてやっているのがズーラシアの唯一無二、世界においても比類のない超絶技法なのであります。

そしてやっぱりどうみてもこれは「卒業写真の世界観」であって、私の頭の中にはユーミンのあの楽曲が流れてしまい動物たちに対する懐かしい思いやオオアリクイに対してあふれる恋心が清純にあふれまくってしまうという胸キュン案件なのであった。

ということで、気になった方はぜひズーラシアの公式サイトを訪ねていただきたいと思います。


よこはま動物園ズーラシア(公式)※動物紹介のページをごらんください
https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/zoorasia/


この「卒業アルバム方式」で動物紹介ページを作成したスタッフの方はかなりのやり手というか達人というか偉人です。発想が凄いですし、それにGOサインを出した上層部の判断も好感が持てます。動物好きとしてはもう殿堂入りさせたいレベルの見事な業です。私は気持ちとしては表彰したいぐらいなんですけど私には何の権威も無いので、せめて多くの方にこのズーラシア公式の素晴らしさを伝えて今日は終わりたいと思います。

連休が明けてから、あらためて平日に時間をつくってズーラシア遠足は実現したいと思います。梅雨に入る前の良い季節を存分に味わっておきたいですね。

かくして私は連休は完全に予定なっしんぐのヒマ人と化した次第であります。たぶん、部屋中のぬいぐるみを押したり引いたりして遊んで終わるのだと思います。何かやれよ!と言われそうですが去年買ってそのままになってるガンダムのプラモデルをつくるのも面倒だし(←目が疲れるから細かい作業をしたくない)、急ぎの用事も無いし、とりたててすることはナンもないっすわ、マジで。











#33
2024年(令和6年)5月2日(木)
「ひざ&すね用のプロテクター」


今日はコミネのプロテクターの話。

オートバイ用品の企画、製造、販売を手掛ける会社はたくさんありますが、手頃な価格で良質なウェアやプロテクターをユーザーに提供しつづけてきたコミネは安心の日本ブランドの代表といえましょう。予算が同じなら海外ブランド品よりも3ランク上の製品が買えるほどに「庶民ライダーの強い味方」です。コミネ製品の愛好家は自らを「コミネマン」と名乗るほどに熱烈応援しているぐらいですよ。


株式会社コミネ(公式)
https://www.komine.ac/


今は大陸からコミネの偽物が日本国内に入ってきている(ネット通販などで値段が極端に安い物を買うと痛い目にあう)ほどにステイタスもあがっており、名実ともに実力派の名門ブランドです。

かく言う私もプロテクターやウェア関係、その他小物にいたるまでコミネ製品は多く愛用しております。強いてコミネ製品にケチをつけるなら、ウェア類は同じサイズ表記でも型番によってサイズ感がバラバラなのと、次に私のようなノッポ系デカ女向けのサイズ展開が存在しないという2点です。しかしサイズ表記にまどわされずに試着して自分の体型に合うものを買えば失敗することはありません。これまでコミネ製品を買って後悔したことはマジで一度も無いですぞ。

ここから今日の話題、下半身のうち「ひざ」と「すね」を守る「ニーシンプロテクター」のお話です。

私はオートバイの排気量や走行距離に関係なく「プロテクターを着ける派」でありまして、万一の事態に備えて自分の防御力だけはしっかり固めたうえで運転するのが習慣になっています。公道では何が起きるかわかりませんし、万一事故にあった場合に過失割合はどうであるにせよ怪我をして困るのは自分自身です。学生時代はTシャツ&短パンにビーチサンダルで原付スクーターに乗る、なんてことを平然とやっていましたが今は絶対にそんなことはしません。

自動二輪免許を取るために教習所に行くと「胸部および脊椎プロテクター」と「ニーシンプロテクター」を装着させられます(教習所で貸し出しをしている)。教習を受ける際の義務です。当然のことながら受講生が次から次へと順繰りに使い倒しますので、すね&ふくらはぎに巻き付けるゴムベルトがびろんびろんに伸びきっていたりするのが常です。仕方がないのでベルトを脚にグルグル巻きまくって適当にねじって固定する(教習中に外れなければソレで良いのだ)という感じになります。この、教習所御用達なのがコミネのプロテクターなのです。



コミネのニーシンプロテクター

コミネ公式サイトより画像をお借りしました




製品名は「SK-462 ハードニープロテクター」というものです。定価は税込3,850円、ネット通販などの実売価格は3,000円ちょっとぐらいでしょうか。人間の身体はどこを怪我しても大変なわけですが、万一の事故の際にこのプロテクターでひざとすねが多少なりとも保護されるなら安いものです。ということで免許を取ってすぐに私も同じものを購入しました。

そして10年以上の長きにわたり愛用してきたプロテクターが、さながら教習所の備品状態というかんじでヨレヨレのビロビロになってしまいました。脚に巻き付けて固定するゴムベルトが伸びきっちゃってマトモに固定できない。



私の愛用品

ベルトがびろーん




いくら脚が太かろうがさすがにここまでゴムが伸びきってしまうとどうやってもユルユルになっちゃうのです。強引にグルグル巻きにしてなんとなく装着しても走行しているうちにズリ落ちてきたりする。

私はつねづね「貧乏はいいけど貧乏くさいのはイヤだ」と言っている訳ですが、さすがにこの状態は貧乏くさい。絶望的なレベルで貧乏くさい。誰にも知られぬよう一人でひっそりと走っている時ならともかく、こんなボロいプロテクターを装着している姿を知り合いに見られるのはちょっと勘弁願いたい感じであります。せいぜい3,000円なんだからとっとと買い換えなさいよ!と思いますよね。

なおネット上のインプレ記事などで情報を集めてみるとコミネのニーシンプロテクターとしては上位モデルの「SK-819 CEレベル2トリプルニーガード」という製品のほうが使い勝手ならびに保護性能の面で断然良いそうです。定価は税込6,380円とお高くなりますが「ニーシンプロテクターを買うならケチらずにこちらにしろ」という声が圧倒的多数ですので、私も次に誰かと会うまでにはこちらに買い換えたいなと思う次第です。



上位モデル

SK-819 CEレベル2トリプルニーガード







装着した状態

画像はコミネ公式より引用




特徴としては腓骨(ひこつ)すなわち脛骨(けいこつ)の外側ちょい後方にある細い骨の部分にもプロテクター部分が及んでいる点でしょうか。ちなみにCEレベル2というのはプロテクターの保護性能の高さを表しています。CEというのは欧州で流通・販売するオートバイ用品に義務付けられた規格で、いわば「安全性の証」であります。厳しい基準をクリアした製品だけがCEマーク表示のうえで販売が認可されます。逆にCE評価が付いていない粗悪プロテクターなどを製造して売ったりすると罰せられるのであります。CEにはレベルがあってCEレベル1よりも厳しい基準を満たしたもの(すなわち防御性が高い)がCEレベル2製品ということです。

以上をふまえてプロテクターを買い直すとなれば今まで使っていたヨレヨレ君は「お役御免」になる訳ですが、まだプロテクターの本体部分が使えるのに捨ててしまうのは惜しい気がする。ダメになっているベルト部分だけ交換すれば延命できるのではなかろうか?と思って、私は100円ショップにとんでいった。



ベルト購入

使えそうなベルトを適当に買ってきた




さて、常識的に考えたら「この後、いかにしてプロテクターを修理し復活させたか」というのが重要な話になるのだろうと思います。普通の人間であれば修理の構想、実際の作業の行程、そして結果的に仕上がったものの検証を簡潔にまとめた動画をYouTubeにアップするなり、画像入りで詳細に綴ってウェブサイトに掲載するなり、なんらかの形で公開するだろうと思います。しかしここはモモンガ通信でありまして、


最終的にはダイソーで買った「べんりベルト2倍伸縮」という製品を強引にくっつけてプロテクターを再利用できる状態にしました。以上


という展開で話を締めくくって終わるのであった。修理の内容とか仕上がりとかを晒す気はさらさら無いのであります。だって、考えてみてくださいよ。


1. プロテクターのベルトが使い物にならなくなった
2. まだ捨てるのは惜しい
3. 100円ショップのゴムベルトに付け替えて目的を達成した


という話だけなら「随分と貧乏な話だなあ」で済むわけですよ。しかし、その内容を詳(つまび)らかにして仕上げた再生プロテクターの「幼稚園児の工作レベル」な画像をネットに晒すなんていう行為に至るとしたらホームラン級の恥さらしであり、一瞬にして「貧乏くさい話」に成り下がってしまうのであります。しつこく繰り返しますが私は「貧乏はいいけど貧乏くさいのは絶対にイヤ」ですから、断じてそのような姿を見せるわけにはいきません。

最終的にできあがった再生プロテクターは見た目のダサさ以外は実用上なんの問題もありませんから、一人でこっそりと原付を運転するときに使おうと思います。人目につかないところで隠れて装着する背徳感(←なのか?)を堪能しながらあと数年は使い倒そうと思います。万一事故を起こして救急搬送されたらこの恥ずべき行為、激しくダサい貧乏プロテクターを装着していた真実があまねく世間に知れ渡ってしまう、と思えばただならぬ緊張と恐怖に包まれるわけで


これまで以上に安全運転


を心がけることができるのではなかろうか。それは結果的には世の為、人の為、社会の為にプラスに作用するわけだからヨシとしようではないか。

さーて。それでは、他人に見られても恥ずかしくない新しいプロテクターを買ってきましょうかね。










#34
2024年(令和6年)5月6日(月)
「とある原付マンのヘルメット選び」


今日は原付に乗る時にかぶるヘルメットの話です。

私の自動二輪生活は、学生時代に車の運転免許を取得してオマケで乗れる原付スクーターを入手したのが出発点です。

原付とはいえ安全第一、エゾモモンガは顔が命ということでフルフェイスヘルメットを選びました。当時はみんなヘアスタイルが崩れるのを嫌って半キャップタイプのヘルメットを後頭部にひっかける程度(おさわりまんから注意はされるけど違反扱いにはされない)で済ませるのが主流でしたから「お前、たかが原付でフルフェイスかぶるとか強盗かよ」などとバカにされたものです。

しかし事故でも起こして顔面ヒットもしくは「路面ですりおろし」なんてやらかしたらシャレになりませんから、私は防御最優先でフルフェイス以外の選択肢は無いと思っていました。

この「防御力最優先フルフェイス原理主義」というポリシーを自動二輪免許取得後も頑なに守っていたのですが、ここ十年かそこらで夏の暑さがちょっと考えられないレベルで厳しくなりました。私の子供の頃は「熱中症」という言葉は無かったのです。夏の炎天下で倒れたり体調を崩したりするのは「日射病」と呼ばれていました。

実際に真夏にツーリングをしていて熱中症の危機に瀕した経験は何度かあります。ひとたび走り始めてしまうと、わざわざ停まってそのたびにヘルメットをぬいでドリンクを口にする、という動作が億劫になり、つい後回し・先送りになりがちです。熱中症は「ノドが乾いた」と感じた時はすでに手遅れなどと言いますが私も運転中に意識が朦朧となったり、いきなり脚(ふくらはぎ)がつったり、あからさまに熱中症とわかる症状で危険な状態を迎えたことが多々あったのです。

夏の走行中に「ヘルメットを脱ぐのが面倒くさい」という理由で給水を後回しにして自滅、あわや一大事!という経験をくりかえしてようやく


「暑い季節にはいちいち脱がなくても飲み物を口にできるタイプのヘルメットの方が良いのではないか」


と思うに至り、頑なに貫いてきた「フルフェイスひとすじ」のポリシーを捨ててジェットヘルメットを購入したのであります。どうせ夏しかかぶらない、という謎理論を根拠にして予算をケチり、リード工業のSTRAXという製品を選びました。実売価格は1万円するかしないか、という程度。ヘルメットとしては「安物」の部類に入ります。



ジェット

人生初ジェットヘルメット




結論から言いますと顔面保護性能の不安を感じたのは最初だけで、実際にかぶって走行してみたら非常に便利で快適でした。フルフェイスヘルメットよりも視界が広いし、脱着のたびにメガネをいちいち外す必要も無いし、そして当初の目論見通りかぶったまま水分補給ができるのは最大の魅力です。熱中症を防ぐには「むしろ安全に寄与する適切な装備」だと言えます。これは実に良い物だぁ。

ということで私は真夏の過酷な暑さに押し切られるかたちで「フルフェイスひとすじ」という流派から鞍替えした次第です。



愛用中

ヘルメットなんざぁ好きなのかぶったらエエよ







冬でも使う

原付自転車との相性も大変よろしい




このジェットヘルメットを愛用してきたのですが、つい先日まるっきり同じものをかぶったスクーターおばちゃんに遭遇しました。その後ろ姿というか後ろ頭、もっと具体的に言うならヘルメットの柄(がら)が正直ダサく思えてしまったのです。夢見ヶ崎動物公園のシマウマを連想しちゃったのよね。

誤解をされても不本意なのであえて断っておきますが決して動物としてのシマウマをこき下ろそうという意図はありません。むしろ愛すべき動物であり個人的にはシマウマ大好きです。ナチュラルにあの縞模様というファッションセンスは素敵としか言いようがなく、シマウマを愛する理由はあっても憎む要素などひとつも無いのであります。

ただ、ヘルメットの「後頭部だけがシマウマくん」という状態はお世辞にもカッコよいとは言えず「自分も傍から見ればあんな感じなのか」と思ったらちょっとかぶるのがイヤンな気持ちになってしまったのよ。しょうがない。誰のせいでもない。

かくして「良いジェットヘルメットはないかな?」とリサーチをするべくバイク用品店に赴いたのであった。

ヘルメットに限った話ではないのですが、ここ数年でバイク用品も激しく値上げしているのであります。タイヤなんて去年は2回も価格改定があった。ヘルメットに関しては日本の名門メーカー "Arai" と "SHOEI" はどちらも逆上するレベルに価格上昇してしまい、おいそれと買えない「超高級品」になってしまいました。第三の存在という感じで台頭してきた "OGK Kabuto" も以前は「価格の安いメーカー」だったけれども今はブルジョワ価格の上等品扱いになっています。

私はこの "OGK Kabuto" のヘルメットが頭の形状に合っているようで、いくつか試着させてもらったところ一番気に入ったのはカブトの "EXCEED" というモデルでありました。在庫限りということで値引きされているものもあって、かなり心が動きました。



EXCEED

あれ?これもシマウマくんっぽい気がする(泣)




店員さんに話を聞いてみると、このEXCEEDというモデルは年内に新型が出るとの情報であった。春のモーターサイクルショーなどで発表されていたんですって。ヘルメットごときで最新型を欲しがるのはあまりにも物欲に支配され過ぎな人生という気がしますが、すでに公式でもアナウンスされているEXCEED-2がカッコよいので「その発売を待った方が良いのではなかろうか」という空気がたちこめたのであります。



エクシード2

シールドの下のスポイラー的な部分がそそる形状じゃないですか




ということで「助さん格さん、もうしばらく様子を見ましょう」というセリフを発する水戸黄門状態になった私はいったん帰宅したのであった。

そして家でぼんやり考えたのですが、私みたいな最高時速30キロの原付マンはそれほどの上等品は要らないんじゃないか?という気持ちが正直アリクイ。オオアリクイ。

「ヘルメットの値段は命の値段」とかいう言葉があるけれども、それを言ったら私には今使ってるリード工業の「シマウマくん」がちょうど釣り合いが取れているような気もする。リード工業の安いモデルはホームセンターや「驚安の殿堂」の店頭に並んでいるため「ホムセンメット」などと呼んでバカにする風潮がありますが、きちんと認証を受けSGマークおよびPSCマークのついた信頼の品質で何の不都合もありません。財力の弱いビンボ人にとっては強い味方であり、ヘソ曲がりの私としては却って応援したくなっちゃう。


株式会社リード工業(公式)
https://www.weblead.co.jp/


製品情報のページでヘルメットを見ていただくと一目瞭然、盤石のラインナップではないか。こうしてみると「シマウマくん」もいい感じに思えるんだよなぁ。後ろから見るとシマウマだけどナナメ前から見るとイカしてるんだ。ということで今回の原付マンのチョイスはこちら。



SERIO

リード工業のセミジェットよ




セミジェットというのは「かぶりが浅い」お気楽タイプでありまして、排気量125cc以下用と明記されております。個人的にはよりいっそう原付おばちゃん風味をたたえる「ストリート アリスQJ-3」というレディースモデルを選びたかったのですが、あまりにも小サイズすぎて私のデカ頭には刺さりもしなかったという悲しい歴史が刻まれました。モデルさんみたいな8頭身レベルの小顔の子じゃないと絶対かぶれないでしょアレ。

色は血迷ってガンメタリックを選択。今回はステルス性を優先しました。



試着

これは良いものだ




ガンメタというとR32スカイラインの2ドアGTS-t Type Mを思い出して嬉しくなるのであります。歴代のスカイラインのなかで一番好きでした。当時、日産と言えばボディカラーはKH2ガングレーメタリック、という流行があったのです。マジで闇夜にまぎれる色。

さてリード工業について誰も知らない魅力をここに記したいと思います。端的に言いますと、カタログ表記よりも実物の方がだいぶ軽いのです。この点は古今東西あらゆる資料をひもといても言及した人はただの一人もいないのであります。

たとえば今回購入したSERIOっていうセミジェット、公式サイトでは重量を「約1,000g」と非常にアバウトな記載をしています。しかし実測してみるとわずか967gしかありません。実測値はカタログ値よりも若干上回るケースが多いのですが「カタログ表記よりもだいぶ軽い」というのは稀です。

