麗しのインド娘 YAMAHA YZF-R15


〜 航続距離の長い最高の旅バイク!軽快なサイズが嬉しい魅力的なライトウエイト・スポーツ 〜

2020年11月3日





YZF-R15

2013年7月 白馬にて





愛車紹介第二弾は、TDR80の次に相棒となったヤマハのYZF-R15(Version 2)2012年モデルです。インドヤマハ製の単気筒150ccエンジンを積んだ小粋なフルカウル・スポーツモデル。残念ながら今はもう手元にはありませんが、とても気に入っていた最高のオートバイでした。青春を共に駆け抜けた思い出深い一台として、ここで詳しく紹介したいと思います。

私のそれまでの愛車はヤマハのTDR80でした。TDRは学生時代から好きだったオートバイで、私にとっては永遠の憧れであるTDR250(風間深志さんは私のヒーロー)をギュッ!!とデフォルメしたようなコロンとしたかわいいデザインがTDR80の魅力であります。この黄色が欲しくて欲しくてならず、バイクに乗りたいと願ったものの家族の猛反対にあって免許取得をあきらめたのも過去の話。社会人になって念願の普通自動二輪免許をとって最初に選んだのは、やっぱりTDR80(ソフィアイエロー)でありました。

教訓。子供がオートバイに乗りたい、と言ったら、親は頭ごなしに反対してはならない。でないと、親に隠れて乗るようになります。それよりも、きちんとしたライディングや安全装備を指導して「よき理解者」となるのが本当のあるべき姿だと思います。生まれついてのバイク好きは性癖と同じで、死ぬまで治りません(断言)。親に隠れて乗るようになったら却って心配です。全国のお父さんお母さん、もし娘さんor息子さんが「バイクに乗りたい!」と言ったら「清く正しく美しいライダー」「安全に気を配り模範となれるようなライダー」になるように、みっちり指導してください。間違っても全否定はしないでください。頭ごなしに反対されたら、私みたいになっちゃいますよ!!

TDR80は見た目も最高(ソフィアイエローがいいのよ)なら走らせた時の面白さもピカイチで、2ストローク・エンジンの爆発的な加速感は一度味わうともう病みつき、できることなら一生乗り続けたいと思ったオートバイです。しかし1988年デビューのTDR80は2012年の購入時点ですでにヨレヨレのヘロヘロ、タンク内のサビがひどいせいでエンジンは年がら年中「絶不調」といったありさまでした。自分で分解整備のできない私には維持するのが困難になったため、泣く泣く手放す決意を固めたのであります。問題は次のバイクをどうするか。TDR80を最初に買ったことからもわかるように、私は小さいオートバイ、軽いオートバイが好きなのです。教習所のCB400のデカさと重さに辟易し、自分が目指してるのはコレじゃないんだ、と思っていました。そもそも私のように「ひとり旅」を楽しむ人間にとっては、自力で引き起こすのも苦労するオートバイなんていうのは「旅先で困る」のです。万が一、倒してしまっても、容易に引き起こしができるようなバイクが「安心・安全」といえます。デカい排気量のモンスターバイクには全く興味がない。自転車のようにスリムなオートバイに乗りたいのよ私は。

世界最高峰のオートバイレース、WGP(2ストロークエンジン・500ccクラス)がMotoGP(4ストロークエンジン・1000ccクラス)になったように、2ストから4ストのバイクに乗り換えるなら排気量のアップは必然であります。次に乗るのは200〜250ccクラスのオートバイがいいだろうな、と思いました。たとえばかつてのTZR250なんかを思い出すと、スリムでコンパクトな感じの印象があります。「あんなかんじのスリムな4スト車に乗りたい」と思うようになりました。ところが2012年は250ccオンロード・スポーツモデルは「冬の時代」で、ホンダからはVTRとCBR250Rが、カワサキからNinja250Rが出ている、以上!!という寂しい選択肢でした。ヤマハはオフ車とモタードのみ。スズキは250ccのスポーツ車が1車種もない。ヤマハ党の私は絶望的な気分になりました。

個人的には125ccぐらいの「車格」「サイズ感」が好きなのです。昔だったらCBX125FやTZR125、カワサキのAR125Sなどでしょうか。重量が軽く、自転車のようにスリムなオートバイです。思い出深い車種としてはヤマハのSDRがありますね。200ccでしたがとてもスリムで格好良かった。ああいうのが、私の乗りたいバイクなんだよ・・・しかし無いものは無い。無いったら無い。仕方がないなセローにするか・・・

そんな「250cc冬の時代」にYSPがインドから輸入していたオートバイが、YZF-R15(わいぜっとえふ・あーるわんふぁいぶ」であります。

インドヤマハ製のフルカウル・スポーツモデル。エンジンは150cc。この時点で多くの人が「150cc?なんだそりゃー使えねー」と思うことでありましょう。しかし私は「TDR80の約2倍の排気量とかマジいかす!!!」と、ピンときたのであります。150ccということで車重も134kgと超軽い。そして実車を見てみるとかつてのTZR250のようなサイズ感。いいじゃないの!!さっそくYSPで試乗させてもらったらこれが楽しいのなんの。適度な前傾姿勢でニーグリップすると超気持ちいい。「見事にツボった」という感じで即、購入決定。そのYSPがとてもノリのよい店で

のどか:R15いいですねえ。気に入りました。でも黄色はないんですよねー(テンション下がり気味)
社長:塗りましょうか?(ニヤリ)
のどか:白と黒のストロボが入ったインターカラーにしたいです
社長:R6のステッカーを流用しましょう!!
のどか:できますか?
社長:できます!!

