No.7
わたしの一番好きな季節はね、秋なのだよ。わたしが10月生まれということも関係があるのかもしれない。日本の四季のうつろいは劇的であるけれど、孤独や寂しさを愛するわたしにとって、とりわけ秋という季節には豊かな心の慰めを得るのだよ。わたしがもっと若い頃、秋の妖精というものの存在を信じていた。それは夏の終わりにやってきて、ふっと気づくとわたしの傍らにいて、孤独な心をいやしてくれる。そして街がクリスマスの喧騒に包まれる頃、いつの間にかいなくなってしまう。
のちにカトリック教徒になって、神父様から守護の天使の話をおそわったとき、わたしは若い頃から感じていた妖精のことがわかったような気がしたよ。主の御使いがいつもともに居てくださることを、秋の空気の中で感じていたのかなあ・・・と思ったりするのだよ。
No.8
街道を南に向かって走っていたら、突然エンジンが吹けなくなったかと思うと、そのまま停止してしまった。急にスピードを落とすわたしのTDR。後続の車から猛烈なクラクション。ごめんなさいごめんなさい・・・わたしは慌てて、TDR80を道の左に寄せる。
どうしたの?
何度もキックを繰り返して、やっとの思いでエンジンを再始動する。でもまたしばらく走ると、突然吹けなくなってまたエンジン急停止・・・あきらかに様子が変だ。わたしは心配になってバイクショップに連れてゆく。「タンクのさびが・・・キャブレターが詰まって・・・何度掃除をしても・・・」わたしはメカニックのお兄さんの話をまるで他人事のようにぼんやりと聞いている。またすぐ調子が悪くなるかもしれませんよ、と言われて胸が張り裂けそうになる。ああ、やっぱりきみは古いバイクなのだね。TDR80のカウルをぎゅっと抱きしめてから、お店をあとにした。
No.9
きみとならどこにでも行ける、いつでも。そう思っていたけれど、きみが実はとっても古くて、もうくたびれきっていることを思い知らされたよ。自分で整備のできないわたしは、そう遠くない将来にきみを手放さなければならないだろう。たまらない気持ちになった。相変わらずかかりの悪いエンジンに正直うんざりしつつも、わたしはきみとの別れがこわかった。孤独なわたしの心の支えがなくなる・・・
それにしても午後の港の静けさといったら。青空の下で、きみの黄色がとてもあざやかに目に映り、わたしはかなしい眩しさに胸を射られた。ずっと一緒にいたいよ。もしも奇蹟がおこって、TDR80とわたしがともに20年若返ったらどんなに幸福だろうか。そんなことを考えながら、しばらくそのままたたずんでいた。
No.10
深夜の横浜・本牧ツーリングに出かけよう。夜9時に家を出て、第二京浜を南へ駆ける。いっぱしの不良(?)になった気分だ!!えーい。
オートバイの免許を取って、近所のレンタルバイク屋で125ccのモタードを借りて最初に出かけたのが本牧だった。高速道路の下を何回もぐるぐるまわった。時速60キロ!超はやすぎる!!こええええ!とか叫びながら。そのときからね、本牧は自分の走りなれたエリアかのように思い込んでいるわたしは随分とおめでたいね。
夜のみなとみらい、山下公園をぬけて本牧へ。素敵なバーガー屋さんでコーヒーを飲む。帰宅するのは深夜1時。すっきりとした気分で家路につく。こんな時間の過ごし方をたのしめるのも、TDR80、きみが一緒にいてくれるからだよ。
No.11