ちなみにこれまで使ってきた「シマウマくん」ことSTRAX SJ-9というジェットヘルメットは公式サイトにて重量を「約1,400g」とうたっていますが、実測値はなんと1,317gです。いやそれ「約1,300g」と名乗っても世間では許されるレベルですよ。

車のカタログ燃費があんまりアテにならない、実際に走らせてみると航続距離は理論値より短いというのはよくある話ですがリード工業のヘルメットはマジでカタログ表記よりも実物の方が軽いです。通常と逆のベクトルで詐称しているのです。素晴らしい!!これまで3種類買って3個ともそうだったのだ。間違いない。

それにつけても967gのヘルメットというのは実に軽量であります。そして実際に走行しても快適であります。ヘルメットに関しては、たとえ数値上は重たくても重量バランスが良く空力特性にすぐれた製品はそれほど負担に感じないケースがあります。しかし最高時速30kmの原付の場合は絶対的な軽さがストレートに効いてきます。「シマウマくん」の実測1,317gというのも相当に軽い部類ですが、967gのセミジェットの軽さは異次元レベルであり、私みたいに頸椎を痛めている人には非常にありがたい仕様と言えます。

このように、私は他人から「ヘルメットは何がヨイ?」って訊かれたら「悪い事は言わないから防御性能を優先してフルフェイスをかぶりなさい」と答えるくせに、自分はひそかに軽量なセミジェットで済ませるのでありました。要するに何が言いたいかといえば


「自分で判断」


というのが人生においては重要なのよ。自分で学んで経験して、お金も使って、他人から何を言われようともブレることのない自分なりの確固としたモノサシをつくりあげて持つことが大事。他人の評価なんてアテにならないものを気にしてばかりいたら自分の奥行きが深まらないではないか。そんな生き方では一生かけても真実(もしくは正解)に近づけない。極端な話、仮にヘルメットの良し悪しを「多数決」で語っても事実上無意味でしょ。自分にとって最良のヘルメットを本気で探そうと思ったら、他人の意見や評価は何の価値もなくなるのです。自分で判断して自分で決めるしか正解はないのです。情報収集と称してスマホなんてカマボコ板みたいなものといくら睨めっこしてレビュー記事をあさったところで、自分自身にとっての正解には永遠に辿り着けません。

人生において自分にとって何が正解か、それは自分で考えなければいけないのです。

あ、なんか今日は今年に入っていちばん真面目な結論を語った気がする。と、自己満足にふけって今日の話はおしまい。










#35
2024年(令和6年)5月10日(金)
「體育推進運動その2 慢性的運動不足解消にむけてプロジェクト始動」


今日のネタは4月16日付で掲載したのモモ通の話の続きであります(このページの上の方にスクロールしていただくと載ってます)。そのときは


「體育推進運動 ボールを用いてリハビリ開始&右投げ転向へ」


と題して、左腕のリハビリ用にニギニギするやわらかボールを入手した内容を書きました。この、左手でボールをニギニギ運動は地味に続けております。開始してまだ20日程度ということもあり「劇的に左腕の状態が改善した」という実感はありませんが、何もしないでいるのに比べたらリハビリ効果は間違いなくあります。実際に「夜に左腕の違和感がしんどくてなかなか眠れない」という状況は脱しているのであります。測定したわけではないけど握力も改善しているだろうと想像します。

別に左手の握力を爆裂強化して筋肉ムキムキになる必要など無くて、食事の時にちゃんと茶碗が持てるレベルまで戻ればよいのであります。個人的にはフルートを構えて演奏ができて、あとはオートバイのクラッチレバー操作に支障がないところまで回復すればヨイぐらいに考えています。それ以上は全く望んでいません。

それでもボールを手にしていれば「投げてみたくなる」のが人情であります。プロ野球のペナントレースも開幕したし、何よりも我らがDeNAベイスターズのエースだった今永昇太投手が今季からメジャーに挑戦しカブスで大活躍しているのを目の当たりにして、私の内側においても謎の活力がみなぎってきました。

良い機会だから、そろそろ右投げの練習をはじめようではないか。

私がやろうとしているのは「慢性的な運動不足」を解消するという事です。恥ずかしながら告白しますが、ふだん全く身体を動かしていません。30年仕込みの腰痛でスポーツどころではないし、股関節が悪いから歩くのもシンドいし、そのうえ今は交通事故の後遺症で左腕は悲惨な状態です。運動しろ!と言われても無理です。しかし、そうは言ってもこのまま何もせずに過ごしていたら「ロコモティブシンドローム」は悪化の一途をたどるのは明白だし、行きつく先はアッチが痛いコッチが痛いと年がら年中グチっている糞ババアになる未来しか見えません。

そこで、ひとまずはカチンコチンに固まっている身体全体をほぐすイメージで、全身をゆっくりと大きく柔らかく動かすような習慣を身につけようと思っているのであります。その昔「太極拳」を習いに行っていた事がありますが、あんな感じで身体を動かして気分もスッキリしたいと思うのです。

ただお察しのように私は「運動の為の運動」は大嫌いで会費を払ってジムに通って身体を痛めつけるなど馬鹿馬鹿しくて絶対にやりたくないですから、趣味と実益を兼ねた「おもしろ系」の遊びじゃないと続くはずがありません。運動が嫌いな奴には傍からなにをアドバイスしても無駄なのです。天邪鬼だから強く勧められたりすると余計に反発してヤル気をなくすという面倒くさい性格です。しかし、それでも「武蔵小山のベイスターズおばさん」の異名をとる身としては、やはり野球、ここで右投げに転向するというのが良いと思うのよね。投球のフォームをゆっくり繰り返すことで身体全体を動かそう(そしてそのツイデに右腕で球が投げられるようになればバンバンザイ)というのが私の立てた作戦であります。そう、自分がチャレンジしたいと思うことをやるのが一番大事。



野球

やっぱ野球よ




さて、我らが品川区には大小とわず公園がいくつもありますが、おおむね「ボール遊びは禁止」という感じになっております。野球なんてもってのほか。バットやゴルフクラブで素振りなど厳禁です。基本、公園内でなんらかのスポーツを本気でやるのは許されないという原則でしょうか。ちょっと話はそれますが現代においては子供が公園で遊ぶ声がうるさい!とか言うクレーマー(?)もいるらしいですよ。私が子供の頃には当たり前にあった様々な遊具、たとえば球状のジャングルジムみたいな回転遊具なんかが「危険」という扱いで全部撤去されてしまいました。高いところに登る系の遊具は何一つ残っていません。そこまではなんとなく理解できるけど「砂場は不潔」とかいって無くなったりとかするのを見てると子供は何して遊ぶんでしょうか?という気もする。何のために公園が存在しているのか意味がわからない。

しかしですね、調べてみると区内には「キャッチボール可の公園」がいくつかある事がわかりました。


キャッチボールができる公園の案内(品川区公式)
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/PC/kankyo/kankyo-park/kankyo-park-shitsumon/20190527192644.html


五反田マンとしては「旗の台広場公園」というのがアクセス良好です。東急池上線の「旗の台」駅のすぐ近くにあり、上記サイトにてキャッチボール場の広さが「38メートル×26メートル」と記載があります。ここが区内で一番デカい「キャッチボール場」なのです。え?あのへんにそんな広い場所あったっけ?どんな所なのか気になったので、さっそくボールを持って偵察に行ってきました。



キャッチボール場

マジで駅から5分で到着




しっかりフェンスで囲まれたキャッチボール場であります。出入口はうまいぐあいのデザインで、段差があるのと通路が狭く直角に侵入しないといけないため人間はスルリと出入りが可能だけど、たとえばオートバイを持ち込んで公園の中で騒ごうと企むバカなどは容易に侵入できない設計になっています。こういうのでいいんだよ。でも今は自称「人権派」がうるさい時代だから、これは車いすの人に対する配慮が足らない、差別だ!とか騒ぐ奴が出てきてもおかしくはないね。

・バット使用禁止
・ゴルフ禁止
・早朝と夜間は禁止

と書かれているルール。いいねえ。非常にシンプルじゃないですか。端的に言えばキャッチボールのみが許された空間でありまして「バットで素振り」とか「広さを活かして守備位置について野球ごっこ」とかはダメなのであります。



広い

めちゃくちゃ広い




公式サイトで規模「32メートル×16メートル」を謳っていたけど、実際に訪ねてみたら広すぎて笑った。いったい何組が一斉にキャッチボールできるんだよ!「キャッチボール大会」が開催できるレベル。ここが満員御礼になる状況がまったく想像できない。



フェンスとネット

高いフェンスと頭上のネット




公園は四方を三階建ての建物ぐらいのフェンスで囲まれており、しかも頭上にはネットが張り巡らせてありました。Superワイルドピッチをしても公園の外にボールが出てしまう心配なっしんぐです。すごいっすね。こんな空間はじめて見ましたよ。



ルール

園内に掲示されたルール




より詳しい利用ルールが掲示されていました。なるほどね、小学生までならサッカーもOKというのは良いね。仮に大きく高く蹴っても頭上にはりめぐらされたネットが効いて場外にボールがふっとんで行くことは無かろう。ここはあくまでもお気楽なキャッチボール場であり、イメージとしてはお父さんと子供がキャッチボールを楽しむレベルを想定しているのであって、草野球を本気出してやる大人なんかは正式な野球場に行ってくれ、という事でありましょう。

私はここで「ひとりシャドウ・ピッチング」をすれば良いのであります(だって実際にキャッチボールする相手がいないんだもん 涙)。という感じで私は持参したボールを右手に、ゆっくりとした動作で投球するイメージ・トレーニングをはじめたのであった。うむ。やっぱりいつもと反対の手で投げようとするとナンか変な感じがしますね。まっすぐ投げられる気がしない。

しばらく投球の動作をしていたら汗がでて身体もヘタってきました。ふだん全く身体を動かさない生活を送っているものだからスタミナ切れも早いのであります。たかが「エアー投球」でこんなに疲れるのか、と思いつつ木陰のベンチににじり寄って給水タイムとしました。いやーコレでは1イニングも持たないわ。アウトをひとつも取れないままボコボコに打たれてたちまち四失点、みたいな感じのイメージが湧きおこってきたので


「うむ、今日はこれぐらいにしてやるか」


と満ち足りた気分で撤収準備に入ったのであった。どうせなら、ボールだけじゃなくてグローブも欲しいような気分になって来たヨ。そして気づけばいい感じに全身がヨレヨレにほぐれて気持ちよくなって帰宅し、お風呂から出たあとは適度な疲労感に包まれてヨダレのたれそうな睡魔におそわれ、サッサと寝てしまった次第。結論としては、慢性的な運動不足マンにとってはキツすぎることもなく、それでいて楽しい時間を過ごせて総合的に考えるとなかなか良い運動なのではなかろうか。

いやー、これで本当に右手でボールが投げられるようになったらマジで私の時代が来ちゃうような気がする。将来、私もカブスの今永投手みたいに活躍しちゃう日が来るかもしれない。そんな私を誰が想像したであろうか。地道な練習を積んで10年後には先発ローテーションの一員としてチームの優勝に貢献しちゃってるかもしれないじゃん(←謎の妄想がふくらみ中)。モテ期がきちゃうかもしれないなぁ。うわぁそれ困るなぁ。

かくして慢性的な運動不足を当たり前にしていた私がなぜかピッチング練習に目覚めたという衝撃的な近況を激白して今日はおしまい。いやー、人生って本当にいつ何が起きるかわかりませんな。










#36
2024年(令和6年)5月14日(火)
「久しぶりにカメラを引っ張り出した」


私は原則的にプライベートな部分をネットに晒す気は無いのですが、久しぶりに写真に撮った自分の顔があまりにもイケメンだったのでこっそりとアップすることにしました。

そもそも、運転免許証を更新するたびに写る顔写真が「アンデス山中にひそむボリビアの反政府ゲリラ」みたいな様相を呈してしまう私としては50年に一度撮れるかどうかというレベルのベスト・ショットであります。もしも将来、なんらかの教科書に私の肖像画が載るとすれば間違いなく採用される奇跡の一枚と言っても過言ではありません。私本人としても割と真面目にこれは「遺影」にしたいと思う仕上がり。

もったいぶってないで載せてみましょう。はい。



じがざう


著者近影




凄くリアルなセルフ・ポートレイトが撮れてしまいました。日常の私そのものが、ありのままに写っております。映画『イージー・ライダー』のワイアットみたいであります。これは近年まれにみる最高傑作と言えましょう。

今どきのテクノロジーを駆使してAIを使えばこの画像から生々しい私の小野小町っぷりがリアルに復元できちゃったりするんでしょうか。この、あまりにも私の特徴を端的に写しきってしまった伝説的画像をモモンガ通信に載せてしまったことにより「デジタルタトゥー」と化してネット界に未来永劫残ってしまうと考えると笑いが止まりません。300年後の世界で私が発掘・再評価された暁にはこの画像が正式な肖像画として採用されると思うと「ざまあみろ」という気分で実に痛快であります。

という訳で今日は久しぶりにカメラを持ち出した話をしようと思います。

交通事故で左腕をやられてから一眼レフを持ち歩くガッツが失せてしまったのであります。何しろフルートも構えられない現状ですので、カメラなんて重たいものを左腕で保持するなんて考えるだけでイヤです。カメラボディとズームレンズ2本(標準ズームと望遠ズーム)をバッグに入れて背負って出かけるとか何の罰ゲームでしょうか。そんな苦役は心の底から勘弁願いたい、もう全部スマホのカメラ機能で済ませてしまいたいのであります。

しかし動物園に行くとなると望遠レンズが無いと話にならないのであります。フィルム写真の時代には「超広角レンズ一本だけ装着して被写体をみつけると駆け出して至近距離まで間合いを詰める」という流派がいましたが現代においてそんなスタイルを貫いていたら通報されるのではないでしょうか。今はその場に立ったまま何も考えずにズーム機能で構図を決めてパチリ、という撮影技法で全部済ませる人がほとんどでしょう。デジタル加工技術であとから画像処理はどうにでもなりますからね。

結論からいいますと今はLUMIX FZ70という高倍率ズームレンズ搭載の中途半端なカメラをメインで使用しています。スマホじゃ物足りないけど一眼レフを持ち出すのは億劫、という現在の私にはジャストフィットしております。距離の表示がメートルではなくフィートであったり、メニュー画面で指定できる言語が英語とスペイン語のみという変人用仕様となっているため、売りたくても買い手がつかず保管していたものです。マニア魂全開だった頃には中途半端カメラに思われたものですが、自分自身が中途半端な人間になってからはこのカメラが丁度よくなりました。あえて入手して保管していた過去の自分を褒めてあげたいです。

連休も明けたので動物園にれっつごー。ズーラシアはまだ行ってません。行けば間違いなく売店に吸い寄せられて「けだものグッヅ」を買いたくなるのは確実ですから、ズーラシアに行くならそれなりにお小遣いを用意しておきたいじゃん。今はビンボ状態だから無理っす。

大丈夫。我々には川崎市の「夢見ヶ崎動物公園」がある。東急東横線の「元住吉駅」から徒歩約30分(距離にして2kmぐらい)ですから、すぐそこです。



レッサーパンダ

かわいいなあ




レッサーパンダは割と多くの動物園にいるので嬉しいですよね。めちゃくちゃ可愛いにもかかわらず、会いに行くのにあまり苦労しなくて済む。日本国内での飼育頭数はかなりの数になるだろうと思います。みんなに愛される素敵な友達ですよ。



フンボルトペンギン

こちらも愛されキャラ




そのむかし、サンシャイン国際水族館(当時)のZOO ZOOハウスで暮らすミナミコアリクイのタエちゃんが最初の脱走事件を起こした時に、なんとタエちゃんは隣のペンギンビーチで多数のペンギンに混じっているところを発見されるというおそるべき結末を迎えたのでした。脱走したアリクイをペンギンがかくまっていたという衝撃の事実によって日本全国のアリクイファンがペンギンに足を向けて寝られなくなったという事件であります。私もあれからペンギンには恩義を感じていて頭が上がらないんだよなあ。



リャマ

ふるさとアンデスの旧き友




リャマ(ラマ)は南米のアンデスに暮らす私のなつかしき友であり、「アルパカ」「リャマ」「ビクーニャ」は3点セットでお得な私の家族であります。夢見ヶ崎で暮らすリャマの「タイタン」は本当にいい奴なんです。会いに来てくださいよ(←おまえ何様だよ)。



マーコール

私のイチオシ、マーコールさん




夢見ヶ崎のよろこびポイントはやっぱりマーコールが見られる事ではないでしょうか。日本でマーコールを飼育している動物園は6つしかありません。上野にも多摩にもいないんだZE。マーコールに会いたくても近くに会える動物園がない、という人が日本全国にどれだけいるでしょうか。そう思うと感謝しかありません。産めよ増やせよマーコール。個体数をビシバシ増やして日本中の動物園に勢力を拡大したいと思わずにいられません。



シマウマ

シマウマくん




我々は馬というとついサラブレッドの美しい姿を連想してしまう訳ですが、通はやっぱりシマウマですよ。この、頭がでっかくて首が太い感じが超かわいい。なかなかどうしてポップな柄ですよね。ボディと脚で「縦じま」「横じま」がうまいぐあいに入れ替わるカラーリングはなかなかのセンスを感じます。ちゃんと耳まで柄が入っているのもポイントが高い。我々としては耳に経文を書き忘れた「耳なし芳一」の悲劇を知っていますから、しっかり耳まで仕上がっているシマウマを見ると「さすが、わかってるなぁ」と思うのであります。



プレーリードッグ

ちょっとピントが甘いけどいいや




プレーリードッグって可愛いよね。プレーリードッグと言えば立ち上がってる姿が印象深い。ふっくらしてもっこりして、子供の頃から大好きですよ。でも実際はけっこう獰猛(どうもう)だし割とヤバめな感染症を媒介したりするので、ただ「見た目がかわいいから」などと安易に考えて近づいてはイカンのだった。動物園で飼育しているものを遠くから眺めているぐらいがちょうどいいんだ。