みたいな感じで、オールペイント決定。インターカラーの「世界にたった1台のYZF-R15」にカスタムする計画が発動しました。




YZF-R15

納車を待つ私のYZF-R15



YZF-R15

愛車の交代。TDR80(左)からYZF-R15(右)へ黄色のバトンタッチです。




注文してから納車までたっぷり1か月以上かかりましたが、黄色に塗られたYZF-R15はまさに圧倒的な仕上がり。大好きな黄色のオートバイに乗り続けられることを嬉しく思いました。無事に愛車の「引継ぎ」が執り行われ、晴れて私はYZF-R15のオーナーとなったのであります。じっくり乗ってみることにしましょう。










怒涛の勢いで「慣らし運転」を終了!!さあ旅に出よう

YZF-R15



納車されてから毎晩のように横浜に通い、慣らし運転に励みました。初の新車ですから、長く乗るために慣らし運転はとても大事です。慣らしの期間中はエンジンを6千回転までにおさえつつ、こまめにシフトチェンジを行いながら地味に距離をかせぎます。ここでYZF-R15(Version 2)のスペックをおさらいしておきましょう。


YZF-R15(Version 2)

全長/全幅/全高:1,970/670/1,070
シート高:800
軸間距離:1,345
最低地上高:160
車両重量:134kg
最小回転半径:2,600
原動機種類:水冷・4ストローク・SOHC・4バルブ
気筒数配列:単気筒
総排気量:149 cm3
内径×行程:57.0×58.7
圧縮比:10.40:1
最高出力:12.2kW(16.6PS)/8,500r/min
最大トルク:14.6N・m(1.49kgf・m)/7,500r/min
始動方式:セルフ式
潤滑方式:ウェットサンプ
エンジンオイル容量:1.15L
燃料タンク容量:12L
燃料供給方式:フューエルインジェクション
点火方式:T.C.I式
一次減速機構:ギア
一次減速比:3.042
二次減速機構:チェーン
二次減速比:3.133
クラッチ形式:湿式多板
変速機形式:常時噛合式6段
変速比:2.833/1.875/1.364/1.143/0.957/0.840
フレーム形式:ダイヤモンド
キャスター/トレール:26.00°/98/
タイヤサイズ(前/後):90/80?17M/C 46P/130/70?R17M/C 62P
ブレーキ形式(前/後):油圧式シングルディスク
ヘッドランプバルブ種類/ヘッドランプ:12V,35W/35W×2
乗車定員:2名


目につくのはわずか134kgの車両重量、それから最大出力12.2kW(16.6PS)の小さな150ccエンジンと、12リットルの燃料タンクであります。車両のサイズ感は250ccクラスと変わらないのですが、重量はとても軽く動力性能は低め、という感じになっています。パワー重視・動力性能重視のライダーさんからすれば「なんだそんなハリボテのバイク、なんちゃってスポーツ車じゃないか、何の役にも立たないだろう」ぐらいに思われるかもしれません。しかし私のようにハイスピード走行にさほど興味がなく、体力的にも非力で運転技術も未熟なライダーにとっては、とても身近で安心できるスペックとなっているのです。初心者に優しいフレンドリーなスポーツ車、というのがYZF-R15の魅力なのです。そして後述しますが燃料タンク容量が12リットル、というのが超絶に長い航続距離をもたらし、いわば究極の「のんびり旅バイク」となるのであります。
















慣らし運転を終え、いざ、房総半島へ

YZF-R15

嶺岡中央林道にて 2013年4月




慣らし運転を終えて、いよいよエンジンをブン回してみる。4ストロークエンジンならではのトルク充分なパワー感!!TDR80の、2ストロークエンジンの爆発的な高回転とまではいきませんが、1万回転近くまで一気に吹け上がる4ストロークエンジンには正直度肝を抜かれました。トルクがスカスカの80cc・2ストロークエンジンよりトルクバンドがジェントルで扱いやすいのも、かえって好ましい印象です。

一般道でも車の流れに乗って走るなら回転数はそこそこで変速してゆけばよい。それこそ慣らし運転の時のような6千回転でのシフトチェンジ、をやっていれば燃料の消費も少なくて済みます。そして、ここぞという時にはパワーバンドを活かしたフル加速も味わえる。何よりも一般道でも6速まで存分に活用できる「圧倒的なマシンとの一体感」がいいです。こまめなシフトチェンジは忙しいですが「マシンを操ってる感」がハンパではなく、乗っていて楽しい!!のです。しかもコーナーリングがとってもやりやすい。曲がるのが気持ちいい。これは面白いオートバイを手に入れたゾ・・・と思いました。