もしも私が死んだらね、TDR80 、私の魂はこの世のすべての重荷から解き放たれて、美しい天使たちに囲まれながら、主の御許にかえるのだよ。そのときをどれほど待ち望んでいるか、きみはわかってくれるだろうね。寂しいことを言うようだけれど、わたしはもうこの世界に未練もないのだ。遣(や)り残したことも、たぶんもう無いだろう。でもね・・・免許をとって、きみに乗れるようになって、すこし気分が変わったのは確かだ。オートバイはとても気持ちよくて、楽しい乗り物だ。世間の人が思いこんでいる「オートバイは無法者」というイメージほど、ばかげたものはないよ。げんにTDR80とわたしは、とても静かでおとなしい、優雅な(?)存在じゃないか。
オートバイに乗れるなら、まだこの世に居るのも悪くない。こんな言い方をしたら、わたしに洗礼を授けてくださった神父様はなんとおっしゃるだろうね。さぞがっかりされるだろう!!でも、たしかに、わたしを「いけない誘惑」から救い出してくれたのは、古ぼけたちいさなオートバイなのだった。
・・・聞いているかい?TDR80。わたしはきみの話をしているのだよ。
No.12
横浜の空の下にいるTDR80へ。きみと別れてもう1年以上経つのだね。わたしの部屋には本牧の埠頭で撮ったきみの写真がかざってある。朝日を浴びて、まぶしく輝いているTDR80の、あのお気に入りの写真だよ。その写真を見るたびに、きみと過ごした日々を思い出さずにいられない。
オートバイの悦びと楽しさをわたしに教えてくれたTDR80よ!わが心の太陽よ!!この暗い心の奥底に、いつまでもそのまばゆい光を注いでおくれ!!
ヤマハTDR80(3GA)について
名前はTDR250の「ツイン・ダート・レーサー」からきているけれど、この小さなオートバイは単気筒です。オフロードマシンに小さな車輪と中途半端なカウルをつけたような外見の、オン・オフ両用車。これが、ものすごく楽しいオートバイ!!なのです。休日のツーリング、行く先に見えてきた未舗装路。スピードを落とし注意を払いつつも、2ストロークエンジンのパワーバンドから外れないように高い回転数を維持しながら、躊躇することなくダートにつっこんでゆく・・・あの快感とときめき、胸の高まり以上に興奮するものを、私は知らない。でも、12インチの車輪は悪路では小さすぎて走破性はそれなり。ちょっとおおきな障害物が有ると超えられないのです。大きな段差は苦手なのでした。
TDRプロトタイプといえば冒険家の風間深志さんが1987年にファラオラリーでクラス優勝を果たしたオートバイ。その強烈なかっこよさが私の胸をいっきに貫き、計り知れない印象と影響を与えてくれました。それまでは私は自動二輪なんて全く関心がなかった。微塵もなかった。そんな私がTDRを見て、すっかり惚れ込んでしまった。TDRこそが、私がはじめて好きになったオートバイなのです。
なんてかっこいいんだろう!!
市販モデルとして登場したTDR250は、オンロードバイクの心臓をもち、オフロードバイクの足回りを融合させ、過去にない全く新しいジャンルを確立したオートバイ。黒と青の2色のバリエーションが用意され、私の胸はさらにときめきました。オン・オフ両用、TDR。かっこいい!!これこそ私の理想のオートバイだ!!
その妹分(←スペイン語でオートバイは(la) motocicletaといい、女性名詞なのだ)、ミニチュア版のような、見た目のかわいいTDR80にのりたく思って、私は家から5キロはなれたバイク屋さん(新聞の折込チラシで知った)にひとり自転車ででかけていきました。オートバイのことは右も左もわからいので、お店であれこれ直接きいてみたかった。たどり着いたお店は私のような門外漢が入るには勇気がいる雰囲気がただよっていました。意を決して突入。
すると何と!お店のお兄さんは青いTDR250のオーナーでありました。お店の裏にとめてあるのを見せてもらう。オリジナルの後部キャリアが溶接してある長距離旅仕様。きゃーかっこいい!