夢見ヶ崎公園は動物園に注目するだけでも非常に素晴らしいスポットと断言できますが、まずもって第一に加瀬台古墳群という史跡であり、室町時代後期の関東を代表する武将である太田道灌(おおたどうかん)ゆかりの地であり、そして天照皇大神をまつる神社と浅間神社と熊野神社があり、さらには寿福寺と了源寺というお寺もあるという濃密な空間であります。奥深さがハンパではない、まことに有難い場所といえましょう。



夢見ヶ崎

おすすめです




このような次第で現時点の自分には本腰を入れた上等なカメラなど必要は無くて、旧式の中途半端デジタルカメラで充分すぎるほど満足できることを再認識したのでありました。もう私自身が趣味としてのカメラ遊びを卒業しちゃったんだろうな、と実感する次第でありました。このカメラが寿命を迎える頃には、もうあえて写真を撮ろうというガッツすら無くなっているかもしれませんな。ファインダー覗いているよりも肉眼で動物の動きを追ってるほうが楽だし愉しいもんね。

ということで満たされて帰宅した私の表情はこんな感じになっております。



にっこりマーコール

うふふな気分




改めて考えると私は幼児の頃からずっと動物園が好きで、あれから全く成長していないのだなって思った。










#37
2024年(令和6年)5月18日(土)
「なんでもかんでも他人を莫迦にして見下す風潮」


Xのトレンドで「チャリカス」「チャリンカス」という言葉があがっていました。そもそも「Xのトレンドって何?」って思ってしまう人がいてもおかしくはない。「かつてツイッターと呼ばれたSNSが現在はXという名に変わってSNSとしてのサービスを行っており、その利用者のあいだで盛り上がっている話題がトレンドと呼ばれるのです」という感じでしょうかね。

チャリカスもしくはチャリンカスというのは何かと思って調べてみたら、どうやら周囲に迷惑をかけるような自転車の運転をする人を「カス(滓、糟、粕、残渣)」扱いして呼ぶ蔑称でありました。

いわゆる「かす」とは、ざっくり言えば何かの原料と不要な成分を取り除いた後に残る不純物やあまりの部分。 絞り残りなどを指しますが、これが転用されて「いらない部分=劣等物」みたいな意味合いを含んでいます。

要するに交通ルールを守らず身勝手で迷惑きわまりない乗り方を日常的に行い、多くの人に不快な感情を抱かせるクズな自転車乗りを「チャリカス」と呼ぶようです。

かつて熱烈な自転車愛好家だった私は自転車を「チャリ」とか「チャリンコ」とか呼ぶのは非常に抵抗があり、原付自転車を「原チャリ」「原チャ」と呼ぶのも「他人が呼ぶのは全く気にしないけど自分では決して口にしない」というスタンスをとっています。「ママチャリ」という言葉も自分自身にはすごく抵抗があり「快走車」と呼んでいます。「快走車」は死語と化しており、いつごろからなのか「軽快車」という名称に置き換わってしまった印象です。かつての自転車マニアの世界が閉鎖的だったから諸々の重要な正式用語が社会的に普及しなかったんだろうな、と反省しています。文化の継承に失敗した例のひとつと言えましょう。たぶんパイプたばこの文化も同じような未来を迎えると思います。若手を育成できない文化は廃れて終わるという事ですよ。

で、話をチャリカスに戻すんですけど「チャリカスを晒す」みたいな感じでSNSに自転車乗りの不法行為やそれによる自業自得の事故動画をアップロードし、みんなでそのポストを引用しながら寄ってたかって自転車乗りの行動を叩くというのが日常的に発生しています。ネットの世界は匿名掲示板の時代から「罵詈雑言を浴びせ合う殺伐とした空間」でありますから、ネットで世界中の人々とつながって豊かな交流なんていう幻想はとっとと捨てて、SNSなんかに時間を費やすことなくせいぜいネット通販だけ利用するぐらいがちょうど良いのだと思います。

「なんでもかんでもネットに晒して叩く風潮」というものもひとつのテーマとして興味深く、個人的に思う所はいろいろあるのですが今日の話題は「カス」にちなんだ蔑称を取りあげながら我ら人間社会の一面に迫りたいと思います。

カス呼ばわりされているのは自転車乗りだけではありません。いずれも「他人に迷惑をかける悪い存在」という意味合いで、さまざまな分野において蔑称としての「カス」が存在します。たとえばバイカス(バイク乗り)、ヤニカス(喫煙者)、パチンカス(パチンコをする人)などの用語を見聞きした事があります。みんなこういう蔑称を新たに定めるのが大好きですよね。

その割には形容詞は減る一方で、現代人は「ヤバい」「エモい」「キモい」「ウザい」で全ての表現を済ませるぐらいの勢いです。とりわけ他者をこき下ろす目的で用いる「キモい」「ウザい」は汎用性が高すぎて、この二語のいずれかで断じてしまえば気に入らないものは全てカタが着くという所まで到達しています。「チャリカスマジウザい」と言ってしまえばそれでヨシとしてしまうのです。

ここからが本題ですが、最近の人はデジタル脳であるせいなのか、なんでも「ゼロかイチか」「白か黒か」ひいては「自分が好きか嫌いか」で二者択一の結論で物事を考えすぎる傾向がありはしないだろうか。

もう一歩踏み込んで言うと、なんでもかんでも「対立構図」に見立てて分断すれば万事解決したような気分になる単純な思考回路に陥ってはいないだろうか。

たとえば多くの職場において「正規雇用」と「非正規雇用」の人が働いています。どちらもそれぞれ考えがあったり事情があったりで現在の雇用形態に属しているわけですが、なぜか双方は互いを敵視し対立しがちであります。業務を遂行する目的であれば両者は協力・分担してそれぞれ活躍するのが最上なのに、何故か互いを悪しき存在であるかのように認識して越えがたい溝を形成する。

労働環境をよくしていこう、という方向で動くなら正規と非正規でいがみあっている場合ではないのである。マルクス主義者なら「労働者は団結して資本家とたたかおう」などと言うのであろうが、私に言わせれば経営陣と従業員との間で対立構図を描くことすら無駄なエネルギーの浪費だと思える。最近は減ったけど労働組合がやたら力を持って常にケンカ腰で経営陣に文句を垂れ、年がら年中社内でもめごとが絶えないトゲトゲしい職場よりも、極端な話「労使協調のファシズム国家」のほうがマシではないか。

気づけば世の中は対立構図ばかりではないか。「高齢者と若者」とか「栄えてる都会と寂れた地方」とか「理系と文系」とか。最近は「男性と女性」の対立をあおるかのような勢力すら存在しています。

結局ですね、対立構図が増えれば増えるほど社会はどんどん分割されていき、お互いが分かり合えないコミュニティが無限に増える結末しかなくなる訳ですよ。今なんて「多様性」なんていうキレイゴトをみんなが自分勝手に都合よく解釈して「そうだよな、人間なんて人それぞれ違うから、ナンでもありっちゃアリだな」と受け入れてしまったから、声のデカい集団が身勝手な権利を主張する事実が蔓延する社会になってしまった。

こんな社会で得をするのは誰かといえば、為政者です。雑に言えば政治家です。国民が分断されていれば、あるいは国民が団結不能な状態に陥っているなら、為政者の社会的地位がおびやかされる可能性はなくなります。反政府デモもおきないし革命の可能性もゼロです。仮に何らかの意見で集団が発生してデモ行為を行ったとしても、それを否定する意見の集団が現れてつぶしにかかります。為政者がなにもしなくても、国民が勝手につぶし合いをやってくれる、という実に都合の良い世界が出来上がるのです。政治家にとっては天国でしょう。

数年前、長期政権を担った元宰相が襲撃されて死亡する事件がありましたが、それを契機にして劇的な変革があったでしょうか?政権与党とカルト宗教の根深い関係が表沙汰になったものの、それすら今はほとんど話題になりません。一人や二人の権力者が暗殺されたところで、深い溝で分断された国民が一致団結して現状を打破すべく動くような展開には至らないことが証明されました。増税メガネと揶揄されている宰相が批判的な意見をすべてスルーし、国民を愚弄するようなトンデモ政策を断行しても、それでも日本国民は団結して抵抗する力すら持っていないのであります。国民が分断されているかぎり、為政者は手にした利権にタカって甘い汁を吸い続けることができます。その地位は未来永劫「安泰」なのです。

要するに私の結論は、今の日本は完全に「分割統治が行われている」って事ですよ。かつてブリカスが17世紀以降「ブリティッシュ・エンパイア」として多くの植民地、海外領土をもっていた頃を思い起こすがよい。古代ローマが行った手法に倣って植民地インドにおいて民族間、宗教間、カースト間の対立を利用しインドの人々が団結する力を完全に削ぎ落し、自分たちの優位な地位を不動のものにしていたのであります。

もともと我々日本人は、聖徳太子が十七条憲法の冒頭に掲げた「和をもって貴しとなす」という精神を重んじていたのに、現代においてこのような価値観は完全に消滅していますからね。

チャリカスに限らず、あらゆる分野、あらゆる世界に「問題児」は居るものです。左折する車が道路の左端に寄るのを「幅寄せされた!」「進路をふさがれた!」と騒ぐ自転車乗りは、おそらく運転免許をもっていない(=運転に関する法規を知らない)という事だったのかもしれない。それを「チャリカス」と侮蔑して莫迦にするのは容易な事だけど、それよりも


「左折する車が道の左端に寄るのは巻き込み事故を防ぐ正しい所作なのです」


と、優しく教える心の余裕を持った紳士淑女になったほうがカッコいいではないか。「自分以外はみんな莫迦」みたいな価値観で他人を見下して生きたとしても、自分の地位や能力が上がる事は無いのよ。相手のプライドを傷つけないように配慮しつつ相手の誤りや失敗を指摘できる人が素敵だと思いませんか。

なにも自ら進んでギスギスして殺伐とした世界をつくる必要などないのです。同じ時間を生きるなら、誰に対しても年がら年中ケンカ腰で怒りのエネルギーに支配されつつ叩いたり叩かれたりして過ごすより、柔らかソフトな心持で「まろやか」に生活した方が雅(みやび)な時を満喫出来てイイもんですぞ。

他人を見下して自我を死守しようと努める生き方は正直言ってボロい。吉川英治先生の座右の銘じゃないけど「我以外皆我師」すなわち自分以外の人はみんな師匠、と思ってるぐらいの方が私の性格には合ってます。自分はまだまだ未熟者、人生経験が足りてないな、って思ってると多くの人からたくさんの教訓が得られるもんですよ。


三好鉄生 : 1987 : すごい男の唄





そう思うと、三好鉄生さんの『すごい男の唄』はアッパレですね。「あんたが一番わたしは二番」とはよくぞ言ったものです。










#38
2024年(令和6年)5月22日(水)
「恐怖!YouTubeのトップページ」


久しぶりに高校時代の友達4人で会ってきました。ひとりが引っ越してトレンディードラマに出てきそうな部屋で暮らしているので「みんなで押しかけて餃子を焼きまくる」という謎のイベントを開催したのであります。

駅近くの便利な場所で、しかもオシャレで落ち着いた内装の住まいであったから私は心の底から感動してしまった。風薫る5月、新緑の季節ということでベランダからの眺めは実に見事で、いくら褒めても言葉が追いつかないぐらい素敵な空間でありました。

私は本質的に浅ましい性格ですから、他の人が自分よりも良い暮らしをしていたら羨(うらや)んだり妬(ねた)んだり負け惜しみを言い放ったりしてしまうのが常でありました。そういう醜い根性でずっと生きていました。しかしひとたび発狂して癲狂院に放り込まれてからは


自分自身のまことの姿


というものを自覚し、他の人と自分を比べたりするのをやめてしまいました。以来「令和の鴨長明」を名乗りつつ品川区のボロい部屋で誰にも迷惑をかけないよう心掛けながら自分を解き放ちつつ、ひそやかに暮らしている訳であります。すべてを悟ったような気持ちで世の中を俯瞰しているという訳ではなく、むしろその逆で「自分以外はみんな立派にやっていて、実に素晴らしい」という「下から目線」で生きているのです。自分自身は他人と較べるに値するような努力を一切していない(っていうか、できない)から、他人がなしとげた見事なわざを純粋に褒める事しかできないし、私自身もそれで充分なのであった。

居間には何インチなのか想像もできない超巨大サイズのテレビ(モニター?)が置いてあり、ソファーに座らせてもらうと映画館の最前列の席に座っているかのようであった。視界全体が画面。そのうえ、なんとその大画面でYouTubeが見られるのであった。今はそういうテクノロジーがあるの?すごいね。


「もう今はテレビ番組ってほとんど見ないよねぇ」


などと言いつつ、みんなで餃子をつまみながらYouTubeで懐メロの動画を見てすごしたのであります。高校時代の友人が久しぶりに集まったものだから、おのずと当時の流行り歌を鑑賞しながら思い出話に花が咲いてしまう訳です。歳をとると昔が良く思える、っていう側面は確かにあるけれども、それ以上に昭和時代の歌謡曲や平成時代初期の楽曲が素晴らしい作品に満ち溢れていたというのが真実でありましょう。正直、過去の名作が多すぎて味わいつくせないですよね。


グッド・ナイト・ベイビー / ザ・キング・トーンズ(1968年)







これぞ和製ドゥ・ワップの最高峰。リード・ヴォーカルの内田正人さんのハイトーンがたまらん。何よりもこの優しい歌詞が最高ですよ。コーラス・ワークは米軍キャンプ仕込みの本物ですから、YouTubeでこれほどの美しい映像とともに当時の歌唱が堪能できるのは本当に感謝しかありません。

内田正人さん、若い頃には溌溂(はつらつ)とした「力みなぎる歌声」が素敵ですが、その後も歳を重ねていくにつれて柔らかで優しく語りかけてくれるような歌唱スタイルになってゆくのが最高なんだよなぁ。本当に大ファンでした。

好きな曲なんて数え上げたらキリがないのです。その後私たちはガマンができなくなり、場所をカラオケボックスに移して懐メロ歌合戦状態になったのであります。みんなが松田聖子とか今井美樹とか安室奈美恵とか歌ってるなかで、ただひとり『駆けろ!スパイダーマン』とか『ゴーゴー・キカイダー』とかを熱唱してる奴がいましたよ。(←私だ!)

なおその夜は見事に終電を逃した私は、結局さっきまでお邪魔していた友人の家に泊めてもらった次第。楽しい時間に没頭してしまい、気づいたら恐ろしい時間になっていました。終電を逃してしまうなんて三十年ぶりぐらいじゃないでしょうか。私はお酒を呑まないので、交通手段はオートバイにして自力で帰ってこられるようなスタイルを構築した方が良いのかな、ってちょっと思いました。アルコールを全く呑まないなら電車にこだわる必要はないですもんね。

で、ここからが今日の本題なんですけど(え?ここまでが前置きなのか)、友達の部屋でみんなでYouTubeを見るという「初体験」でちょっと感じることがあって、その時もつい口に出てしまい盛り上がった事があるのです。何かというと、YouTubeのサイトにアクセスしたトップページにはズラリと「おすすめ動画」が並ぶじゃないですか。友達のディスプレイに並んだ「おすすめ動画」のラインナップがすごく「正常」というか「汚れていない」状態だったので、私は驚いたのですよ。何と言いますか、他人に見せても恥ずかしくないレベルなのが衝撃でした。

逆に言うと皆様、ご自身のYouTubeのトップページを他の人にためらうことなく見せられますか?