私はオートバイ購入の際にETCも装着してもらいました。排気量125cc超えであれば高速道路に乗れるのです。150ccというのはいわば「高速道路に乗れる最も小さい排気量」といっていいと思います。寒い季節は関東圏の「保存食」といわれる房総半島があり、山方面の道路が凍結している心配のある季節でも南房総にゆけば快適なツーリングができるというものです。さっそく「二輪人生初の高速道路」にチャレンジするときがやってきました。アクアラインを通って千葉県へ。緊張しながらいざ、千葉県をめざして走り出しました。高速道路の出入りはETCが付いているので心配はありません。あとは平常心で走るだけです。とはいえアクアラインの前半、トンネル区間は正直おっかなびっくりのライディングでした。トンネル独特のスピード感が何だかとてもおそろしい。何かに吸い込まれるような心地。海上にあるP.A.「海ほたる」に着いたときにはグッショリと汗をかいていました。ひとしきり休憩し、アクアライン後半の「橋の区間」にチャレンジです。強烈な横風にたじろぎつつ、エンジンを全開にして走ってゆく。怖ええええ超怖えええ!!

千葉県側に渡り木更津東インターで高速を降りる。コンビニにへたりこみました。つ、疲れた〜。最初の高速道路体験はハラハラ・ドキドキの一大アドベンチャーでした。このあと高速道路は何回も乗り降りしましたが、正直言うと150ccでの高速道路は「全力走行」「一杯いっぱい」というのが本当のところです。ギヤを6速に入れてスロットル全開という感じになります。排気量が小さく車重の軽いYZF-R15は、高速道路も走れるけれど「高速走行が得意」などとは決していえないオートバイ、といったところでしょうか。でも逆の言い方をすると高速道路の左車線をメインに、時々遅い車を追い越してゆく程度なら何ら問題はないのです。こういった特性は「飛ばし屋には向かないバイク」ですが「のんびり旅をする人には恰好のサイズ」と言えます。じっさい私はその後高速道路を積極的に使いながら距離をかせぐようになってゆきました。













南房総大好き!!

YZF-R15

鴨川有料道路にて 2013年3月




千葉県の南房総は、冬でも路面が凍結するほどの事態に陥ることが少ない為、寒い季節に走るにはもってこいです。適度に広く、走りやすい道が縦横無尽にはりめぐらされていますから、ゆったりノンビリ流したい孤独な旅人には最適なツーリングエリアです。

私は冬枯れた風景や雪の山肌が大好物ですが、さすがに冬に長野県方面に走りに行くガッツはありません。凍結した路面でスッテンコロリンなんてしようものなら涙も出ない。やはり、冬は関東地方の保存食、千葉県は南房総で決まりです。

千倉のお花畑なんか最高です。寒い季節でもかわいいお花が一杯咲いてるの。ルンルン気分で景色を楽しむことができます。高い山はないけれども美しい海があり、ワインディングロードがあり、魚料理のおいしい料理のお店もあり、なんの不満がありましょう。

YZF-R15はヘッドライトが2灯ありますが、ロービームでは左側だけが点灯し、ハイビームにすると両方が光る設計になっています。なんかこの仕様に違和感があるんですよね。右側のライト、電球切れてるんじゃないの?整備不良?みたいな。しばらくして慣れましたけど、最初はちょっと嫌でした。もっとも

「スロットルをあおると明るさが増す、小田原提灯のようなTDR80のライト」

に較べれば明るさは段違いでありまして、暗くなってからの走行でもあんしんなのでありました。

話はとびますがヤマハのオートバイショップ、YSP横浜戸塚さんの「YSパンダラジオ」で「頻尿紳士」のコーナー(?)があります。トイレの近いジェントルメンが「頻尿」という、ライダーとしては切実な問題を悲しくうたいあげる「頻尿川柳」が最高です。私も一句。


「3月は 南房総 お花摘み」


失礼いたしました。











ゴー!ウエスト

YZF-R15

フルーツラインにて 2013年5月




春になったらシーズン到来。安心して山に向かって走ることができます。問答無用で東京都奥多摩、埼玉県秩父、それから山梨に長野方面へと脚がのびるのであります。

山梨といえば果物。ぶどう棚のつづくフルーツラインを元気よく走ってゆく。その気持ちよさといったらありません。フルーツラインという名前もすごくかわいいですよね。

さて私は納車してもらう際にオートバイの前後にドライブレコーダー(カメラ)を装着してもらいました。ニリドラ(二輪のドライブレコーダーという意味でしょうか)という製品です。解像度はいまいちですが万一事故にまきこまれたときに証拠動画を常時録画できたらいいな、との思いでつけてもらいました。画質はいわゆるアクションカメラ(Go Proとか)に較べると「屁」みたいなもので、楽しいツーリング動画というクオリティではありません。でも遠出をするときにはとても心強く感じたものです。

タンデムシート下のスペースにはニリドラの本体を設置したので、ETCはハンドルの向こう側、フロントシールドの内側に装着しました。いったんETCの便利さを知ってしまうと、ついてないオートバイで高速道路に乗ろうという気はなくなりますね。