おそるおそる、自分がTDR80に乗ってみたいことを話してみる。そしてもし、カタログがあったらもらって帰ろうという魂胆であります。
お兄さんはまずTDR250について話し始めました。積んでいるのは2ストロークエンジン、それもTZR250というレース用バイクと同じエンジンをを積んでいて、とても初心者にすすめられるようなバイクではないらしい。でも小さいサイズのTDR80や50に乗ってしっかり練習して、ステップアップするのがいいよ、そしていつか250ccのTDRも乗れるようになったらいいね、バイクは本当にたのしいよ・・・そんな、お店のお兄さんの話にすっかり夢見心地になり、私の心は完全にヒートアップ。
私はお小遣いでオートバイ雑誌を買って、むさぼり読むようになりました。はるか遠い旅へのあこがれがつのった。私は意を決して「自動二輪免許取りたい」と家族に打ち明けた。どうしてもオートバイに乗りたいの!!ひとり旅をしてみたいの!!
・・・そうしたら猛反対にあってしまった。あぶないからダメ!!オートバイだけはダメ!!絶対!!の一点張り。泣く泣くあきらめた。その後私がヘソを曲げて自転車で旅をするようになったのも、いまとなっては懐かしい思い出であります。
とにかく・・・そんなティーンエイジのあこがれのオートバイがTDR80なのでした。バイク屋さんのチラシに掲載された黄色いTDRの写真を食い入るように眺めて過ごした事を思い出します。
さて。家族に反対された学生時代から時は流れて、私も社会人となって独りで暮らすようになり、もう家族の反対も事実上意味がなくなった。ふむ・・・では、いよいよオートバイに乗ろうではないか!!私は教習所に入校しました。たのしい!!超たのしい!!オートバイの教習は本当にたのしかった。一本橋を超えるのが苦手で苦労したけれどなんとかやりとげて、無事に免許を取得しました。それにしても教習所のCB400は重たかった・・・私は買うなら旅先で倒したときにも困らないような、自分でも楽に起こせる軽いオートバイにしようと固く誓ったのであります。
どのオートバイを買おうかな、とネットで調べたりするようになりました。この時期の楽しさといったら!!自分には無限の選択肢があるように思われました。最初は(もともとオフ車にあこがれていたので)セロー225の程度のよさそうなものを中古で買おうと思っていました。いや待てよ・・・そいういえばTDRなんて今でも手に入るんだろうか?中古で買えるんだろうか?と思ったら体温急上昇。さっそくネットで検索してみたら、出てくる出てくる・・・あるわあるわTDR。あのころあ乗りたかった黄色のTDR80が隣県の中古屋で売りに出ているッ!!
さっそく電車を乗り継いでショップに行きました。もう古いからあちこちボロボロだし、修理する部品もない。自分で整備できる人ならともかく、私のような素人がこんな旧式を買って大丈夫なのだろうか?ちょっと迷う。でも、これが2ストロークエンジンのオートバイに乗る最後のチャンスかもしれない。何よりもまず、あのTDR80なのだ!!あの頃にほれ込み、あこがれ、そして泣く泣くあきらめたオートバイ、それが今ここにあるのだ!!私は私は迷わず契約書にサインし、そのオーナーとなったのでした。
「2ストは運転したことあります?」お店のメカニックのお兄さんが私にたずねる。学生時代に2ストのディオ(ホンダのスクーター)に乗っていました、と答えたら、2スト・マニュアル車の場合はスロットルの加減と加速感が教習所のCBR400とはだいぶ違うので注意してね、とのこと。排気量が小さいからってあなどってはいけないよ、低速トルクがないからとにかく回して!!ですって。キック3連発でエンジン始動!!ベイン!ペペペペペ・・・。これだよ。この音が2stだよ。イェア。いざ、発進!お店の皆様に別れを告げて、いまここにTDRライダーとなったワタシの初陣であります。パンパン吹かしてウイリー発進、というのは大嘘で、慎重にスタートしました。何しろ、ビギナーなのだよわたしは。ベー・ンペペペペペ・・・
そして最初の角を曲がって、赤信号で停止。まあざっとこんなもんでしょ。信号が青に変わってスタート、アクセルオン、ブォン!!さっそくウイリー(笑)。こえええ!超怖ぇぇえええええええ!!