私は無理です。恥ずかしくて見せられません。端的に言うなら「汚れて」います。私の趣味嗜好があらわになっており、いくら狂人の私でもちょっと人様には見せられないレベルだなあと判断するのであります。

ふだん見ている動画は、ざっくり言えば

・動物関連(メインはアリクイ)
・音楽関連
・車、オートバイ関連
・鉄道関連
・昔のアニメや特撮関連

という感じであり、それぞれの分野で割とマニアックな内容のものを含んでおります。それゆえなのか、おすすめに上がってくる動画は「内容が濃密」なものが多くて「なんでこんな動画見てるの?」って思われたらちょっと恥ずかしいなあ、と感じてしまうのであります。できれば人には知られたくないというか、明かさずにいたほうがお互いの為に良いような気がしてしまうのです。何を食べて育ったらこんなマニアックな動画を見る人間になるのか?ってドン引きされたらつらいじゃないですか。

実際、その後友人から

「ノドカが来た日からYouTubeのトップ画面に『チャージマン研!』がたくさん並ぶようになってしまった」

と苦情が寄せられている次第であります。ちょっと責任を感じているのであります。あ、皆様は『チャージマン研!』はご存知でしょうか。日本人の倫理観、価値観、遺伝子レベルで受け継がれてきた内面性が完全な形で凝縮された傑作アニメ作品であります。本当に日本人を、あるいは日本文化、日本という国の本質を理解するには『チャージマン研!』を見るのが一番の教材であると私は断言します。

いまは制作会社のナック公式チャンネルで全話が無料で視聴できますから、良い時代になったものです。第23話「恐怖!精神病院」は現代の価値観で言うと放送禁止という扱いになるのかもしれませんが、鉄格子のついた病院に放り込まれた私が断言しますが「だいたい合ってる」というのが真実です。今は何かと人権問題をうるさく取り上げる人が多く、この内容は精神病患者を差別しているなどと声を荒げて問題を大きくして騒ぐ風潮がありますが、差別差別と騒ぐ人は実は本当の当事者ではなくて利権をあさろうとする活動家だったりするものです。くりかえして言いますが精神病の私が言うのだから問題はない。第23話「恐怖!精神病院」はだいたい合ってるし、普通の人が精神病の人や精神病院に対して抱くであろうイメージは、差別でもなんでもないのであります。

私が好きなエピソードは人並ですけど第35話「頭の中にダイナマイト」ですね。研の判断力、決断力、実行力は日本人の美徳そのものですよ。







余談ですけど『チャージマン研!』のオープニングは物語性があって好きだな、と思ったら実際に第1話の映像の使いまわしだったと知ってショックでした。物語の映像を切り貼りしたら物語性があるに決まってます。私も若かりし頃にアニメ制作に携わっていた経歴があるので第1話に相応の予算と労力を注ぎ込む事情は大変よく理解できるのですが、『チャージマン研!』は第1話で予算を使い切ったという説は割とい正しいような気がします。

ということで、今日の結論。「私のYouTubeトップページは汚れていて他人には見せられない」という真実を告白して今回のモモ通はおしまい。あーあ。










#39
2024年(令和6年)5月22日(日)
「ハイジェットと書いてハイゼットと読む的なネタ」


高校時代の友達から移動電話のショートメッセージで「ホシ君がミゼットに乗ってる!すごい!!」「ホシ君がミゼットに乗ってる!すごい!!」とたてつづけに連絡が来るので何事かと思っていました。

ホシ君は同じクラスにいた男の子であります。

最初は「あーミゼットねぇ」と軽く流したのですが、よくよく考えてみると今のダイハツにあるのは「ハイゼット」であって「ミゼット」ではありません。え?ということはあのミゼットなのか?いや、まさかねえ。

可能性として考えられるのは1996年から2001年まで製造販売された「ミゼットII」ではなかろうか。あれはマニアなら今でも普通に乗っていてもそれほど珍しい話ではない。



ミゼットII

くるくるすいすいミゼットII




しかし一般的な話としてミゼットIIオーナーはちゃんと「ミゼットIIに乗っている」と表明するものであります。どの分野においてもマニアは正式名称や定義に関しては厳格であり、そういう重要なポイントを雑に扱う事は決してしません。ミゼットとミゼットIIは全く別物であり、相手に少しでも誤解を招くような可能性があれば曖昧にする事はありえない。ということは、やっぱりあっちのミゼットなのだろうか。ホシ君は車が趣味で何台か所有していると聞いていたので、とうとうマニア度をこじらせてオート三輪に手を出してしまったという可能性はアリクイ。あーあ。そういう方面に走っちゃうと周囲がいくら止めに入っても、もうどうにもならないんだよなあ。普通の軽トラックのほうが利便性は上なんだけど、本人にとっては「そういう問題じゃない」というステージを生きてるんだよね。いいなぁ、自己を解き放ってるなぁ。

ところが友人から続報が入り「ダイハツじゃないよ」などと書かれているのである。さすがの私もスルー出来なくなって、よくよく話を聞いてみたら「ミゼット」ではなくて「ミジェット」すなわちブリテンのスポーツカーMG Midgetであった。なんという風評被害。ウワサ話的に「ミゼット乗り」呼ばわりされていると知ったらホシ君は泣くでしょ。印象操作の域をこえているじゃないか。



MGミジェット

英国の名車、MG Midget




まあオチとしてはミゼットどころではない名車ミジェットということで「情報は正しく伝えましょう」という教訓が示されたのであります。

思えば私の子供の頃はまだ当たり前に「オート三輪」が走っておりました。荷物を運ぶための仕事の車という感じで一般的な存在でありまして、違和感とか珍車感とかは全くなかったです。なんとなく、いつの間にか姿を消したという印象であります。



オート三輪

よく見かけたタイプの三輪車




現在、三輪車はもっぱら趣味の乗り物として一定数の愛好家が残存している感じに思います。「トライク」と呼ばれる、ハーレーダビッドソンのような存在感のあるオートバイの後輪部分を改造して三輪車にしたのものを時々目にする機会があります。私自身は興味がなくて乗ってみたいという気持ちはありませんが、独特の運転技法や乗り味を楽しめるのかもしれません。

まあ「三点で接地」という理屈は個人的に嫌いではありません。カメラの世界では三脚が当たり前に使われていますし、航空機ではほとんどの戦闘機が地上では三点支持であります。きわめて合理的ですよ。



ハリアー

ブリテンだと主翼先端にも脚がはえているキモい戦闘機があったりするけどこれは例外中の例外




かつてブリテンでは三輪車が税制上の優遇を受けていたという事で、手頃に購入・維持できる庶民の足として「パッと見た感じは普通に車っぽいけど実は三輪車」っていう変態文化が花開いておりました。庶民の車と言うと聞こえはいいですが、あちらは階級制度が露骨であって貧困層を象徴する貧乏車として笑いのネタにされていたのであります。

変な乗り物が大好物な私がブリテンの三輪車に心を揺さぶられたのは当然の流れであります。コメディ作品『Mr.ビーン』で青色の変な三輪車(リライアント・リーガル)がビーンの運転するミニとぶつかったり横転させられたりしていたのを記憶されている方もおられるであろう。



ロビン

リライアント・ロビン







バグ

ボンド・バグ




前一輪&後二輪の三輪車がスピードを出したら安定してコーナーを走り抜ける訳が無い。そりゃあもう横転しまくりな訳ですよ。


ナショナル ジオグラフィック TV
三輪自動車の科学 | バ科学







三輪車でスピードを出したらどれだけ危ないか、そんなことは幼少時の三輪車遊びでみんな経験的に学習しているものであります。にもかかわらず三輪車に惹かれてしまう、三輪車に乗るのがヤメられないというのは一生治らない変態的性癖のようなものであり、好きな人は横転しまくろうが傷だらけになろうが乗らずにはいられないのである。実に恐ろしい話であります。


carwow 日本語
【三輪車ドラッグレース!】トゥクトゥクやピール P50など 三輪車が熱いレースを繰り広げる!







もう、乗ってる本人たちが楽しそうなので手の施しようがありません。周囲の人間が何を言っても無駄であろう。あくまでも直線コースに限定するならリライアント・ロビンがすさまじい高速性能を発揮して他の車をブッチぎってしまいトップを独走するのがマジ笑える。この勢いでコーナーに突入したら、そりゃあ横転しますって。

なお私自身としては三輪車は前二輪・後一輪に限ると思っております。結論としてはブリテンのモーガンが最高ということになるねえ。



モーガン

モーガンのスリーホイーラー




これは超かっこいいと思うわ。三輪車として合理的であり、理念として正しいレイアウトだと思います。こういうものを本気で造ったりするからブリテンは侮れないんだよなあ。ヒネクレ者の私がブリテンを嫌い嫌いといいながら、その割には気になって仕方が無くてチラチラ見てばかりいる理由はなんとなくお察しいただけるのではないかと思います。連中が造るものはなんともいえない魅力があるんだよ・・・

なお余談ですが我らが航空自衛隊にも最新鋭の「ライトニングII」という戦闘機が配備されていますが、戦闘機がお嫌いでない方はぜひ「IIじゃないほうの初代ライトニング」すなわち「イングリッシュ・エレクトリック ライトニング」を画像検索してみてください。ブリカスが合理精神をいかんなく発揮して完成させた超音速ジェット戦闘機で、戦後の傑作機の誉れ高い高性能な機体です。

・2基のジェットエンジンを前後にずらして縦に配置
・三角翼の内縁部を切り取ったような変な形の主翼
・ほぼ完成段階になって燃料を入れる場所がない事に気づいて、仕方なく機体の腹をボテッとふくらませてスペースを確保
・翼の下に車輪を収納する設計のため予備の燃料タンクを翼にぶら下げる事ができないので、これまた仕方なく翼の上に装着する事にした

といった他に類を見ない目が覚めるような仕上がりとなっており、そのキモさは想像を絶する域に達しております。ところがこれが見れば見るほど、というかだんだんとカッコよく見えてきてしまうのだ。そして気づくと三周ぐらいまわって大好きな機体のひとつになってしまったりするのです。


English Electric Lightning
The British fighter that could exceed Mach 1 in a vertical climb







こうして我々は英国面に堕ちていくのであった。おそろしい話ですな。










#40
2024年(令和6年)5月30日(木)
「過給機」


いきなり本題です。高い所では気圧がさがるために空気が薄くなります。酸素の量も減ります。

ハセガワ 三菱 A6M2b 零式艦上戦闘機 21型
http://www.hasegawa-model.co.jp/product/jt43/



零戦

空冷星型14気筒「栄」エンジン搭載




飛行機は高い所を飛ぶわけですが、常に空気をとりこんで動くエンジンは出力低下が避けられないため「強制的にエンジンに空気を送り込む装置」を付けて解決を図ります。これが過給機ですな。

アメリカ合衆国においてはゼネラル・エレクトリック社が1910年代半ばからターボチャージャーの開発を進めていましたが、世界的な潮流としてざっくり言うと第二次世界大戦の頃の航空機に関してはスーパーチャージャーが主流でした。

私が子供の頃にターボチャージャーを装着した車が登場して、運転免許を取るはるか前から強いあこがれを抱いたのであります。とりわけ私の大好きな三菱自動車は全ての車種にターボ付モデルをラインナップするという勢いで「ターボの三菱」の異名をほしいままにしていたのであります。



ランサーEX

これもハセガワのプラモデルの箱絵




ターボチャージャーというのはメカニズム的に大変興味深いものです。


参考:株式会社IHIターボサービス(公式)
製品情報 ターボチャージャーとは?
https://www.ihi.co.jp/itsj/products/turbochager/


構造を雑に説明しましょう。

まずエンジン始動しますと排気ガスが発生します。もう用済みのガスつまり「屁」みたいなものです

この排気ガスを風車(タービン)に当てると、その圧力で風車がくるくると回転します

このタービンの同軸上にもうひとつ別の風車がついており、こちらは「排気エネルギーによって回転する扇風機」の働きをします。この扇風機がエンジンの吸気口に「より多くの空気」を送り込む仕事を担います

するとあら不思議!エンジンが吸い込む空気の量が増えるので、エンジンの発揮する力が劇的に向上しちゃう!!のであります。より排気量の大きいエンジン並の力が発揮できるのです


このように、「風が吹くと桶屋が儲かる」的な理論で、本来であれば何の役にも立たない「屁」がめぐりめぐってエンジン性能を強化してしまうという面白い部品なのであります。排気ガスを捨てる前にエナルジー源として再利用するという発想が変態的ではないか。

当然のように私は「ターボ付の車にあこがれる」という可憐な少女に育ったのであった。

で、運転免許を取得して2年後ぐらいだったでしょうか。生まれて初めてターボ車を運転する機会が訪れました。場所は群馬の妙義山、車は三菱コルディアの1600ccターボであります。



コルディア

三菱のターボ車




結論から言いますとものすごく怖くて「もうターボはマジ勘弁」となったのであった。アクセルを踏んで少し間をおいてからターボが「ぐわっ」という感じで効いてくるのです。妙義の山坂道でカーブでステアリングを切っていると、もりもりっと力が出てコーナーの外側にふくらみそうになるのです。今でこそ漫画のセリフで


「妙義の谷は深いぜ。せいぜい命だけは大切にした方がいいぜ」


なんてのが知れ渡っていますが、本当にシャレにならない恐怖を味わった私はその日を境にターボ車のアンチに鞍替えしたのであった。

そもそも空気の薄い高高度を飛ぶためにターボチャージャーを装備するのは理屈が通るけど、空気が足りなくて困るなんて事はない地上では過給機なんて要らない装備ではないか?スロットル操作にリニアに反応する自然吸気エンジンのほうが私レベルのヘタクソには扱いやすくて良いじゃん。

昔は「ドッカンターボ」などという用語もあったのです。それぐらいターボチャージャーの威力は極端なものでした。あと「ターボラグ」といって、アクセルを踏む→排気ガスが出る→ターボチャージャーが作動する→エンジンが性能を発揮する、という一連の流れに至るまでにわずかながらも時間を要することを表現する用語もあった。要するにアクセルを踏み込んだ結果として十分な量の屁が出なければターボチャージャーそのものが作動しないのである。何その無駄なプロセス。考えれば考えるほど、私の心はターボチャージャーから離れていきました。

しかし私がコルディアを運転したのはもう30年も前の話であります。時代は流れたのです。ずいぶん前から環境問題だのナンだのとうるさくなった関係で、エンジン界では「ダウンサイジング」の波が起きています。多少の効率の悪さに目をつぶってデカいエンジンでモリモリと力を出すよりも、バランスの良いコンパクトな排気量のエンジンに最適化したターボチャージャーを装着した方が総合的には高性能で環境性能もいい、みたいな流れになっているらしいよ。それこそ昔みたいな「ドッカンターボ」なんて今は存在しないレベルにまで調整がされているのだという。

先日、メカニックさんに「正直、ターボって要ります?」とストレートに質問したのです。車体剛性の向上や安全装備の充実など諸々の背景があって昔と比べて車両重量が総じて重くなっている現在、車種や使用目的によっては必要な動力性能を得るためにターボチャージャーはきわめて有効である、という説明をききました。

たしかに私の頭の中には「家族4人で乗車して長距離を快適に走行する」というような発想が欠落していたことに気づかされましたよ。自分が基本的に単独行動ばっかりだから「ターボ付けなくても走るんだから、車なんざぁ小っちゃくて軽いのでいいんだよ」と断じていましたが、考えてみれば人によって使用目的も乗車人数も移動距離も違うから車への要求事項はひとくくりにできるほど単純な話ではないんだね。なんでも自分基準で物事を判断しちゃいけないって事だ。正直スマンかった。

となると、にわかに「いまどきのターボ車」とか「いまどきのCVT車」に対する興味がわきあがってしまうのであります。正直、四輪の無段変速機構なんてスバル・ジャスティのECVTしか運転したことが無くて「随分と出来の悪い変速機だな」って思ったけど、あれが登場したのは1987年ですからね。何年前の話してんのよ。そんな昔の、たった一度の印象だけで「ダメ」と決めつけてアンチ発言するだけなんて「老害」そのものではないか。

うん、一回運転してみたいよね。ターボ付のCVT車。

先日三菱のデリカミニ(CMに出てるのと同じグリーンの車体)を見かけてすごく良さそうに思ったけど、できれば私としては全高の低いスポーティな感じのちっちゃいハッチバックに乗りたい。三菱だとekワゴンですかね?


三菱自動車 eKワゴン(公式)
https://www.mitsubishi-motors.co.jp/lineup/ek_wagon/



eKワゴン

今はミニカは存在しないからなあ




と思ったらナンだよー!ターボ付モデルがないじゃん(涙)。

あとは、そうだなあ。スズキのラパンLCという車が可愛くて好きなんですよ。最近は見た目がコワモテというか人相が悪いというか、威圧的な雰囲気を放ちまくっている車が多いのでイヤだなあと思うのです。ラパンLCは大きなまん丸ヘッドライトが愛嬌たっぷり、なんとも微笑ましい見た目でキュートです。この車でスポーティなグレードとか無いっすか?