高速入口でチケットをとる→チケットはどこに収納する?
高速出口でチケットとお金を渡す→グローブをしていてお金を取り出すのが大変

という、ジタバタする状況をすべてクリアできますから、軽二輪に乗るならETCは必須のオプションパーツだと思いました。

それにつけてもYZF-R15乗車時の前傾姿勢は、慣れるまでは「こんなにハンドルが低いのかよ!ステップが後ろにあるのかよ!!首をずっと持ち上げるのかよ」と不安でいっぱいでしたが、走り込むうちにむしろ快適に感じられるようになってきました。オートバイのコントロールがすごくやりやすいのです。特にコーナーリングがとても軽快です。走る・止まる・曲がるという、オートバイの操縦に関してはオンロードスポーツ車がいちばん「やりやすい」のだと実感した次第です。しっかりニーグリップして(オートバイを股ではさんで)、ステップ、太もも、お尻、そしてハンドルで支持すると腰がまったく痛くならない。私は重度の腰痛持ちなのでこれには驚きました。コンパクトで軽いオートバイですから身体との一体感もハンパない。これならいくらでも走っていられる!!















大好き!野辺山高原

YAMAHA YZF-R15

野辺山駅 2013年4月




小学生の時八ヶ岳山麓でキャンプ初体験をしてから、野辺山高原は私にとって特別な場所になっています。清里、野辺山、八ヶ岳、白樺の森・・・私がもっとも好きなエリアです。高原が大好き。かつて、10代、20代の自転車乗り(ランドナー乗り)だった頃は小海線にのって輪行。でもオートバイなら全部自走して、時間に縛られることなく、自由に旅の計画を練ることができます。でも、オートバイに乗っていてもつい駅に向かってしまうのは鉄道旅をしていた頃の名残でありましょうか。

線路沿いの道を鉄道と並行して走るともうたまんない!!っていう気分になりますね。

今でも清里ユースホステルに泊まる為だけ(笑)にユースホステルの会員を続けています。

TDR80のときもそうでしたが、長らく私の旅のスタイルはタンクバッグにツーリングマップル。タンクバッグは上部が透明になっていて、そこに目的地の地図を広げて収納する、というのがひとつの様式美でありました。宿に着いてからの着替えをいれただけでタンクバッグは一杯になってしまうので、タンデムシートにつけるシートバッグを追加しました。いわばオートバイにまたがった身体の前後に荷物を積載するスタイルです。

・宿で着るリラックスウェア
・タオル
・ティッシュ
・化粧ポーチ
・レインウェア
・パンク修理キット
・カメラ
・ドリンクのボトル
・喫煙具(パイプ等)

を積んだらもうキツキツ。おみやげを入れるスペースもない。オートバイのリアにGIVIのサイドケースをつけたいな・・・













平沢峠

YAMAHA YZF-R15

野辺山高原 平沢峠にて 2013年4月




旅の目的地として「峠」というのは特別な場所です。いい峠は日本全土にたくさんありますが、私は平沢峠から見る八ヶ岳の美しいたたずまいが大好きです。

好きな山を問われたなら八ヶ岳と答える。若いころはじっさいに登ったりもしたけれど、腰と股関節を致命的に痛めてから登山はできない身体になってしまった。ライダーになってからはこうして麓から山を仰ぎ見る、というのが好き。

YZF-R15はインドヤマハ製のオートバイという事で、いろいろ楽しいことがありました。納車前の段階、日本に入ってくる時点で、たとえて言えば


「なんかこの箱、振るとカタカタ言うけどなんか部品取れてるんじゃないの?」


みたいな状況で輸入され、YSPのメカニックさんが丁寧に組み直してようやく完成(謎の部品が一個余る的な)。私のマシンは黄色にオールペイントしてもらったので世界に一台しかないカラーリングとなっています。で。スペアのキーも含めて鍵が2本ついてくるのですが

「予備の予備があったほうがいいな」

と私は考えて、バイクを買った店に訊ねてみると、スペアをつくるベースが無いので予備のカギをつくるのは不可能だと言われました。そこで私はいわゆる街の合鍵屋にもっていったのです。しかしこのオートバイのキーのベースがどこに行っても手に入らない。鍵屋を10件ほどまわって、どの店でも「これは作れません」と断られました。

世の中にはすさまじい店もあって「なんでも作ります」みたいなことを謳っている鍵屋さんをネットで見つけて、藁にもすがる思いで訪ねてみました。お店の御主人が顔をしかめて開口一番「これはどこの、いったい何の鍵ですか?」という。

「インド製のオートバイのカギです」

と答えると、「これは相当、手ごわいよ」と一言。いろいろなベースを手にとっては首をかしげている。そして「こうなったら奥の手だ」と言い、何やらゴソゴソと一個のベースキーを取り出し

「一か八かです。溝を切るところからつくります」

といって、しばらく作業にとりかかった。「この工具はイスラエル製です」とニカッと笑った。まさに職人の顔を見る思いで、私は御主人の手際よい作業に見入った。30分ほどかかっただろうか。

「これでイケると思います。ダメだったら、インドに行ってスペアキーをつくってきてください」

と御主人は言った。たずねてみると、1950年代のフォルクスワーゲンのある車種のキーをベースに、精巧にコピーしてみたという。料金はすさまじい額であった。

帰宅しておそるおそる試してみる。カチッ。おお!使えた!!ありがとうSuper職人。まさか、オートバイのスペアキーごときでこんな問題が身に降りかかるとは思いもしなかった。やるな、インド製。











麗しの八ヶ岳よ!