オーナーになって初めての「帰宅」は、自分にとっては一世一代の大冒険でした。何しろ道を知らない。まったく土地勘がないところからスタートして、周りの車の流れに乗って家に帰らなければならないのです。とりあえず品川区方面を目指す。運転も緊張しまくりでなんとも落ち着かない。そして何よりも、この2ストエンジンの扱いにくさといったら!!頻繁にギアチェンジしながらエンジンの活発な領域をつかうのだけれど、それがなかなか難しい。何度もコンビニで休憩しながら焦りを必死にこらえる。心臓がバクバクしっぱなしであります。世田谷区にもどってきたあたりでようやく気持ちが落ち着いてきた。大丈夫、このまま慎重に行けば環七経由でウチはすぐそこだ。
最初に直面した問題は、駐車場でした。ウチのマンションの駐輪場に置かせてもらうつもりでいたら、大家さんから許可が下りずガビーン。そんなこともあろうかと!事前に調べていた、月極で愛車を預かってくれる隣町のオートバイ屋さんにいそいで電話。駐車場の契約を交わしました。乗るときは事前に電話連絡しなくちゃだし、営業時間内じゃないと出し入れできないし、不便だけれどしょうがない。
いろいろ調べているうちに、タイミングよく家から歩いて10分ほどのところで月極駐車場の空きが出ました。ホッ。これで自分の好きな時間に出し入れできる。私は胸をなでおろしました。
2012年10月初頭。はじめての本格ツーリング。行き先は奥多摩。誘ってくれたのはセロー225を駆るベテランライダーのY姉さん。奥多摩に行きませんか、と先輩ライダーからのありがたい誘いに気分は舞い上がる。奥多摩といえば、私の学生時代の地元であります。就職が決まる直前まで、毎朝自宅と奥多摩湖を自転車で往復するトレーニング(というより現実逃避)をしていました。奥多摩周遊道路はあまり行ったことがなかった。車の免許をとって走りに行ったら魔のカーブでおそろしい思いをして、あそこは恐怖の思い出しかない。車とオートバイの「走り屋」みたいなのが多くて、どちらかというと苦手なのだった。
奥多摩・・・ある意味地元ですが、あれから20年近く経っちゃってるし、そもそも自転車とオートバイでは話が違う。今回の事実上の初・奥多摩イベントに関しては「先輩について行けば良い」ということで絶対的な安心感がある。しかし私のTDRは排気量が80cc。果たしてついて行けるのだろうか。
前日の夜は遠足気分でワクワクしてしまい全然ねむれない。それともう一つ。武蔵小山のウチから立川の待ち合わせ場所までいったい何時間ぐらいで行けるのかがわからない。オートバイで走る距離感・スピード感・時間の感覚がそれほど身についていないので、ただ単に距離だけ見ても見当が付かないのだ。週末だから道も混むんじゃなかろうか。だから早めに起きて早めに家を出よう、と思い、焦り、余計にビビってしまう。
ツーリング当日の天気はまさかの雨(号泣)。私は誰かと出かける約束をすると必ず雨を降らせてしまうんだ。いわゆる雨女。といっても天気予報では朝のうち雨が残るものの昼前には上がるといっている。緊張しつつ走り出した。環七から甲州街道に出て、ひたすら西へ走る。待ち合わせの前にガソリンも満タンにしておかねば、などと焦りつつ先を急いだら待ち合わせ場所に超絶に早く到着してしまいガビーン。いくらなんでも5時半出発は早すぎたか。Y姉さんと合流してしばし雨宿り。予報よりも遅かったものの、雨もあがった!我々の日ごろの行いがどれだけ素晴らしいかという事の証左であろう(断言)。いざ、目指すは奥多摩。
五日市から奥多摩周遊道路を走り都民の森へ。紅葉がはじまっている。オートバイをとめて二人でプチトレッキング。雨にしっとりと濡れた山道(チップがしかれていて歩きやすい)を歩きながら、久しぶりのアウトドアを堪能しました。腰と脚を悪くして、もう山歩きはできないと思っていたから、ほんとうに楽しかった。何も「がんばる登山」にこだわらなくていいじゃないか。私は自由だ・・・そんな気分で何度も深呼吸しました。