スズキ ラパンLC(公式)
https://www.suzuki.co.jp/car/lapin_lc/



ラパンLC

埼玉県こども動物自然公園にいるクオッカ的なかわいさ




え?この車もターボモデルが無いの?なんだよォ(がっかり)。最近は軽自動車でスポーティ系のホットバージョンは流行っていないらしい。ようやく見つけたのがホンダのN-ONEです。N-ONEには "Premium Tourer" っていうターボ付CVTモデルが設定されていました。しかし車体が200万という事でビックリ。200万!今は軽自動車も高くなりましたなあ。

ということで残念ではありますが、私が「今どきのターボ付エンジン」や「最新のCVT」の魅力を体感することは無いでしょう。ターボチャージャー、良いものでしょうねえ。乗るチャンスがある方はどうぞ存分に味わってください。私の分も堪能して下され。










#41
2024年(令和6年)6月3日(月)
「やりたい事は今すぐやりましょう」


人間は不老不死ではありません。体力的な絶頂期は二十代半ばぐらいで来てしまい、あとはひたすら老化の道を進んでいくだけです。誰もが等しく味わう現実です。

「アンチエイジング」と称して見た目の老化を取り繕う努力にリソースを全振りして若作りをする人もいます。どう生きようと個人の自由ですが、私自身はそういう人を見ても正直「見苦しい」と感じてしまいます。どうあがいても十代のピチピチギャルには戻れません。

もっと大事なポイントを忘れてはいけません。「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」とか「四十までは親の顔、それを過ぎたら自分の顔」などいうような事を言いますが実際その人の内面や精神性、生き方のありようは自ずと「人相」に出てしまいます。これは実に恐ろしいことで、たとえば意地悪ばかりする人は意地悪な顔になるし、冷たい人は冷たい顔になるものです。気づいた時に悪人の顔になっていたら「時すでに遅し」ですよ。

私は年齢相応のエレガンスを身につけることを理想にしています。

私はずいぶん前に職場で発狂して癲狂院に放り込まれた身ですが、当然のことながら「キチガイ認定」されたことで人間関係がずいぶんとリセットされました。これは逆の立場で考えれば当然の話で、精神病で頭がおかしい奴と親しく末永く付き合いたいなどと考える人はいません。ゆえに多くの友人知人が私の元を去っていったし、私自身も「ほかの人に迷惑が及ばぬように」と心がけて、できる限り他人とは距離を保つようにしているのであります。人間関係はだいぶ整理されて他人との交流は激減しましたが、だからと言って不満はありません。やむを得ない当然の帰結で、これも運命(さだめ)と受け入れればナンとも思わないし、ましてや「私は精神障害というだけで不当に差別されている」などと被害妄想で謎の権利を主張する気もまったくありません。平和な社会を保つ為に私のような奴は出しゃばる事なく、おとなしく過ごすのが最上・最適解だと思っています。

とはいうものの、みんながみんな私のもとを去ったという訳ではありません。実にありがたく感謝しかないのですが、今なお「おーい元気にしてるか―」「久しぶりに会うか―」と声をかけてくれる友人が居るのであります。とっくに人間失格してる私としては、なんと心の温かい人がいるのであろうかと感嘆せずにいられない。「私自身は地獄送りになっても文句は言えませんが、最後まで私を見捨てなかった人たちは全員天国に迎えてくださいどうぞヨロシク」と神に祈る次第ですよ。

なんか話が変な方向にいきそうなので軌道修正しますが、今日の話は「老化は避けられないのだから、やりたい事があるなら今すぐ始めましょう!目いっぱい今この瞬間を満喫して後悔のない人生を送りましょう!」という老害のお説教であります。

私はかつて、車やオートバイで夜にひとりで走行する時間が大好きでありました。土日が休みの会社に勤めていた頃は金曜日は早くに職場を脱走して、その晩から旅に出るというスタイルを好んでおりました。夜の高速道路をドライブしている時の、あの穏やかに流れる時間は至福のときであった。夜中にサービスエリアに立ち寄って無料で温かいお茶がのめる自動給茶機(今もあるのだろうか)のヌケたような味をたのしみつつ休憩をして、ぼんやりとタバコに火をつけて軽くラリって、また運転席に戻ってエンジンを始動する。今思うとすごく充実した時間を楽しんだのだなあ、と思う。

自分の車を手放してもう20年以上経ってしまいました。以来まったく運転していません。四輪に関してはまごうことなきペーパードライバーになりました。正直、恐怖が先にわいてくるので車を運転する自信がありません。



運転席

いやぁ無理です




しかし車は乗らなくなったとはいえ代わりに自動二輪免許を取得したおかげで、私は自由を取り戻したのでありました。当然、夜のツーリングは新しい趣味のひとつに加わったのであります。行動範囲の自由度という意味ではある意味「車よりも気軽」でありまして、すでにアル中の判定で飲酒の習慣から完全に遠のいていた事もあいまって私の「夜遊び」はハタチの頃と変わらないレベルで再燃したのであった。



夜間

いつでも、どこにでも行かれる自由




ヤング時代は自転車で旅をしていましたが乗り物がオートバイに替わったことで旅の制約も大きく変わりました。なまじい稼ぎもあるものだから、経済力も自転車時代とは比べ物にならないほど強化されているので「走れるだけ走って適当なビジネスホテルに投宿」なんていう必殺技まで身についてしまったのです。かつては「予約したユースホステルの夕食時刻に間に合うように泣きながら必死にペダルをこぐ」という日々だったのだから、楽しみ方の次元がまったく違うのです。



ホテルにバイクを停める

夜のビジネスホテルに到着




さて、そんな感じで気ままに遊び呆けていた私も気づけば人生の秋を迎えているのであった。あからさまに性能が落ちてきたのが「目」であります。夜、暗くなってくると目が見えなくなっちゃうのです。時間的な夜に限った話ではなくて、内装がダーク系で照明の暗いオシャレなレストランに連れて行かれたりすると、メニューの文字が読めない。

夜目が利かない、という夜盲の症状は何年も前から「老眼の進行」と並行して深刻さを増しております。私は幼少期から角膜の持病があって眼科に定期的に通院しているのですが、この「夜盲」に関しては主治医に相談しても「老化現象」「あきらめろこ」と一蹴されて終わってしまうのであった。

しかも「暗いと見えない」と言いつつ「LEDの照明がまぶしい」という謎の苦労も追加されているのであります。最近は車やオートバイのヘッドライトにLEDが多く採用され、また鉄道車両内の照明や商業施設の照明なども蛍光管型のLEDが使われてきたのでどこに行ってもまぶしくてしょうがない。


「夜は暗くて見えないけど光はまぶしい」


とか言って、すっかり「注文の多い老害」みたいになってきちゃったのであります。自分で言うのも悲しくなるけど事実だからしょうがない。

つい先日も友人とツーリングに出かけて、盛り上がっていたら帰宅時間がわりと遅くなったことがありました。友達から心配されたのですが環七通りとか山手通りとか、街灯が整備されているうえに明るい建物が並んでいて「暗闇」というほどではなく、加えて普段からある程度走り慣れた道であればナンとかなります。気をつけて走行すればまあ大丈夫。でも初見の道であれば「危険」なのは間違いありません。

今は春で日が長いから良いけれども、秋になって紅葉の中をツーリング!とかなると行動計画は慎重に練らないとヤバいなと思います。秋〜冬はあっという間に日が沈んで午後4時にはもう暗くなってしまいますから


時は11月23日、時刻は16時ちょい前だけど現在地は山梨県甲州市の「勝沼ぶどうの丘」


なんていう状況だと品川区五反田まで自走して生きて帰れる気がしません。ナンならJR中央本線「勝沼ぶどう郷」駅で野営したいレベル。

そうやって考えると、若いうちに夜のドライブやツーリングをさんざんやっておいて本当によかったと思うのであります。今、同じ事をやりたいと騒いでも身体能力的に無理なのです。往生際の悪い私でもさすがに無理と思います。

老眼なんて現在進行形で悪化の一途をたどっていますから、今後はなおのこと身体の衰えを実感する機会も増えて、自分でできない事が増えるのだろうなと想像します。そもそも我ら生き物は、いつまで生きていられるのかすら分からないのです。明日、家の前で撃たれて死ぬかもしれない。そう思うと「やりたい事を老後の楽しみにとっておく」なんていうのは愚かな話で、本当にやりたい事があるなら今すぐ、ただちに取り掛からなきゃ駄目なのだと痛感します。

天国からの迎えというのは切実に待ち望んでいる人に限ってなかなか訪れない、というのは世の習いであります。ゆえに私みたいに「はやく死にたいなァ」とか言ってると今後無駄に生き長らえてしまう可能性が高いのです(※神様はそういう手段をとりがちな奴なんです! あ、また懺悔のネタ発言をしてしまった)。結果的にヨボヨボで寝たきりの80歳になったノドカばばあが


「実は私は、改造オートバイに乗りたかった」


などと発言したら周りの人(←いるのか?)がどんな気持ちになると思うかという話ですよ。なにを今更そんな事言うなよ!ってみんなが思うに決まってるのです。そういうのは若いうちにとっとと済ませておけよ!!とみんなが呆れるのです。阿呆みたいな後悔を口に出されてもどうする事もできないし、正直救いようがない。だから、そういう醜態をさらさない為に、やりたい事があるなら手当たり次第にさっさと済ませておくべきなんだよ。



タコメーター

夜、こんなメーターを見る機会は二度となさそうだけど、ヤング時代にさんざん楽しんだからもう悔いはないわ




私はまだ欲望のカタマリであって「もうちょっとオートバイ運転しないと旅心が足りない」「もうちょっと動物園に通わないとカワイイが足りない」「もうちょっとまんじゅうとか羊羹とか食べないとあんこが足りない」という気持ちが非常に強く残っているので、今後もまだまだ忙しい日々が続くのであった。

皆様も「バンジージャンプがやりたい」とか「焼き鳥を48本食べたい」とか「インドの山奥で修業をしたい」とかいろいろあると思いますので、ご自身の体力的側面などを考慮しつつ優先順位を決めて片っぱしからやりたい事をエンジョイしまくって、充実した毎日を送っていただきたいと思います。

かく言う私も今「一度でいいから『まな板』をカットしてみたい」という欲望を叶えたところです。日本史を振り返った時、まな板の上で肉なり野菜なりをカットした経験のある人を数え上げたら無数に居る訳ですが、翻ってまな板そのものをカットした経験がある人は果たして何人いるでしょうか。職人さんが木材をカットしてまな板を仕上げた、というレベルから更に一歩進めて「仕上がっている完成品のまな板を更にカットした経験がある人」というのは日本史上でおそらく100人もいないのではなかろうか。ともすると品川区では「史上初の偉業」になる可能性もある。そう思うと居てもたってもいられず、台所のまな板にノコギリを突き立てる衝動を抑えられませんでした。結果としては1枚のまな板にノコギリを入れることで2枚のハンディサイズまな板が完成することを証明できました。成し遂げたのは日本史上で何番目かわかりませんが、少なくとも品川区が誕生してから文章で記録を残したのは私が最初ではないかと思うと興奮で眠れないレベルです。

そして、この一連の「まな板カット体験」によって、ふだん意識しなかった「まな板が身を挺して刃物を受け止める能力の偉大さ」「その献身的な仕事ぶり」に称賛を送りたくなる訳です。のみならず、あらためてカッターナイフの「オルファ」(OLFA)ってやっぱり凄いよなあと再認識が深まった次第であります。皆様もご存知、切れ味が悪くなったら先端をポキッと折ってシャープな刃先を取り戻すカッターナイフですよ。考えてみて下され。カッターで何かをカットしてきた人は文字通り数えきれない程いるけれど、カッターの刃そのものをカットするという発想はオリジナリティの塊じゃないですか。そのひらめきというか着眼点、発想が凄い。刃物をそのように扱って活用した例は古今東西ふりかえっても「オルファ」が最初なのは間違いない。こうして今日もまた一つ、新たな感動を覚えるのです。こんなことをやってると毎日感動のネタが尽きないのです。わかります?

結論。やりたい事は今すぐやりましょう。毎日楽しくなるっすよ、本当に。










#42
2024年(令和6年)6月7日(金)
「夏用ライディング・ジャケットを新調」


いつも私が口に出す台詞のひとつが「貧乏はいいけど貧乏くさいのはヤダ」という言葉です。貧窮問答歌をうたっているのは別にいいでんです。お金なんて欲を出したらキリがないし使えば無くなるのも当たり前の話で、所持金が無いなら家でおとなしくジッとしていれば済む事です。でも、いくら貧乏しているからといって「みすぼらしい身なりも恥じることなくウロウロしながら浅ましさ・賤しさ全開で欲深い行動を晒す」のは断じて嫌です。

ということで今回の話題はオートバイに乗る時に着用するジャケットです。

ときどきオートバイに乗らない人から声をかけられ「真夏に海辺の道を走ったらさぞ気持ちがいいでしょうねえ」などと言われたりする事がありますが、酷暑の炎天下にオートバイに乗るというのは地獄以外のなんでもありません。標高が高く気温も低い高原地帯に避暑ツーリングに出るならまだしも、ギラギラの海岸線に沿って走るなど熱中症でヤラれるのは時間の問題で、命にかかわる危険行為ですよ。

陽射しの強い状況にもかかわらず半袖のTシャツ一枚で走ろうものなら日焼けを通り越してヤケドの域に達してしまいます。日本の気候はこの40年ぐらいの間に激変してしまいました。とにかく夏は危ないです。

最近は強制的に身体を冷やす目的で、ウェアの中に風を送り込んだりエレキ仕掛けのポンプで冷却液をめぐらせたりする製品すら出ているほどに「暑さ対策」は深刻です。

私は一般的なメッシュジャケットを愛用してきました。メッシュ素材が用いられ風通しが良いので運転中は走行風を浴びることができる、というタイプですな。直射日光を防ぎつつ風を得られるので「ただちに死ぬことは無い」というレベルで使えるウェアです。

さすがに10年以上も使っていたので、ふと気づけばボロボロになってしまいました。



ボロボロ


もはや人前に晒せないレベル




とある有名ブランドのウェアで値段は随分と高かったのです。当時は普通に仕事をしていたから買えたけど今では手が出ない価格です。その割に標準装備されているプロテクターはペランペランのスポンジみたいな実にフザけたもので、防御力は事実上無いに等しいという感じであります。

まあ当然のことですが防御力を高めようとして固いプロテクターに差し替えればその部分は風が通らなくなるのでメッシュ素材の利点がスポイルされてしまうのは推して知るべし、です。

ウェアに関しては「どうしてオートバイ用のライディング・ジャケットは揃いも揃ってダサすぎるのか」と主張する流派もあるぐらいで、語ろうと思えば拾えるネタは尽きないのですが結論から言いますと私は新しいメッシュジャケットをさっさと買ってしまいました。ボロをまとって走行するのはヤダ。とにかく急いで新調することが最優先でありました。

五反田マンとしては東急線沿線的に東横線と目黒線の「元住吉」駅から歩いてすぐの立地にあるラフ&ロード川崎店が行きやすいのであります。ラフロはオフロード系の部品やウェアの取り揃えがやたら充実しているのも特長でありまして(海外オフロードメーカー製品の代理店なんかもやっている)、さらに言うと昔から「オートバイ旅」というコンセプトも大切にしていてオリジナルのテント等のキャンプ用品まで扱っているぐらいです。

私自身はオフ車乗りでは無いものの、四輪で言うクロカン四駆が好きなのと同様にオフロード用バイクはかっこいいと思ってますし、オフロード系のアパレルは鮮やかで派手なデザインのものが多いので昔から大好物です。モトクロスジャージはミルクボーイ漫才ふうに言えば「こんなんなんぼあってもいいですからね!」という感じです。

店頭でラフ&ロードブランドの、見るからに涼しそうなかっこいいジャケットを発見。パッと見た瞬間に視界に飛び込んできて即座に気に入ったのですがお値段が想像以上に炸裂していたので却下。本当は第一印象で気に入ったのをサクッと買うのがたいてい「正解」なんですけど、何しろ資金力の弱さが足かせとなってしまった。

その後別の店に移動したりしていろいろありましたが最終的には「自分が着るなら、もはやコレしかあり得ない」というジャケットを購入する事ができました。さっそく画像を掲載しましょうか。



前


こんな感じのデザイン




パッと見た感じ、とりたてて騒ぐほどのこともない平凡な印象でしょうか。ライディング・ジャケットにありがちなデカいロゴとか謎の英語フレーズは、少なくともオモテ面には何も入っていません。色は明るいグレーで脇腹の部分がブラックとなっています。

細かく編み込まれた質の良いメッシュ生地ではなく、ペランペランのポリエステルの布にポンポンと穴を打ち抜いた感じの「穴あき服」であり、味わい深いチープさがただよっております。走行風がちゃんと取り込めるのかは実際に着用して運転してみないとなんとも言えません。機能面としては左右にファスナー付のポケットがあります。ファスナーは信頼のYKKではなく、大陸製のYCCです。要するに模倣品です。断言しますがダメ品質です。この20年ぐらいで大陸製の安物ファスナーが激増したのは残念な事です。

最大の魅力は背中のデザインなのですよ。私がこのジャケットの購入を決意した最大の理由はリヤデザインであります。百聞は一見に如かず。画像をご覧くダサい。



後ろ


いや、そうはならんでしょ普通(笑)




なんですかこの2色上下分割パターンは。前から見て脇腹の部分が黒いというのは理解できます。問題はそのデザインをどのように背中側で処理するかです。何故に上下で半分ずつ塗り分けたのか。シンプルに決めよう、という気持ちでついやっちゃったのかもしれませんが、いくらなんでも雑過ぎるのではなかろうか。



マレーバク


こういう2色分割パターンを意識したのか?