YAMAHA YZF-R15

八ヶ岳 2013年4月




それにつけても八ヶ岳はなんと美しいのであろうか。この風景を見たくて、この地に幾度足をはこんだかわからない。野辺山高原を愛してやまない私がいるのです。

牧場のにおいとか嗅ぐとなんともいえない安らぎをおぼえる。牛がむったむったと草を食べているのをみると嬉しくなる。モーモーと啼いているのをきくとホッとする。

八ヶ岳の夕陽に照らされた愛車はとても美しく見えた。

こうして斜め後ろから見ると、やっぱり細いオートバイだという事がわかる。大型のオートバイはリアのタイヤなんてすごく太いのを履いているから、そういうのと比較すると「ああ軽二輪だなァ」と思う。こういうのが好きなのだ。細いオートバイには独特のエレガンスがある。運転しているとコーナーで右に左にパタンパタンと容易に倒すことができ、スムーズに軽快に曲がってゆく、その感覚が好きだ。

それでいてフロントサイドのカウル部分はかなりのボリュームがあり(中は空洞、ハリボテ 笑)風よけの威力はなかなかのものがある。雨の中で走っても脚があまり濡れないのである。

本当に、本当に、ここまで私の理想を具現化したオートバイはそうあるものではない。当時、YZF-R25がまだこの世に登場していない状況にあって、YSPが苦肉の策として輸入販売したインドの小さなオートバイではあったが、それが私には「どストライク」だったのである。購入の際は、China製のYBR250というネイキッドタイプのオートバイとどちらにしようか迷ったのだが、YSPの社長が

「TDR80乗っていたのどかさんにYBRはないと思います」

とおっしゃって、このYZF-R15を試乗させてくれたのだ。あの時の楽しい感動をいまでも思い出す。前傾のポジションでビビりつつも、先導してもらって走っていたら本当に気持ちよくてびしょ濡れになりそうであった。ヘルメットの中でニヤケ顔がとまらなかった。あの選択は正しかった。本当にいいオートバイに巡り会えた。そう思うのです。











クリスタルラインの魅力

YAMAHA YZF-R15

クリスタルラインにて 2013年6月




山梨県の北部を貫く舗装林道、クリスタルラインは私が一番好きな道です。幾度訪ねても飽きることがない。軽トラックがやっと一台走れるような道幅の、舗装林道が私の大好物なのです。

何が良いかといえば

・誰もいない(孤独にひたれる)
・途中に何もない(当然、ガソリンスタンドもない)
・スピードを出さずにのんびり走れる
・風景(季節の移ろい)が美しい

といったあたりでしょうか。特に、エンジンの調子の良くないTDR80から新車のYZF-R15に乗り換えたことで、孤独の旅路も安心して突入できるようになった。走っている途中でいきなりエンジンが止まってしまい、そうなるとなすすべのないTDR80でクリスタルラインを走るのは正直無理だったから、この乗り換えは本当によい転機となった。

時速100kmで流すような、大排気量のオートバイでは逆にストレスがたまるであろう。舗装林道は、ゆったりのんびり走れる小排気量車こそふさわしい。

愛車YZF-R15は

・見た目250ccクラス(TZR250くらい)
・車重等のスペックは125ccクラス
・いざとなれば高速道路や自動車専用道路も乗れる

ということで、とりわけ低燃費なのが最大の美点であった。1リットルのガソリンで、60km走ってしまうのである。そして燃料タンクは12リットルもある。無給油で700kmも走れてしまうという、まさに「低速の旅人」にとっては夢のようなマシーンであります。メカ的に絶好調で航続距離も長い、というのは絶対的な安心感があります。

しかも重量が軽いので、万が一オートバイを倒してしまっても、私のように非力な人間でも、容易にひとりで引き起こしができるのであります。私は教習所のCB400の引き起こしで参っていましたから、これも大きい利点でありました。ひとり旅をする人間は、やはり軽いオートバイがいいのです。

個人的にはエンジンスタートがセルモーター式というのが何よりもありがたかった。私は股関節が悪いので、TDR80のエンジン(しかも不調)始動には幾度も泣かされました。調子がいい時はキック一発でエンジンがかかるのですが、いったん調子が悪くなると何度キックしてもエンジンがかからない。あれは、本当に、地獄であった。その点、YZF-R15は右手のボタン操作ひとつで軽くエンジンがかかるのであります。エンジンの始動が苦労せず当たり前にできる。実に素晴らしい事であった。











聖地巡礼

YAMAHA YZF-R15

佐久の光学メーカー、マミヤの工場にて 2013年7月




佐久のマミヤを訪ねた時は涙モノでした。私はフィルム写真作家時代、マミヤC330プロフェッショナルfという二眼レフカメラを愛用しており、カメラと言えばマミヤ!!でありました。135mmレンズを装着し、横浜の風景を撮り歩いていました。