駐車場に戻って、仲良く並んでいるセロー225とTDR80がどんなにか可愛く思えたろう。オートバイっていいなぁ、としみじみ感じました。再びまたがってエンジン始動。途中、湧水で寄り道したりしながら、奥多摩湖畔まで気持ちよく駆け抜けました。この奥多摩ツーリングは、TDR80に乗っていた頃の一番素敵な思い出のひとつなのです。
タンク内のサビが原因でエンジンが不調になり、何度もお店で診てもらいました。次から次へと故障箇所が出てくる・・・もう交換部品もない。オートバイに詳しくて整備もできるようなスキルがある人ならともかく、私のように修理はお店任せな人には維持するのが難しい状況でした。いろいろ考えた末、私はオートバイを乗り換えることにしました。
乗り換えを決意してからはTDR80で横浜の思い出をつくりたく思って、横浜に通いました。新しいオートバイの登録が済んで、いよいよTDR80を手放すことが決まり、私は最後のツーリングで三浦半島を一周しました。そして最後はほんとうに、泣く泣く手放しました。そこに新車があって、嬉しい瞬間なのに、TDRと別れるのが苦しい。
その昔、アニメ「ゾイド」でアーバインという青年が長年相棒として連れ添ってきたコマンドウルフ(オオカミ型のメカ生命体)から新しい機体に乗り換えるエピソードがあり、コマンドウルフの「ゾイドコア」をライトニングサイクスに移植してその「魂」がひきつがれる、みたいな所で私は号泣していました。まさにあの心境です。オートバイに「ゾイドコア」は無いけれど、新しいマシンにTDR80のハートが引き継がれる感覚を自分に言い聞かせて、ようやく納得したような感じでした。
いま、TDR80は私の記憶の中で、ティーンエイジの頃に乗っていたような錯覚をおこさせながら、まぶしく存在し続けています。免許をとって最初に買ったオートバイが、あの頃のあこがれの1台だったというのは、ほんとうに喜ばしい事でした。乗っている期間は短かったけれど、その想い出はいつでもキラキラと輝いています。
今回、どうしてもかつての愛車・TDR80を紹介したく思い、ちょっと強引ではありますが「旅の記憶」コーナーに載せることにしました。そしてこのコーナーはスペイン好きの皆様ならピン!ときたでありましょう。私の敬愛する詩人フワン・ラモン・ヒメーネスの作品「プラテーロとわたし」の内容というか雰囲気を真似しているのです。つくづくオリジナリティのない奴だ!と笑ってください。でもそのかわり、本家本元の「プラテーロとわたし」を読んでくださる方が一人でもいてくださったら、わたしは嬉しく思います。とても美しい、素敵な作品なのです。
さいごに。TDR80を設計してくださったヤマハ発動機の皆様、ほんとうに素晴らしいオートバイを創ってくださってありがとうございました。深く感謝いたします。TDRの熱烈なファンがたくさんいたことを、どうか忘れないでください。
ありがとう、そしてさようなら、私のTDR80。
2015年8月8日 追記
TDR80の黄色いカウルの破片でピアスをつくりました。とても固くて加工するのが難しいプラスチックでしたが、なんとか気に入ったカタチに仕上げることができました。いまも耳元でキラキラと揺れています。これからはいつでも愛車と一緒です。
わたしにとってはとても懐かしいエンジンの音。(2016年5月25日アップ。約18分)
※使用カメラ:FUJIFILM FinePix F31fd、iPhone 4 / 使用レコーダー:SANYO ICR-S277RM
(2014年11月28日 記)