私の脳裏に最初に浮かんだのがマレーバクであります。マレーバクのツートーンカラー、そのデザインは哺乳類界にあってあまりにも斬新であります。ボディを二色で塗り分けろ、と命じられて「先生!できました」とかいって、イヤそれは無いでしょう?っていうレベル。このセンスは明らかに常人でありません。神様がウケ狙いでデザインしたか、もしくは神様の頭がおかしいか、そのいずれかです。

ツートーンカラーで背中の模様が「はぁ?」ってなる動物としては、我らのコアリクイを忘れてはなりません。



コアリクイ


コアリクイの背中




こちらの画像はミナミコアリクイのタエちゃんの背中を写したものです。アリクイ好きとしては、コアリクイの柄について語ると話がやたら長くなるので割愛しますが、黒いベストを着たような柄で背中に深いV字ラインの切れ込みが入っているのは芸術的であります。

このように、マレーバクやコアリクイといった素敵などうぶつ達のツートーンカラーに通じるものを感じて「ネタ的においしい」と思ってしまい気づけばこのジャケットを購入していた次第であります。この微妙にダサいデザイン、私が着ないでどうするよ!という心意気ですよ。

仮にこのジャケットを着てオートバイに乗っていて、傍から「ダサいな」って思われることがあるとしても事実上こまる事はありません。言わせておけばいいのです。でも、たとえば初対面の人がこのジャケットを見たうえで


「もしかして、マレーバク意識してます?」


などと声を掛けられる事案が発生したら「私の勝ちだ感」がほとばしるじゃないですか。「わかりますか?(ニヤリ)」と回答したくなりますよね。人生というのは終わりのないネタの擦(す)り合いなのだから、どこから突っ込んだらいいのか分からないギミックを日常生活にひとつでも多く仕込んだ人が最終的には笑いのデパートとして番付を上げることになる訳ですよ。


「ダサさの中に輝きを見た」


みたいな美学を追求出来たら豊かな人生が過ごせると思う次第であります。これはもう自分自身で選ぶ「生き方の指針」に他ならないので、この先どんな困難があろうとも我が道をゆくという強い覚悟で続けていきたい所存であります。



ピアス


愛用のタエちゃんピアス




何はともあれボロボロのメッシュジャケットを引退させて、新しいものを導入できたのは大満足です。つぎに乗車するときに肝心の「風通しの良さ」に関して実力を試してみたいと思います。










#43
2024年(令和6年)6月11日(火)
「終活!ノドカついに船をおりる」


以前からチラチラと話題にしてきましたが、ついにこの時がきました。センチメンタルな気分でモモ通を綴っております。

これまでン十年お世話になっている横浜の海事事務所から「小型船舶免許」の更新案内がとどきました。私は何の取り柄もないない無能の人間ではありましたが、母方の一族が帝国海軍の家系であったから当然の流れとして青春の一時期は否応なく横須賀に送られたのであります。車の運転免許を取得するよりも先に小型船舶操縦士になっていた、という過去を背負っているのでありました。

今は「多様性の時代」などというけれども、6時の起床ラッパとともに飛び起きて猛ダッシュで整列して敬礼しながら国旗掲揚という生活を強制された青春を送った経験のある奴はかなり少数派なんじゃないかと思っています。

護衛艦に乗って最初に行った任務は甲板清掃。すなわち船酔いで自らリバースした吐瀉物の片付けをしたのであった(※私以外にも同じ状態になってる者が数人いた)。

モモンガ父も船舶関連の仕事をしておりウチには昼夜を問わず年がら年中モモンガ父宛で国際電話がかかってきた(中東近海を航行中の船舶から緊急の業務連絡がきてしまう)ので、私が父親の事務所に連絡事項を取り次ぐという割と面倒くさい役割を押し付けられたのである。今みたいに携帯電話やインターネットどころか「ナンバーディスプレイ」もない時代だから電話の受話器を取ったらいきなり英語でマシンガントークが来るのだから恐怖感はすさまじいものがあった。最近の若い子が「就職したはいいけど配属先で電話が怖くてとれない」などと言っているが何を甘えているんだと思ってしまう。

まあいろいろ掘り始めるとネタは尽きませんが昔話ばっかりしてると老人(というか老害)みたいでウザいので話をすすめます。

当たり前の話ですが小型船舶免許も更新手続きには時間も金もかかります。金を払って面倒な視力検査と講習を受けなければならぬ。今はだいぶ簡略化されたけど過去には真面目な聴力検査や身体機能(身体の動作に不自由な部分が無いかどうか)の入念なチェックが行われていたのであります。一列に並ばされて指示通りに身体が動かせるかどうか一人ずつ調べられ、ヨボヨボの人は容赦なく不合格にされたのです。

で、私はご存知のようにおととしの11月に交通事故にあってしまい首から左肩、そして腕から手のひらにかけて大ダメージをこうむったので「これを機に船舶免許の更新をやめよう」という気持ちになっていたのであります。



免許更新案内


今回は更新するのをヤメよう




そもそも、これまで10年以上船の操縦から遠ざかっている訳ですし、今後の人生において海の仕事に戻る機会があるとは思えませんから実害は無いと断言できます。でもそこは未練たらしい部分が出ちゃうわけですよ。ダメ人間の私が胸を張って誇れるもの、というか他人に対して優越感を味わえるものは小型船舶免許ぐらいしか無い。おそらくは世間的評価として「船を操縦できるダメ人間」と「ただのダメ人間」では天と地の開きがあるのではなかろうか。

加えて「艦長」の肩書を失うのは喪失感がハンパない。

という次第で割とグズグズ悩んだものの、もう人生の秋を迎えたのは事実なのだしラジオ局のコールサインもすでに捨てたのだし今後は好きなオートバイにちょっと乗れたらそれだけで充分満足できるんじゃないか?ということで初志貫徹、海事事務所に電話連絡を入れて次の更新はしないという意思を伝えました。

前から気になっていたので「返納する場合の手順」についても尋ねてみました。返納できないことはないが、各種書類の提出義務や手続き費用など諸々の負担を考えると、多くの人が「更新手続きをあえて行わず免許の有効期限が終了してヨシとする」という方法をとるそうです。いちおう船舶操縦そのものは「終身免許」なので、有効期限が切れた人であっても所要の手続きにより免許を復活することも可能ということになっています。しないけど。

海事事務所にこれまでお世話になったお礼を丁寧にのべて電話を切りました。こうして私の航海が終わりました。なんともいえない寂しさが胸にこみあげております。大好きな加山雄三さんの『海 その愛』を聴く。アメリカ合衆国のフランク・シナトラの楽曲『マイ・ウェイ」(My Way)』と並び立つ、船乗りにとっては永遠のスタンダードとなるであろう名曲であります。


加山雄三 - 海 その愛






そういえば今年4月11日の木曜日、茅ヶ崎市役所前広場にて加山雄三さんの「モニュメント除幕式」と「茅ヶ崎市名誉市民証贈呈式」が行われました。加山雄三さんが愛用のモズライト(エレキギター)を手にした銅像がたったのよ。憧れてるんだよねえ。今回私が船からおりたのを記念して、加山さんの銅像の前で自分もエレキギターを手に同じポーズで記念写真を撮りたい。そしてできることなら帰りに葉山の裕次郎灯台(森戸海岸に石原裕次郎さんの記念碑がある」に立ち寄りたい気分ですよ。


「ギターを背負ってオートバイに乗るのはやめなさい」


っていうアドバイスを早くも頂戴しているので、電車で遠足に行こうかなあ。

未練たらしいのもダサいので「元艦長と呼べ!」などと言うのもヤメようと思います。過去の肩書を振りかざす老害なんて見苦しいだけですよね。それよりも未来志向でいこう。これからは


「五反田のチャージマン」


と呼ばれるのを目指して活動を奮起したいと思います。憧れているんだ、チャージマン研に。(←第四話「謎の美少年」に登場する星くんのセリフ)

そのうえで「あの人、五反田のチャージマンって呼ばれてるけど、実は元艦長らしいよ」ってヒソヒソ言われるぐらいのほうが奥ゆかしくて良いのではなかろうか。やっぱり自己顕示欲が強すぎるとウザいですからね。これからは謙虚に生きていきたいと思います。

以上、ノドカついに船をおりるという大ニュースでありました。これも終活のひとつですよ。私の長い航海は無事、終わりました。










#44
2024年(令和6年)6月15日(土)
「最新車をDIY整備できるのか?分解・組み立てのしやすさを考える」


洗面所の電球が切れたのでヨドバシに寄り、電球型のLEDを買ってきました。口金はE26っていうごく一般的な電球で、パッケージでは「電球色」を謳っています。加えて「全方向LED」との記載もあり、配光角は約260度で従来の白熱電球に近いイメージで光が広がります、とある。

いきなり話が脱線しますがE26の"E"というのはエジソン(※発明家でお馴染みのトーマス・エジソン)に由来していると知ったときは結構感動したものです。やるじゃんフィラメントおじさん!って思った。ニュートン(力の単位)やパスカル(圧力・応力の単位)のように物理単位で名を残している人はけっこういるけど、工業規格に名を残すというのはエンジニアとして偉大。さすが世界の発明王。

さて今のところ洗面所に設置したLEDは問題なく使えております。電球色というのもあながち嘘ではなくて、LEDの白い光を憎悪している私でも許せる温かみのある黄橙色です。白いホヤ(スリガラスのカバー)を装着しているせいもあってか、不快な眩しさは感じていません。

しかし基本的に私はLEDの白い光が大嫌いです。照らしても大して明るくないクセに光自体はやたら眩しいという、あの特性が断じて受け入れられないのであります。

今は四輪の灯火類に採用される例が激増しております。というかむしろ多数派になってしまいました。最初はテールライト(ハイマウントストップランプ)あたりから徐々に登場しはじめて、前の車はずいぶんとブレーキランプが眩しいナ、などと思っていたら「ぁ」っという間にヘッドライトにまで普及しました。

道端の街灯や店舗の室内照明、はたまた鉄道車両の車内照明にまで蛍光灯型LEDなんかが使われ始めて、どこに行っても眩しくてしょうがない。「それはあなたの老化現象です」って言われるけど、LEDの光を眩しいと感じる理由は単なる老化現象では断じてない。実際ブリテンでは「最近の車の白いLEDライトがまぶしすぎる」という陳情が多く寄せられ運輸省が重い腰をあげて調査に乗り出しているのだ。

よく「省電力」「半永久的に持つ」といった触れ込みでLED照明の優位性が語られますが、正直アテにならない。

私はアウトドア用のヘッドランプ(オデコにベルトで固定する小型のライト)でLEDのものをいくつか購入して使ってきましたが、実際には割と容易に点灯しなくなります。壊れちゃうんです。

厳密に言いますと、LEDの球(ダイオード)そのものが切れてしまったというより制御する基板(エレキ回路)のどこかが壊れてしまい事実上ゴミになる、というパターンが発生するのです。

で、最終的には修理不能というか、100パーセント「買い替え」を強いられる展開になります。

壊れたヘッドランプを分解し、基板にハンダづけされた電子部品のなかから壊れたものを探りあてて取り外し、新しい部品に交換(再びハンダづけ)するなどという修理方法を採るはずがないのです。仮にメーカー送りで修理に出したとしても、良くて内部の基板ごと、たいていはランプユニットごと一式交換が必要になり「むしろ買い換えたほうが安いですよ」ということになるのが常です。

だから「省電力」は正しいとしても「半永久的に持つ」というのは妄想レベルの戯言だと私は思います。いつか突然、つかなくなる。LEDだってそんなモンです。

LEDの光が嫌いな私が「熱烈ハロゲンランプ支持者」なのは言うまでもありません。幼少時から白い光が苦手で小学校にあがるときに学習机を買ってもらう時、どうしても蛍光灯はイヤダ!電球の照明が欲しいと言い張って「Zライト」というアーム式のライトを付けてもらいました。


ゼットライト 山田照明(公式)
https://www.zlight.net/


「熱烈ハロゲンランプ支持者」といいましたがコレはオートバイや車のヘッドライトに限った話で、要するにフィラメントが光る白熱球が好きなのであります。懐中電灯では探見球(ごく普通の豆電球)にはじまってクリプトン球、キセノン球などいろいろありましたがどれもOK。ガラス管の中に入っている気体はナンでもいいから、とにかくフィラメントが光る「電球」が好きなのですよ。

フィラメントは徐々に消耗してゆく性質ですから電球は遅かれ早かれ必ず切れる時がやってきます。同じメーカーの同じ型番のものでも個体差があって、交換して半日で切れるかもしれないし3年以上もつかもしれない。使ってみなければわからない。いつ切れるかは誰にもわからない。言い方を換えると、不定期でバルブ交換するのを前提にして使う照明器具であります。

ゆえに、電球のバルブそのものの単価はきわめて安い。なおかつ、交換作業も比較的容易なものがほとんどです。それこそ洗面所の電球なんて、ねじ込むだけで装着可能なレベルです。

車のヘッドライトがLEDだったらどうなるか。ある日突然、片方のヘッドライトが光らなくなる、というのは起こり得る話です。「LEDは半永久的に持つ」って言ってたのにナンでだよぉ!などと文句を言っても仕方がありません。ディーラーや修理工場に電話を入れて、修理の予約をいれなければならぬ。

問題は直るまでの所要時間、いやそれ以上に修理費の高さであります。

原因ははっきりと特定できないであろう。ダイオードが光らなくなったのか、基板上の電子部品のどれかが故障したのか、故障の原因を追求する作業というのは無意味です。原因究明よりもサッサと直して欲しいのです。仮に原因を特定したところで、良くて分解してLEDの基板交換、最悪の場合はヘッドライトのユニット丸ごと一式交換ということになるのは変わりません。

都合よくディーラーにスペアパーツ(ヘッドライトユニット)など在庫している訳がない。取り寄せるのに数日かかる。ユニット一式はどれぐらいの価格であろうか。むろん車種によるでしょうけど日本メーカーの庶民が乗る車でも2万〜3万ぐらいは普通にするのではなかろうか。

数日後に交換部品が届く。いよいよユニット丸ごと交換という作業がはじまる。かなり大掛かりな作業となるはずである。というのは、ユニット一式を脱着するのは「ねじ込んで終わり」の洗面所の電球交換とは訳がちがう。考えていただきたい。ヘッドライトのオモテ(外から見た部分)にネジが丸見えで、それをゆるめるだけでライト関連部品がパカッと手前に外れる!なんて車があるだろうか。あろうはずがない。皆様のご家庭の車を正面から見れば一目瞭然。みんなボディの裏から部品をハメて目立たないよう裏からネジで固定しているのである。

じゃあボンネットをあけて裏から外せばいいんでしょ!と思う訳ですが、いまどきの車はボンネットの中もギチギチに機械が詰まっているのがほとんどです。手をつっこんで都合よくヘッドライトのユニットを外して抜き取る余白などありません。素人がエンジンルームを見ても全部覆われている感じでどこから手をつけたらいいのか分からないレベルです。



エンジンルーム内


エンジンルームはメカがぎっしり




ヘッドライトのユニットを交換するためには、あらかじめ他の部品をアレコレ外す必要がある場合がほとんどです。我々素人としては「なぜ切れたライトを直すだけなのにフロントバンパーまで外すんだ?」みたいな疑問を抱いたりするのですが、もともとそういう設計でつくられた製品なのだから文句を言っても仕方がない。当然ですが作業の手順は複雑で時間がかかります。作業工賃は爆上がり必至。結果的に「ヘッドライトが片方切れたのをディーラーに修理に出したら1週間待たされて支払総額は7万円だった」というのが普通に起きてしまうのです。

このような現実を目の当たりにすると私は「むしろ電球を交換するだけで済んだ昔の車の方が整備のしやすさという点では優れていたのではないか?」などと思ってしまうのであります。

話題はちょっと変わってオートバイに目を向けるとしましょう。

かつての愛車、ヤマハYZF-R15は私の人生を大きく変えた1台でありました。



R15


タエちゃん2号(サイドケース付・ロングツーリング仕様)




私は車についてはクロカン4WDが好き!という野人でありましたから、オートバイに関しても免許を取る前からアウトドア志向なオフロード系に惹かれていたのであります。ところが実際に免許を取得して走行してみると、舗装された山坂道を楽しく走るという意味では圧倒的にオンロード系スポーティモデルが上だということを思い知ったのであります。走る、曲がる、止まる、という基本的な部分が高い次元で完成されており「未舗装の悪路、道なき道を走行する」というきわめて特殊な状況を除外すれば長旅の快適度もオンロードモデルが優位であると痛感したのであります。車体全体が風防に覆われているのでスピードを出している時に身体が受ける走行風は気にならないし、雨の中を走っても脚が濡れないレベルであった。適度な前傾姿勢が快適で何時間でも運転できた。この車体後部両脇に樹脂製のケースを装着したことで、着替えなどの荷物もたっぷり運べる長旅用マシンとして大活躍したのでありました。

当時はちゃんと働いていたから月給というかたちで安定した収入がありました。定期点検やメンテナンスはぜんぶショップに丸投げです。毎回けっこう費用がかかったけど働いていたから全く気にしてませんでした。

しかしあれから時は流れて今の私はストレートに貧乏なのです。次はなるべく維持費のかからない車両じゃないと生活が立ち行かなくなります。そういう中で「もはや絶滅危惧種のハロゲンヘッドランプを装備した空冷エンジンの原付スクーターといえばスズキ・レッツしかない」と思い至りました。ボディカラーはブラヴォドブラック(俗称:クロレッツ)をひそかに狙っているのは皆様ご存知の通りです。



レッツ


この画像はソリッドスペシャルホワイトNo.2というカラー、要するに白




しかしここにきて急に「スクーターって意外と整備や修理に手間がかかるから作業工賃が高くなるパターンが多いんだよなぁ」などという新たな視点がわきおこっているのである。上に載せたレッツの画像を見てもおわかりのように、大抵のスクーターはどんな服装でも汚すことなく乗れるようにメカ部分が外装パーツにおおわれています。エンジン周りになんらかのトラブルが発生した場合、点検・修理をするためにはまず最初に車体をおおっている外装パーツを取り外さないと作業がはじめられないのであります。

これ以外にも「ヘッドライトのバルブを交換するためにメーターパネルのついた外装を前後に分割する」とか、「すりへった後タイヤを交換するためにマフラーを外す」とか、何かをするためにジャマな部品を先に外す必要に迫られるというか、余計な作業が必ず発生してしまうのだ。

そのうえ昔と違って外装パーツの質がすごく上がっていて、仕上がりが良い(良すぎる)のだ。昔の外装は「ここのネジをはずせば簡単にとれそうだな」みたいに目で見てわかるレベルでしたが、今はハメ込まれた部品には目でみてわかるような隙間とか余裕とかが全く見当たらず、いったいどこから手をつければ綺麗に外せるのか整備書がなければわからない。下手に「このへんかな?」とあてずっぽうに引っ張ると「バキッ」と音がして車体にはめこんでいたツメ部分が割れてしまったりする。外装を綺麗にはがす(外す)、という整備点検の第一段階の時点ですでに難易度がMAXIMUM。

いくらレッツのヘッドライトがハロゲンバルブ仕様といえども、電球が切れるたびにライト周りの外装をいったん前後に分割するようにバラす必要が発生すると考えると地味に面倒くさいような気がする。やってられないよね!という気持ちがどんどん強まってきました。

高速道路を走行する必要があるなら空力特性を重視した外装をまとう意味があるけれども、私みたいなビンボ人がご近所ちょい乗りで使う車種を選ぶのなら外装なんてむしろ無い方が良いのではなかろうか。極端な話、金属製の頑丈なフレームにエンジンその他すべての構成部品を全部むき出し状態で装着することで点検や修理といった作業のしやすさを最優先にしたオートバイをつくったほうがDIYメンテナンス派にとっては都合が良いのではないでしょうか。

ここでふと頭に浮かんだのが、実用車の「スーパーカブ」に各人がそれぞれ自分の好みに合わせて思い思いの改造を施す流派がいることです。中には下に掲載する画像のような改造をする人もいて、当時の私には全く理解できなかった。



改造バイク


骸骨みたいに改造されたカブ




なんでこんなスッポンポンにするのか?これがカッコ良いと感じる人もいるのか?っていうか正直ダサいよね?と思いながらちょっと見下していたのです。しかし、スーパーカブのシンボルとでも呼ぶべきレッグシールドを外したのみならずハンドルバーから灯火類に至るまで全部オーナー好みの仕様にしたことで、結果的に「ものすごく整備がしやすそう」に見えてきてしまったのであります。それこそヘッドライトのバルブ交換のような簡単な修理を自分自身で済ませたい人間にとっては、このようなオートバイがむしろ正解なのではなかろうか?