私が工房のウェブサイトを立ち上げた当時、コンピューターOSはTRON(BTRON)の「超漢字4」を使っていました。マミヤC330fで撮った正方形の写真を、「写真帖」のコーナーにアップしていました。2000年代半ばの話です。当時のコンピューターはモニターの解像度はSVGA(800×600ドット)でしたから、写真サイズも小さかった。いま、私の写真帖の作品を見ると異様にちいさいのはそのせいです。あれから時は流れて、いま私はWindows10でモニターはフルハイビジョン(1920×1080ドット)になり、隔世の感があります。

マミヤのカメラは素晴らしかった。何がいいって、メカのからくりが面白いのです。電池を使用しない、振るメカニカルの二眼レフカメラでありながらレンズ交換式ということであちこちにレバーやノブや安全装置があった。ノブをまわすと歯車が作動してロッドを介して・・・みたいな動きが、とても楽しかった。

マミヤ7II、マミヤRZ67、マミヤ645ProTL、いろいろ懐かしいけどやはり私のマミヤはC330fであります。66判の、正方形写真が私のトレードマークでありましたから。

いまマミヤC330fは、部屋の片隅の防湿庫で永い眠りについています。青春の思い出の品ですし、売ったところでフィルムカメラなんぞ今は二束三文ですから、大切にとっておきます。

マミヤの看板と一緒に写った愛車の写真。人から見たら「だから何?」っていう一枚でしょうけど、私にとっては特別なものなのです。











白馬を抜けて糸魚川へ

YAMAHA YZF-R15

JR糸魚川駅 2013年7月




好きな鉄道は、身延線。小海線。大糸線。私の大好きなエリアをいい感じにつっきってる。ということで、糸魚川を訪ねた時は感無量でありました。やっぱり自転車輪行の旅の名残で、つい駅に着くと記念写真を撮りたくなるんだよねえ。

このときはさすがに「思えば遠くへ来たもんだ」と思いましたね。大好きな白馬を訪ねて、そのついでに日本海を見に行くぞ!!いざ新潟へ!!と走らせた時の高揚感は忘れられません。

それにしてもこの横からみたYZF-R15は本当にかっこいいなあ。黄色と黒のツートーンカラーは私がもっとも好きな配色です。ストロボ模様を入れてヤマハのインターカラーにして、自分に酔いしれていましたよ。

糸魚川から新潟県を北上した旅が、このオートバイでの最長のツーリング記録でした。東京までの帰りはすさまじい走行距離になった。さすがに高速道路に乗りましたが、何しろ排気量が150ccしかないですから、高速道路はキツいものがありました。対面通行の高速で後ろから迫りくる自動車とか見たときは泣きたくなった。

やっぱり私は、無理なスケジュールで長距離を走るより、ゆったりのんびり、下道を走るのが好きなんだな。

あまりスピード狂ではないのです。根っこの部分が。といいつつ深夜2時に横浜のみなとみらい大通りを爆走しておまわりさんに捕まったことがある。

一瞬、気持ちよくなってスロットルをあけたら背後からサイレンの音。

「ちょっと今何キロ出してましたか」
「65キロくらいですかねぇ」
「ちがいますよ!!ってことで29キロオーバーね。切符きるよ」

明らかに時速100km越えてたんですけど。おまわりさんってスピード違反を甘めに判定しますよね(涙)。











三浦半島もいいよね

YAMAHA YZF-R15

農道を走る 2013年6月




私は学生時代、葉山でウインドサーフィンをやっていました。といってもレースに出る選手ではなく、マネージャーというか、救助艇担当でした(船舶免許を持っているので)。葉山の海で練習中にトラブって流されてしまった部員を、モーターボートで救助しに行く担当でした。

他の部員がリグ(ウインドサーフィンの帆の部分)などをセットアップしているのを尻目に、私はひとり、ガソリンタンクを台車にのせて近くのガソリンスタンドに行くのです。そして、ガソリンとオイルを50:1でまぜてもらって、またその重たいタンクを台車押してビーチに戻る。

船外機(船の後部にある、エンジンとスクリューが合体した発動機部分)をテンダー(ボート)にセットし、ひもをひっぱってエンジンをかけるという、そんな生活でした。2ストの船外機はなかなかエンジンがかからなくて大変な作業でした。そしてみんながレースの練習をしているのを遠巻きに眺めながら鳥羽一郎の「兄弟船」を歌ったりしていたのであります。

1年生の時の合宿は本当にキツかった。食事の準備は当番制だからよいのですが、朝早くから海に出て夜は夜で反省会(上級生がめちゃくちゃ厳しい)やって天気図書いて・・・ヘトヘトでしたね。

そんな想い出があることもあり、三浦半島は懐かしいスポットです。東京から日帰りツーリングにちょうどいいんですよね。メインの道はたいして面白みがありませんが、脇道にそれて農道や漁港を訪ねるのはしみじみとヨイものです。やっぱり低速走行が好きなんだよなあ。

なお私の青春のオアシスであったデニーズ葉山森戸店は2019年1月31日をもって閉店となりました。ツーリングの帰途に寄る食事スポットとして大のお気に入りであっただけに、なくなったのが残念でなりません。またこの世でお気に入りの場所がひとつ、減った・・・