とかなんとか思っていたらまた私の内側に迷いが発生してきたのであります。残りの人生、その限られた時間を考えたらこんなヘンテコな改造オートバイ、今乗らないでどうするよ?みたいな気分がおさえられなくなってきました。やばいなあ。変な改造オートバイに乗りたいなあ。ほらね、私が若い時に「オートバイに乗りたい」って言ったら家族が猛反対して徹底的に抑え込んだ結果、こういう捻じ曲がった大人に成長してしまったんだよ(←出たよ他人のせいにする奴)。反抗期とかと一緒で、ある特定の時期にちゃんと必要な過程を経ていないと屈折した人間になって大人になってから手の施しようがない状態になるんだよ。

ということで急に改造オートバイに目覚めちゃったんですけど、どうしたらいいんでしょうかね?我ながら今後の行く末が心配ですよ。










#45
2024年(令和6年)6月19日(水)
「要するにソフトバイクが欲しいのよ」


前回のモモ通で「車やオートバイに関しては、分解・組み立てが容易で整備点検や故障部品の交換作業に時間も費用もかかならい物のほうがユーザーにとって良いのではないか」という思いを書きました。

極論を言えば、知恵の輪みたいな複雑なレイアウトで部品をギューギューに詰め込んだ上に見栄えのよい外装をまとった「上等品」なんぞ実用の道具として過剰!!というのが私の個人的結論であります。

ゆえに今はスズキの原付スクーター「レッツ」にすらケチをつけるレベルにまで到達してしまいました。外装の脱着が面倒くさいぞ!とかいって。屁理屈をこじらせ過ぎてすでに意味不明な様相を呈しています。でも実際そう思うのだから仕方がない。

しっかりした鉄製プレスフレームをつくり、そこに必要な部品だけくっつけて自動二輪を仕上げればイイじゃん、と思う。外装なんて要らないんだよ。

よくよく考えたらそんな車種が現行モデルでひとつだけあった。ずばり、ホンダのダックス125です。


ダックス125(ホンダ公式)
https://www.honda.co.jp/Dax125/



ダックス125


ホンダ公式サイトより画像引用




ダックスはプレス成型フレームにエンジンや車輪など各種部品をうまいぐあいに組み上げた設計でメカは全部むき出し、余計な外装をまとわず「すっぽんぽん状態」という他に類を見ないユニークな存在です。見た目も可愛いし良いよね。

しかしメーカー希望小売価格は驚くなかれ451,000円であります。趣味性の高い娯楽オートバイとはいえ125ccで45万円を超えているというのは、ちょっと想像を絶する高級品と言えましょう。



中古車


型の古い中古車でも40万円とか普通




まだ出たばかりの車種なのでヨレヨレの安い中古車は見かけません。そのうえ人気も高いから中古相場もなかなかキツい。

まあ前提条件として私自身が品川区の駐輪場所問題などを考慮の上、いま必要としているのは50ccクラスの原付であって、排気量が125ccという時点で候補から外れるのであります。「置いても良いのは50cc原付のみ」と定められている場所ばっかりなのだからしょうがない。

そもそもダックスはむかーし50cc原付で存在していたのを現代風にアレンジして(排気量拡大して)2022年7月に「リニューアル発売」したものです。じゃあ過去に販売されていた50ccのポンコツ骨董品なら安く買えますかね?というと現実は全く逆でマニアが争奪戦をくりひろげるプレミア価格となっており、40年前のヨレヨレ個体が普通に40万円とか50万円とかで取引されている次第。おそろしい話ですよ。

思うのですが原付(原動機付自転車)というのは概念としてこのようなものを指すという前提ではなかったのか?


Honda Collection Hall 収蔵車両走行ビデオ Cub号F型(1955年)







これこそ文字通り「原動機がついた自転車」であって、この車種のありようを前提にして法整備がされた(最高速度は時速30km、大きな交差点では二段階右折)というのは納得できる話ではあります。車の免許のオマケで乗れるのはこのようなタイプです、と言われれば頷けるのであります。

しかし時代とともに原付は大幅に進化を遂げてしまいました。ホンダNSR50とかCRM50みたいな「法的には原付に区分できるけど事実上は性能が突出した本格的なオートバイ」が世に出た時点で原付に関する法律を根本的に見直すべきだったんじゃなかろうかと思ってしまいます。日本人特有の「問題が発生しても解決は先延ばしにして未来の人間に責任をなすりつけるスタイル」が見事に反映されて、いまとなっては125ccをデチューンして原付にするだの、免許不要で一方通行逆走も可能という特定小型原付を設定して電動キックボードを解禁するだの、公道はすっかりカオス状態になってしまったのであります。

最初のうちはスーパーカブのような実用車が原付のメイン車種でしたが、1970年代の半ばから女性をメインターゲットにした新たな車種が登場して原付市場に激戦の時代が到来します。ホンダが1976年にイメージキャラクターになんと女優のソフィア・ローレンを起用し俗称「ラッタッタ」すなわちロードパルを発表したのであった。軽くて取り扱いが楽だし気軽に乗れるし価格も安い、ということでイッキに原付おばさんが出現したのであった。



ロードパル


爆発的ヒット作、ラッタッタ




これもパッと見てなるほど原動機の付いた自転車だよなあ、という感じで好感が持てます。小柄で非力な女性でも抵抗なく乗れそうなのは見ただけでわかるレベル。ちっちゃくて軽くて余計なものは付いていない。それでもゼンマイ仕掛けで容易にエンジン始動ができるなどユーザーへの配慮はしっかり設計されています。点検整備にジャマになるような凝った外装もない。何から何までシンプルかつ実用に徹した完成度が実に良いではないか!

これを迎え撃ったのがヤマハのパッソルです。マニアが口からツバをとばして熱く語りがちな動力性能とかはバッサリ切り捨てて、小さくて軽く取り回しがしやすくスカートでもサッと乗れる(床が平らなので脚を揃えて運転可能)。八千草薫さんをCMに起用してこれも大ヒット作となりました。

このあと80年代も半ばに入ると床が平らで見栄えの良い外装をまとったスクーターが主力になってゆくのだけれども、それまでの間に「ソフトバイク」と呼ばれるジャンルの原付が華やかに街を彩ったのであります。どの車種も今見るとすごくいいんだよなあ。原付のあるべき姿を当時の価値観に基づいた最適解で完成させている、というふうに感じる。設計そのものに無駄がなくて分解・組み立てというか故障した際の修理がやりやすそうに見えます。



キャロット


ヤマハ・キャロット(1979年登場)




灯火類のバルブ交換や万一のパンク修理も自転車並の手軽さでイケそうに見えます。庶民の足として充分な実用性が見込めそうですし、何よりも造形が素敵というか見た目がとてもオシャレさんです。ああ、私はこういうのが好きなんだなァって思います。

一番好きだったのはヤマハのタウニィですよ。本当にかっこいい。



タウニィ


最高にイカしたソフトバイク




1980年 TOWNY(MJ50) ヤマハ公式
https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/towny_mj50/

ということで今日のモモ通の結論はタイトルの通り「要するに私はソフトバイクが欲しいのよ」ということになります。いまはこういう原付が無いのよ。乗りたいと思っても、新車のラインナップには見栄えの良い外装をまとったスクーターしか無いのよ。「消去法だとスズキ・レッツということになるねぇ」という次第ですが、そもそも自分の大切な足となる乗り物を消去法で選んじゃダメなんですよ。

でももうタウニィなんて骨董品はマトモな個体が残ってないし、仮に中古品を入手したとしても走れるように整備するための補修部品が手に入りませんから、わざわざ苦労して探してまで買う意味がありません。

こうなるとやっぱり適度に古いスーパーカブあたりを中古で探して、ひたすら「外装剥がしてスッポンポン化」に専念して妙ちくりんな見た目の改造カブを自分好みに仕上げてゆくよりほかに道は無いんでしょうか。イバラの道になりそうだなあ。

うーん。レッツを買う気が失せて話が振り出しに戻ってしまったよ。困ったなあ。










#46
2024年(令和6年)6月23日(日)
「改造オートバイを求めて出かけて結局は動物園にいた話」


原付が欲しい欲しいと言いながらアレはヤダこれは駄目とウダウダ・グチグチと話を続けておりますが「どうせいつもの買う買う詐欺でしょ」とか思ってるそこのアナタ!図星だよ!!いろいろ考えると消去法でスズキのレッツが残るな、と思ってほぼ確定したはずでしたが、改めて思ったけど


趣味で乗るオートバイ(※スクーター含む)を消去法で選ぶなんて阿呆の極み


と今更ながら気づいてしまいレッツ購入計画は却下となりました。車種選びがまたしても振り出しに戻ってしまったのであります。レッツが候補から脱落した時点で私が人生でスズキの自動二輪に乗る可能性は消滅した風味。

原付購入の使用目的はあくまでも「ご近所ちょい乗り」といいつつも、どうせ買うなら趣味に全振りして遊び倒さないとツマらない。なにしろ今の私は「改造オートバイに乗らないまま年老いてしまったら死んでも死にきれない」という思いが脳内にほとばしっているのだ。本来は16歳〜17歳の時にやるべき事を、みんなが楽しんでいる時に一緒にやらないで過ごしてしまったからこんな無様(ぶざま)な大人になってしまったんだよ。

でも考えようによっては、80歳になってから「自分は改造オートバイに未練がある」と気づいたら絶望的に手遅れですから、ある意味ギリギリのタイミングで間に合ったと考えても良いのではなかろうか。

正直に言うと私自身は改造オートバイ文化を嫌悪していたのです。不良集団が乗るような乗るようなバカ2輪は論外として、たとえばオートバイが標準装備している部品をことごとく外してスカスカな状態に仕上げた「スカチューン」なんていうのは理解不能であった。よくベース車にされていたのがホンダFTRとかヤマハTW200ですが、TW200といえば1987年に冒険家の風間深志さんが世界で初めてオートバイで北極点踏破した歴史的名車であります。仮に改造をするとして、風間深志さんが使用したマシンに似せる改造を施す、というのであれば解ります。風間さんのファンなのだろうなと思える。でも世の中で流行ったのは部品をとっぱらって骸骨みたいにした「スカチューン」ですよ。品が無さすぎる!!

と、つい先日までは思っていたのですが急に考えが変わってしまいました。最近の「なんでもかんでも電子制御化」「無駄に贅沢な上等装備」「複雑メカてんこもりでDIY整備は事実上不可」「気に入った製品を長く大切に使い続ける美徳を否定し、ユーザーに早いサイクルで新製品への買い替えを強いるようなメーカーの姿勢」が露骨になってきた最新の自動二輪がイヤになってきたのであります。

実用のうえでは無くてもよい物はすべて取っ払う「スカチューン」はある意味、メーカーによる露骨な「消費者は金持ち優遇」戦略に対する反抗であり豪華装備満載で高価格化がすすむオートバイ業界に対するカウンター・カルチャーだったのではなかろうか。

かくして私は手のひらをひっくり返して「改造オートバイに乗ることで既存の権威・権力や価値観に反抗の意思表示をしたい」と思ってしまったのであります。いい歳をして何を言っているんだって感じですが、16歳のうちに必要な儀式を済ませなかったのだから仕方がない。要するに私には今、反抗期が来たという事でありましょう(←最悪な奴)。

何はともあれ、たとえイバラの道だと分かっていても改造原付マンとして生きてみたくなってしまったので、一歩踏み込んで「本当に乗りたい車種」について考えてみることにしました。

ちっちゃくて改造文化が盛んな原付といったらホンダのモンキー(現在の125ccタイプじゃなくてとっくに製造販売が終了した50ccのもの)が真っ先に思い浮かぶのであります。モンキーならその気になれば玄関から家の中に引き入れて保管ができそうな気がする。ここ数年でものすごいプレミア価格になっているのは百も承知ですが、程よく珍改造されて価値が下がりヨレヨレになってるポンコツを手ごろな価格で入手できないだろうか。

中古オートバイ販売の検索サイト「グーバイク」を見ると奇妙奇天烈に改造された変なモンキーが全国にそこそこありますし、ネットオークションに出品されているものにいたっては更に訳のわからない改造車がトンチンカンな価格設定で出品されていたりします。まあオークションでオートバイを買うなんて個人的に有り得ない話ですし、仮に興味深い車両が遠方のショップで見つかったとしても購入するとなると却って高くついたりするからそういう買い方もしたくない。

とりあえず私は全国展開しているオートバイ販売店「マンフレート・アルブレヒト・フォン・リヒトホーフェン男爵の店」に行くことにした。第一次世界大戦で活躍したプロイセン王国の航空機パイロットで愛機を赤く塗っていたことから「赤い男爵」と呼ばれていた人にちなんだ、あの店ですよ。

以前は五反田にもレッドバロン(←あ、言っちゃった)があったのですがとっくの昔に閉店してしまいました。ウチから歩いて行ける比較的大きな店舗はあそこが唯一無二だったので残念でしたよ。今は京急で「レッドバロン東京大田店」に行くか、東急で「レッドバロン川崎幸店」に行く感じです。どちらも駅から相当歩きますが、まあ地形が平坦なので歌いながら歩けばOK。東急沿線マンとしてはレッドバロン川崎幸店とラフ&ロード川崎店をハシゴするのが丁度いい。

というわけで単刀直入に「改造モンキーを探しているんです」とフランクに言ったのですよ。そうしたらレッドバロンに改造車は無いという回答であった。車検対応をうたった製品をきちんと造っている真面目なメーカー製のマフラーに交換している程度のものは扱うけれども、モンキーのスイングアームを長くしたりエンジンに大幅に手を入れているような「盛大な改造車」はオリジナルというかノーマル状態に戻したうえで販売しているとのこと。端的に言いますと「改造車乗りの来店はご遠慮ください」というスタンスなのであった。

ノーマルのモンキーを何台か見せてもらったけど、やはりと言うか当然のことながらプレミア価格がついており私が買えるようなシロモノではなかった。私は失意のうちにお店をよろめき出たのであった。

ふと我に返った時、私は夢見ヶ崎動物公園にいたのです。

というのは全くの大嘘です。もともと去年のゴールデンウィークの遠足で夢見ヶ崎動物公園に行ったとき、駅から歩いていく途中にレッドバロン川崎幸店があることを知りました。だから「むしろ最初から動物園狙いでコッチに来たんじゃないのか?」と突っ込まれても二の句が継げません。ああそうだよ、オートバイのリサーチはオマケだよ!!

6月にもなるとシカの袋角(ふくろづの)もだいぶ大きくなっていますね。



シカ


この季節はツノがどんどん伸びて行く




この袋角の時期はツノに血管が通っていて栄養がゆきわたって成長する、というのが凄いですよね。ツノが1年ごとに生え替わるというのは神秘というほかはない。



モルモット


チラッと姿を見せるモルちゃん




テンジクネズミ(モルモット)は頭がデカくて身体がずんぐりして独特の愛らしさがありますね。何故かみんなで密集しているのも面白いです。どこの動物園だったか忘れちゃったけど、テンジクネズミが列をなして橋を渡ってゆくアトラクション(?)を展示しているところがあったのをYouTubeで見ました。面白いアイデアを思いつくものだなぁと感心しましたよ。



シマウマ


活動的なシマウマくん




この日のシマウマは背中あたりが痒いのか、地面の上をゴロンゴロンと転がっておりました。ストレス解消なのかな?っていうぐらい見た感じはすごく楽しそうであったから、私も一緒に転げまわりたい気分になったよ。



マーコール


マーコールのお母さんと子供




ということでまたしても大好きなマーコールに釘付けですよ。春は出産の季節ということでしばらく前に何頭か赤ちゃんが生まれましたが、会いに行くたびにどんどん成長してゆくのであります。とにかく大きくなるのが早い。びっくりするぐらい早い。



子供


ちっちゃい子が可愛い!




ヤギの仲間は断崖絶壁をいともたやすくヒョイヒョイと上り下りするので見ていて感激するのであります。まだちっちゃい子もお母さんの後をついて急な崖をサラッとのぼってしまうのだから凄い。高い所から軽いステップで音もなく軽くしなやかに下りる姿の美しさは本当に見事としか言いようがありません。何時間でも見ていられます。



レッサーパンダ


レッサーパンダはネンネ中




レッサーパンダは気持ちよさそうにお昼寝をしていました。耳をごらんください。白い毛のふさふさ感が何とも言えません。長い耳毛(?)もタマンネ。それにしてもレッサーパンダは日本国内で飼育されている個体数が随分と多いのではないでしょうか?たいていの動物園にいますし、総数はどれぐらいなのか気になるところです。アイドル級の可愛さで飼育頭数が多いとか誠に嬉しい話ですよ。



フラミンゴ


フラミンゴは今日も赤かった




夢見ヶ崎は鳥類も多くいますので「そっち系」が好きな人にもおすすめ。羽を広げると見事なインドクジャクとか美しいオオタカなんかも見られるので満足度は高いと思います。どうしても鳥は金網越しになってしまうから撮影しようとすると難しいですが、そこは肉眼でじっくり観察を楽しむのが王道でしょう。あとサルの仲間もいろいろな種類がいますのでサル系が好きな人にもオススメ。サル舎の充実度はなかなかのものです。案内板も楽しいですし。

逆に、私の苦手な爬虫類とか両生類などの怖いのはほとんどいないのも魅力。爬虫類はカメぐらいしかいないぞ!私はいつもスルーしてますけど。

かくして「オートバイのモンキーはあきらめたけど夢見ヶ崎のサルはいっぱい見てきた」ということで差し引きゼロな感じで一日が終わりました。改めて私は「動物園に行けば幸せになれる単純な人間」ということを思い知ったのであります。いま夢見ヶ崎動物公園は事務所の建て替え工事の真っ最中でして、どのような感じで完成するのか楽しみに待っております。せっかくだから売店も充実して欲しいし、マーコール像の募金箱なんかも置いて欲しいし、最近は活動報告がまったく耳に入らず消息不明となっている夢見ヶ崎のご当地アイドルグループにも来てもらいたい。売店でオリジナルの商品を販売して来園者から少しでもお金を稼ぐぐらいのことをやっても良いと思うんだ。


名物!
丹沢鹿の角エキス配合・夢見ヶ崎オリジナルドリンク
(レッサーパンダ味)


なんていうのを地元の店と共同開発して販売すれば私も喜んで宣伝活動に加担させてもらいますわ。ヨソ者の私が言うのもなんですけど、夢見ヶ崎は全国的に見てもけっこう自慢できるレベルの素晴らしい公園&素晴らしい動物園なのだからちょっと色気を出して金儲けするぐらいの欲を出しても良いと私は思いますぞ。そして儲けた金で高騰するエサ代を捻出しつつ、できたらロバさんの展示再開もお願いしたいです。

今日の結論。夢見ヶ崎は本当に素晴らしい公園で私のイチ押しスポットですので、行動範囲的に射程圏内の方は「ノドカにだまされた」と思って是非一度お越しくださいませ。あらためてお断りしておきますが決して私は「まわし者」ではなくて、どちらかというと「まわされてる者」の立場ですが本当に大好きな場所なので皆様にも来園いただきたいと心の底から願っております。

マーコールの前で僕と握手!


夢見ヶ崎動物公園
https://www.yumemizoo.com/


お待ちしております(←お前はどこの誰なんだよ)。











#47
2024年(令和6年)6月26日(水)
「脱・交通系ICカードの動きと今後のスマホ選び」


今日のテーマはSuicaやPASMOといった交通系ICカードの話なのですが、冒頭からいきなり脱線します。スズキの軽自動車「ラパンLC」って可愛くてヨイね。



ラパンLC


マリンルックな2トーンカラー




いまどきは背景を手掛かりにするのはもちろんのこと、ボディやガラスに写り込んだ風景から撮影場所を特定してしまう、などという恐ろしい技能を持った人もいるから敢えてボカシを入れているので掲載画像が不自然なのはご容赦ください。よそ様の大切な車ですからプライバシー保護を最優先しないといけません。

大きな真ん丸ヘッドライトがとにかくキュートで、愛くるしい小動物のようです。私はタイヤのアーチに沿って装着する樹脂部品が好きではないのですがこちらはボディカラーがメタリックの濃紺ということで悪目立ちせず違和感がありません。それ以外にも「ドアミラーに色を塗るな」とか「ホイールに装飾的なキャップは付けるな」とかいう個人的な願望をことごとく否定する仕様なのですが、すべてがよく似合っています。屋根やホイールと同色のドアミラーが肉まんみたいに丸っこい形状というのが絶妙に効いてます。ひとことで言えば「しあわせなデザイン」の車だと思います。

「軽自動車に上等な見た目や装備は要らない派」の私もラパンLCには降参しました。



さて、今日の話題は交通系ICカードです。野口五郎のファンであり「私鉄沿線」民の私は当然のようにPASMOを使用してきました。あの公式キャラのピンクロボットが可愛いんだよね。


PASMO(パスモ)公式
https://www.pasmo.co.jp/


JR東日本がSuicaのサービスを開始した時「ああ、これを日本全国の交通機関で使えるようにすればタッチ決済に関しては覇権を取れるな」と私は思いました。しかし案の定、JR東日本は自社限定のオリジナルサービスとしてユーザーの囲い込み戦略をとったのであります。このへんの発想がいかにも自社の利益のみを優先する日本企業って感じです。ユーザーの利便性向上なんて微塵も配慮しません。

数年遅れて私鉄が連合を組んでPASMOを発表しました。この時点で既に日本全土に交通系ICカードが乱立していて、運営会社をまたいでの相互利用が可能になるまでにかなりの歳月を要したのであった。

しかしここにきて主に地方交通から「交通系ICカード相互乗り入れ」から離脱する動きが出てきたとのニュースが報じられ始めました。ICカードと磁気きっぷを併用するシステムの運用に莫大なお金がかかる事と、訪日観光客にとって利便性の高いクレジットカードの非接触キャッシュレス決済方法にきりかえる新たな潮流が生まれている、という背景があるようです。このような展開で時代が変わっていくことを20年前に予測した人など居ないであろう。うちの周辺だとQRコードを読み取る改札口も見かけるようになってきました。もちろん使ったことなどありません。こんなありさまでは、ちょっと油断しただけで電車の乗り方がわからなくなる時代がすぐに来そうなレベルです。

実際のところ私は「みどりの窓口」が無くなってから特急券の買い方がまったくわからない。券売機で買えるらしいけど操作方法を知らない。ゆえに新宿から「あずさ」で松本まで行って大糸線に乗り換えて信濃大町駅まで行くための切符の買い方が分からない。すでに時代に取り残されている自分を感じる。

これからはPASMOでピッと入ってサッと出られる所しか行かれないな、ってちょっと弱気になっている。



PASMO頼み


頼れるのはPASMOだけ




もともとはSuicaを使っていたのだけど、ずいぶん昔に紛失してしまった。転職して電車通勤になったときにPASMOを作ったのだった。



カード型PASMO


最初はこのカードタイプよ




それからスマホが爆発的に普及したのに伴い、私は意を決して「モバイルPASMO」というものに挑戦したのである。ガラケーの時代から「おサイフケータイ」という機能は存在して身の周りでもけっこうユーザーがいました。私はケータイに決済機能なんて不要と思って完全にスルーしていましたが。スマホ界でにわかに「なんちゃらペイ」というのが乱立し始めて、私もひとつぐらいはキャッシュレス決済にチャレンジしないと時代の波に置いて行かれるな、と妙な焦りを感じたのです。で、あれもこれも挑戦するガッツは無かったのでひとまずスマホでPASMOを使えるようにしようと思ったのよ。

結論から言うと便利なのは間違いなかった。「最新の残高がアプリで見られる」「都合の良いタイミングでクレジットカードから即チャージできる」という2点は絶大なアドバンテージであった。

しかしこのたび私はモバイルPASMOをやめる決意を固めました。しばらく前にスマホを道路に落下させて液晶画面のガラスがバリンバリンに割れてしまったのです。画面を触ると指先をスパッと切って血が出るレベルでしたから、スマホは突然の引退を強いられることになりました。ただちに買い換えたいところですがここ数ヶ月は余計な出費がかさんでおりスマホの購入に充てる資金がありません。

そもそも、モバイルPASMOを継続して使うにはスマホはなんでもいいという訳にはいきません。大前提として「おサイフケータイ」対応機種であることが必須となります。そのうえでSIMフリーで楽天モバイルとソフトバンクバイルの周波数帯に対応したデュアルSIMのものを・・・なんて条件を絞ってゆくと選択肢がイッキに減ってしまいます。私はスマホごときにお金をかけたくないですから、機種選びの段階で条件として「おサイフケータイ」縛りがあるのは邪魔でしかありません。

さいわいモバイルPASMOの残高は奇跡的な金額となっております。失うことになっても事実上ダメージは受けません。



残高


現時点でのチャージ残高は1円




でもまあ今後はモバイルPASMOをやめるとなると、代わりに「なんちゃらペイ」をひとつは導入するのが良策かもしれません。スマホはメイン回線が楽天モバイルですので楽天Payを試そうと思ってはいますが下調べをしてもイマイチ理解できません。「楽天キャッシュ」とか「楽天Edy」とか言われても何が何だかエゾモモンガ状態。まあ次のスマホを入手してからじっくり学ぶとしましょう。



二つ折り携帯


しょせん私は「電話で充分マン」ですよ




私はIT技術(※特に日本のIT技術)は全く信用していないから、なんでもスマホに集約して一元管理したりマイナンバーカードに様々な情報を紐づけしたり、そういう風潮がイヤでイヤで仕方がありません。さすがにスマホを紛失する失態はなかったけど落として破損したら即終了っていうのは本当に盲点でした。今後もできるだけスマホ依存の生活は送りたくないな、と思います。










#48
2024年(令和6年)6月30日(日)
「自動二輪における積載の問題」


今日もウダウダと長い話になりそうなので先に結論を箇条書きにします。内容はオートバイで荷物を運ぶときの「積載方法」についてです。興味の無い方には苦痛レベルに退屈なネタですのでご覚悟願います。


・二輪で旅に出る時は「荷物をどう積むか」が問題になる

・私は車体後部の両側面にバッグや樹脂製ケースを付ける「ツアラースタイル」が好き

・アドベンチャー系など車種によっては両サイドケース+トップケースの「3個箱体制」という凄まじいフル装備の流派もある

・人それぞれ積載のスタイルは違っても、バッグやケースの中にはみんなの旅への情熱が詰まっているんDA!


徘徊中に「旅が大好きマン」の愛車とおぼしきオートバイを見かけました。ホンダ国内ラインナップには無い車種ですので輸入車です。外車でも国内に正規ディーラーがあってサポートがしっかりしてるモノならいいけど、ヘタに輸入車を買うとトラブル発生時の修理で補修部品が手に入らなかったりするからイバラの道なのよね。車体が安いからと謎のインド製を買ったりすると「補修部品は本国から個人輸入で納期および価格は手元に届くまで未定」なんていう事態が当たり前だから、いくら低価格で面白そうなオートバイがあっても容易に手出しはできません。



外国製


赤い125ccオートバイ




よそ様の愛車ですので背景を加工して消してあります。不自然な画像なのはご容赦いただきたい。桃色のナンバープレートが付いていたので排気量は125ccでしょう。それにしても両サイドに樹脂製ケース&荷台に四角い箱とは、なかなかの積載量を誇るロング・ツーリング仕様となっております。

サイドケースは2名乗車でもジャマにならない程度に後ろに配置しているし、トップケース(箱)の位置も車輪よりもかなり後ろにあります。これらの箱に荷物をギューギュー詰め込んだら、オートバイの後ろにかかる重心はなかなかだろうと思います。大きい排気量の重量級エンジンを積んでいるならまだしも、この小さい車両ではフロントの荷重がぬけてしまって運転操作に相当気をつかわねばなるまい。

レース用車両など極端な例外を除けばそれなりに荷室を有する四輪とちがって、二輪では「旅の荷物をどう運ぶか(どう積むか)」は割と大きな問題であります。私はヤング時代に自転車で旅をしていた時から「車体後部の両側面にバッグを装着する派」でありまして、オートバイのジャンルで言うと「ツアラー」と呼ばれる車種が私の理想という感じです。

大排気量エンジンで余裕のある動力性能を有し、身体を走行風から守る風防を備え、両サイドに装着する樹脂製のケースが純正オプションで準備されており長い旅もへっちゃらよ!というタイプですな。



スズキの大型ツアラー


スズキGSX-S1000GT、かっこよすぎて失神しそう




このような「旅の荷物を車両の両側面に積載しつつ全体としてはスポーティなシルエットを保っているオンロードバイク」が私の大好物であります。とても美しいと思います。でも実際のところこういうジャンルに乗る女の人は見たことが無い。まあ男女は関係なく、そもそも巨大なツアラー自体がそれほど多く走っているとは言えない車種ですよね。



カワサキ


カワサキのツアラー、Ninja1000SX




私も今より40歳若くて身体が健康であったなら頑張って大型自動二輪免許を取得してツアラーに乗るガッツもあったかもしれない。体力のある若い時の時間というのがどれほど貴重なものであるかを今更ながら痛感するのであった。万一倒しちゃっても自力で起こせるオートバイじゃないと乗れない、と思っていたら乗れる車種がどんどん小さくなってきた私にとっては大型ツアラーというのは永遠に手の届かない雲の上にいる憧れの映画スターのような存在であります。



ホンダ


ホンダにはNT1100という大型ツアラーがあります




私は東京都西部の山岳地帯(秩父奥多摩山系)で青春を送った野人ですので四輪はパジェロやジムニーみたいなクロカン系が好きでした。アウトドア系の雑誌などの影響でオートバイもオフロード車にあこがれました。さすらいの野宿ライダー寺崎勉さんの世界ですよ。しかし実際に自分が自動二輪免許を取ってみたらオンロード用モデルのほうが舗装路を楽しく走れると知ってしまい、好みが変化したのであります。で、行き着いた果ては威風堂々たるツアラーこそが至高、ということになったのです。

年齢と体力を考えるとデカいオートバイは絶対無理!という私が到達した境地が「ミニミニツアラー・ヤマハYZF-R15のどかスペシャル」だったのです。排気量150ccの軽量なオンロードモデルを黄色に塗って両サイドケースを装着する加工をしてもらって、要するにカネにものを言わせて自分に合ったサイズの理想のツアラーをつくっちゃったのであります。これに乗って舗装林道をチンタラ旅するのが私の生きる指針となったのであった。言うまでもなく最高の旅の道連れとなってくれました。



かつての愛車


私のために完成した世界でただひとつの小型ツアラー「タエちゃん2号」




もう手元にない過去の愛車なのでこんな画像も安心して晒せます。YSPで新車を購入して自分の手元にくるまで知らなかったのですが、タエちゃん2号「タエちゃんガーベラ号」のナンバープレートはけっこうインパクトがありました。



奇跡のナンバー


数字が2だった




希望ナンバーとかそういうのではなく、まったくの偶然でこうなってしまったのです。私の幸運の番号は4ですから44-44ならもっと嬉しかったんですけど、全部2が揃っているだけで充分な威力ですよ。ちなみにその前の愛車、TDR80も一発で覚えられる系の奇跡的な並びのナンバーでしたから、人生にはおもしろい巡り合わせがあるものだと思ったものです。

この「両サイドに樹脂製のケースを装着」というツアラースタイルは効果抜群で、着替えなどの旅の荷物をたっぷり&悪天候でも濡れない状態で安心して運べるし、重量バランスにも極端な変化が無く違和感をおぼえることなく運転できるのが本当に最高でした。そういう意味で私は完全にこのスタイルが「積載の最適解」として定着したのであります。

しかし世の中には上には上がいるというかもっと凄い世界があるのです。特にアドベンチャー系の大型車種に顕著に見られる傾向ですが、両サイドに巨大な箱を装着して、さらに車体後部の荷台に一層大きな箱を付ける流派があります。オートバイメーカーが純正でオプション設定しているレベルであります。これは見るとなかなかの迫力です。もはや夜逃げできそうな積載スタイル。



Vストロームその1


アルミの箱が付いているぞ







Vストロームその2


後ろから見ると凄いな




ホンダのアフリカツインも公式ですさまじい画像を公開しています。ホンダのロゴ入りアルミケースを装着し、よく見るとガソリンタンクの上にも小さなバッグを固定してあります。どう見ても世界一周の途中にしか見えない。



アフリカツインその1


家財道具一式積んで、住所不定で生きて行かれそう







アフリカツインその2


公式が載せている画が強烈過ぎてもはや言葉を失う




これほどの大荷物を積もうとも、排気量が1000ccを超えるような大型車はエンジン周りの重量もすさまじいので前後輪の荷重バランスが崩れることもあまり無いというのが凄い。



ヴェルシスその1


カワサキのヴェルシスもデザインが見事な仕上がりで超絶にイカす







ヴェルシスその2


私もあと40歳若ければ挑戦していた世界観だなぁ




このような大型車を見てから今日のモモ通の冒頭で紹介した画像を見ると、やっぱり重量バランス面がちょっと心配になるのよね。サイドケースの位置も後方に寄り過ぎだし、トップに装着した黒い箱も車体からずいぶんと後ろに飛び出ている。荷物を満載したら前輪が浮きそうに思う。あと、後ろのブレーキランプやウインカーがちゃんと見えるのか心配になる。私ならタンデム乗車はあきらめてサイドケースをもう少し前に寄せてレイアウトするだろうし、トップの黒い箱は装着をあきらめる。

まあ積載方法など他人が口を挟むのは野暮というものであろう。積荷が落ちなきゃヨシ!なのである。積載の目的なんて言うのは人それぞれ違って当たり前ですから見た目がかっこ良いとか悪いとかは個人の好みに過ぎないし、積みたいものを積みたいように積んで人生をエンジョイした人が本当の幸福を得られるのだという事を忘れてはいけませんな。

「実用は先づ積載から」という格言があるのだ。大きな箱を装着して輸送機のようにカスタマイズして何が悪い。探せばいろいろと凄い世界がありますぞ。


ツアラテック TOURATECH JAPAN(公式)
ハンターカブ用パニアフレーム新発売

https://touratechjapan.com/parts/2022/02/19/ハンターカブ用パニアフレーム新発売/
(2022年2月19日)







完全に前輪が浮いちゃってますよ。125ccのオートバイにこれはやり過ぎではなかろうか?と思うかもしれないけど積載はひとつのロマンなのよ。箱やバッグを装着することによって詰め込むのは着替えだけじゃない。一人ひとりが自分なりの旅への情熱を詰め込んでいるんだ。

時には「夜逃げをする人」のようにたくさん積んだっていいじゃないか、ライダーだもの。




















モモ通2024年第1期 ← 工房 エゾモモンガ 最初のページ → モモ通2024年第3期