峠のしるこや

YAMAHA YZF-R15

吸い寄せられるぅ・・・甘味処に弱いのだ 2013年6月




伊豆・箱根周辺も忘れてはなりません。かつてテレビ神奈川で長く放映された、モータージャーナリスト三本和彦さんの番組「新車情報」という自動車を扱った番組で、俗称「いつもの山坂道」と紹介された道を気持ちよく走ったことなどが思い出されます。

西伊豆スカイラインを、それこそ車体を右に左にパッタンパッタンと倒しながら走ったりとか。西伊豆は、実にいいよね。

あとは湯河原あたり。椿ラインとか。楽しかったなあ。

忘れられないのは御坂峠の天下茶屋で食べた「ほうとう」でしょうか。「富士には月見草がよく似合う」で知られている太宰治の「富嶽百景」の舞台となった天下茶屋があり、ここで富士山の絶景を眺め、しみじみとほうとうを食べ、大好きな太宰治に思いをはせたのであった。帰りに後輪がパンクして難儀したのも懐かしい想い出となっております。

一人旅にはトラブルがつきもの。それすら楽しめないような人間にはなりたくはない。











奥武蔵グリーンライン

YAMAHA YZF-R15

おっきな岩 2013年9月




舗装林道好きとしては、埼玉県の奥武蔵グリーンラインも忘れてはなりません。ここは給油スポットが周辺にないため、航続距離の短いオートバイでは走破することができません。私のYZF-R15なら旧帝国海軍の零式艦上戦闘機並の足の長さがありますから余裕であります。杉の花粉が駄目な人は春に行くのは無理でしょう。秋はとても美しい風景が堪能できます。

さてインドといえばインド映画であります。数年前に私はインド映画にどハマリしてしまい(今でもそうだが)、ハリウッド映画ではまったく興奮できない体質になってしまいました。

・派手なアクション
・ベタベタな展開かと思わせて意表を突くストーリー
・群舞(ストーリーと関係なく歌と踊りが入る)

というのが最大の魅力でありまして、私はシャー・ルク・カーンという俳優さんにゾッコンになってしまった。何しろインド映画は女の子はかわいいしバイクはガンガン登場するし、シャー・ルク・カーン(SRK)は素敵だし(はぁと)。これにハマってはならない、と言われる方が無理というものだ。

インドバイクに乗りインド映画に夢中になってしまった私は、そもそもがフラメンコ歌手であり、スペイン好きを自称し、マドリードで死ぬのを夢と見ていたいとけない乙女であったのだが、今ではすっかり「印流」にどっぷりつかっているのであった。

あれから時は流れましたが最近はスズキがジクサーのようなインドバイクを積極的に日本国内に導入しているのを大変魅力的に感じているのであります。インドはいいぞ!!品質はちとアレなところもあるけど楽しいぞ!!と声を大にして言いたいのであります。

ヤマハさんもインドバイク国内に導入してよ・・・











秋色の風景

YAMAHA YZF-R15

長野県にて 2013年9月




心涸れて 秋の野に
二輪を路連れに
ひとり 行くなり

わがたましい 細く燃えて
発動機の音しづかに
ひとり 行くなり

つかめない 願いを
胸に そつと秘めて
たんぼを 行くなり

優しかった 風は
昨日の彼方へと過ぎ去って

あたたかな ひだまりの
秋の こみちを
ひとり 行くなり











龍が棲むという

YAMAHA YZF-R15

妙義山 2013年9月




「妙義龍」という四股名の、魅力的な取り口の力士がいますが、なかなかどうして、妙義山には龍が棲んでいそうな雰囲気があります。

この、なにか鋭いおもむきは、実に雄々しく気高く目に映り、素晴らしさに酔いしれるのであります。

小雨にけぶる初秋の妙義山はまことに見事であって、紅葉の時期はまた格別であろうと思わせるのでありました。

こんなところに、ふらりと気軽に寄れるのもオートバイ旅ならではの魅力であります。

TDR80に乗っていた時は、背中に2ストのオイルがはねるのがイヤで、雨が降り始めてもなかなか雨合羽を着ませんでした。その点4ストのエンジンはいいよね。私のライディングジャケットは、かつてのTDR時代の名残で、背中がオイルの染みだらけになっております。ウタマロせっけんで必死に落とそうと努力したけど無理でしたね。

とにもかくにも4ストのエンジンはジェントルであります。吹け上りもパワーも、2ストのそれと比べたら圧倒的にマイルドです。2ストの場合「適度にブンまわしていないとすぐにエンジンの調子が悪くなる」みたいなところがありましたから、このYZF-R15に乗り換えて「ラクだなぁ」と感じないわけにはいかない。もう、ショップに定期点検だけ出していれば完全にメンテナンスフリーな感じ。新車ということを差し引いても、特別な注意を払わなくてよい、というのは非常にありがたいことです。











秋はやっぱりクリスタルライン

YAMAHA YZF-R15

ひとり舗装林道をゆく 2013年11月




こういう道を走るのが大好き。私はやっぱり舗装林道派と呼ばれる派閥に属する人種であります。幾度も繰り返してしまうけどスピードなんてどうでもいいのだ。とばしたくてオートバイに乗ってるんじゃないんだ。一人旅の道具としてオートバイを選んだだけなんだ。誰もいない細い道を独り占めしたいだけなんだ。

こうやってフロントから見るとかなりヘッドライトの大きいデザインが目につきますね。つり上がった二つ目が印象的です。最初見た時「猫っぽいな」と思いました。そしてその大きな目にあわせるかのようにボリューミーなカウルがエンジンを包んでいる。(中にはちっちゃなエンジンがおさまっている ほとんど空洞 笑)本当にいいデザインだと思います。

この、一見早そうに見えるデザインのおかげで、絶妙なライディングポジションがとれて腰痛とは無縁のライディングができるのだから実にアッパレな旅バイクです。時速30キロの低速でも気持ちよく流せる。私はおかあさんアリクイの背中に乗っかった赤ちゃんアリクイのように、いつまでも、どこまでも、このマシンと一体化して走ってゆくんだ。











秋の日を背に受けて

YAMAHA YZF-R15

やさしい日だまり 2013年11月




空から降り注ぐ日が心地よい、天使が下りてきそうな時間であった。

誰もいない山の中で、私はいつまでもこうしていたいと思った。

本当の自分に帰るっていうのはこういう時間なんだと思った。

すべての悩み苦しみを忘れて、ただひたすらに安らかな時間が過ぎていった。

私にとってはこれが、オートバイに乗る全てだ。

私は寂しい人間だ。

いつもひとりでいたいと思う。

人間なんてつまらないと思う。

誰かに心をひらくこともない。

誰もいない静かな自然の中に、いたいと思う。

それはオートバイがないと実現できない願いだ。

私にとってはオートバイこそが天使だ。











紅葉

YAMAHA YZF-R15

秋のクリスタルライン 2013年11月




紅葉のトンネルの中を走るのはワクワクするね。私は一年でいちばん、秋が好きだ。華やかに色づく森が好きだ。
秋のやさしい日差しが好きだ。

長く伸びる影が好きだ。

冷たい空気が好きだ。

私は秋のような人になりたい。

そう思いながら生きてきた。

そしてもういまは人生の秋をむかえている。

YZF-R15、きみが大好きだ。











サイドバッグを装着してツアラー仕様完成、しかし・・・

YAMAHA YZF-R15

モトコさんでミニミニ・ツアラー完成! 2014年3月




旅の荷物は長らく「タンクバッグとシートバッグ」にパッキングしていたのですが、やはりこの私のミニミニ・舗装林道ツアラーにはサイドバッグを装着しよう!!と決意し、東京都杉並区のモトコさんを訪ねた。

ワンオフでサイドケースを装着するステーをつくってもらった。

バイクのリア両側に、プラスチックの箱を取り付けることができた。

これからは旅の荷物を、この左右の箱にふりわけて収納する。容量はたっぷりあるから、おみやげを買ってくることも可能になるだろう。これからもたくさん旅しよう、と思った。

サイドケースの着いたYZF-R15は、本当に理想のツアラーになった。通常、ツアラーと言うと、大排気量の旅バイクを指すのだが、これはあくまでもワタシ専用、のどか仕様の舗装林道旅スペシャルなのである。仕上がりには大満足であった。

だが、しかし・・・











オートバイを降りることになった

YAMAHA YZF-R15

YOKOHAMAにて 2013年1月




あることがきっかけで、私は「うつ病」になってしまった。仕事のパフォーマンスがガタ落ちしてゆくのを、どうすればいいのか分からないまま焦る日々が続いた。

ついに私は精神病院送りとなった。

仕事もやめざるを得なくなった。

オートバイには乗りたいが、服用する薬のせいで頭は朦朧となり、ヨレヨレの廃人になった。主治医からは車やオートバイの運転を禁じられた。

私は、これも一時的なことだとあきらめて、いったんオートバイを降りることにした。

生活のこともあり、オートバイを1台所有し続けることも困難になって(駐車場代や保険料が払えない)、泣く泣く愛車を手放すことになった。

最期にピカピカに磨いた。長野ツーリングでこけたときにつくった外装の傷を、幾度も撫でた。

寒い夜、私の愛車はバイク屋さんの軽トラックの荷台に乗せられて、去っていった。

私は泣いた。ドウシテコンナコトニ・・・私は薬で濁った頭を抱えて、いつまでも泣いた。

さようなら、そしてこれまでありがとう、YZF-R15!!











永遠の名車 ヤマハYZF-R15

YAMAHA YZF-R15

旅の相棒に別れを惜しみつつ 2013年11月




オートバイとともにたくさんの想い出がある。

私の魂に刻まれている。

いろいろな瞬間を、今もありありと思い出すことができる。

たのしかったことも。わくわくしたことも。ちょっぴり怖い思いをしたことも。

残念ながら、ボロボロになって廃車にするまで一緒にはいられなかったけれど、今も私のたましいには、YZF-R15がある。これは天国にもっていける、私の宝ものだ。

この世には、必ず、出会いと別れがある。人間や動物だけじゃない。オートバイだって同じだ。

特別な存在を失う悲しみ。再会の無い永遠の別れ。どれも、よくある話じゃないか。

想い出に終わりはない。旅は永遠に続く。

部屋には横浜で撮ったYZF-R15の写真を飾ってある。TDR80と並んで、きらきらと、まぶしく輝いている。






(2020年11月3日 記)





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