かなしみ珈琲 横浜画夢2007



かなしみを友とする、すべての人の為に。



2007年3月28日〜4月1日
(横浜・エリスマン邸)




暗室で飲む珈琲は格別です。

袋小路に迷い込んだようなプリント作業で一息つくとき
渾身の一枚を仕上げたとき
写真家は珈琲を飲むのです。

鼻腔をつきぬける豊かな香りに
仕舞い込んでいたはずの記憶
おさえきれない感情がよみがえる。



白い印画紙をどこまでも黒く染めようと焦る
私の かなしみ。



サファイアの涙も エメラルドのぬくもりも
傷も痛みも 橙色も 指先も 横浜の街も 雨も 心の破片も
かきまぜてしまいたい
珈琲の 黒のなかに。



いつの日か 私も
甘く薫るミルクティーを
主とともに味わう日が来るのだろう



だから、今は

かなしみ珈琲。










I

濡れた街 石川町



夜明けの車輪が駆けて行く

やがては白百合までも攫(さら)うに相違ない

息を殺して旧市街をあるけば

あんぜらすの鐘

だしぬけに耳を劈(つんざ)くトレドの冷酷



唇に 熱き 珈琲



翠硝子(がらす)の切先がエブロ川にこぼれたら

どこまでも深い時間はゴシックの荘厳までもあざ笑う

かつと照りつける太陽にぎらつく十字を

伯爵領まで届けて欲しい



唇に 熱き 珈琲



黒い瞳の娘が短剣を抜けば

セビリヤの空は狂って踊り出す

星の野は果てた幻を抱いて眠る理由もない

そこには聖人の足跡さえ残らない



唇に 熱き 珈琲



ああ、珈琲

手の中の、飲み干すべき深淵

炎のように

怒りのように

真夏のサファイアを抱いて行け










II

教会にて (山手)



あなたが 愛していたもの


John Keatsの詩



ラタキアの香り

港の風景

古いオートバイ



あなたが 教えてくれたもの


Irish Coffeeの味

銀の手触り

わたしの温度

ときめき



手を放さないで と 言ったけれど



山下公園をぼんやり見下ろしながら飲み干す

カップの重さと、軽い憂鬱

静かな春の日曜日










III

祈りの場所 (山手)



AMACUSA,

天草を旅したことがあった。雨にぬれながら、やっとのことで本渡の宿に着いた。

AMACUSA,

翌日は快晴だった。国道266号線。峠を越えて、西を目指した。ペダルは軽かった。

AMACUSA,

なぜか天草に焦がれた。まだ20代だった。春の海と、教会が見たかった。

AMACUSA,

誰にも知られぬまま、死にたい、と思っていた。

AMACUSA,




神など信じていなかった。




AMACUSA,

高台から見下ろすと、崎津はスペインの港町に似ていた。

AMACUSA,

目が眩んだ。まぶし過ぎた。一瞬、海の彼方に南蛮の船を見た気がした。

AMACUSA... AMACUSA...











IV

冬の日 (山手)



長い闘病生活の果てに彼女は亡くなった。

私の作品を認めてくれた、最初の人だった。



彼女の葬儀で、私はエル・グレコの作品「オルガス伯の埋葬」を思い出した。



奇跡を描いた作品である。

14世紀、主の御前にあって心正しきオルガスびと

ゴンサロ・ルイス・デ・トレドの埋葬の場に

聖アウグスチヌスと聖ステファノが現れ、その亡骸を葬ったという。

画家は描いた。粘土色の死者を包み込むような

輝くばかりの、美しいふたりの聖人を。





人は死んだらどうなるのか、私は知った。





いつかまた、みんなで会える

それが わたしの信仰。










V

仲良し (元町)



わたしには銀も金もないのです



そのかわり

わたしがもっているものをあなたにあげます

いちばんの宝物をあなたにあげます



ただでもらったものなのです

だからあなたにも ただであげます










VI

棘 (石川町)



むかし、をとこ ありけり。

そのおとこ、身をえうなきものに思ひなして、

かすていや には あらじ、

あんだるしや の方に 住むべき国 求めにとて ひとり行きけり。



こるどばの めすきた にて ろざりよを唱えしのち、

路地裏の ばる にてよめる。



いえずすの 愛も祈りも 珈琲も

あんだるしやの 灼熱(あつ)き奮興(ふんかう)





(現代語訳)昔、男がいた。その男は自分の身を役に立たないものと思い込んで

もうカスティーリャにはおるまい、

アンダルシアの方に、住むのに適当な国を見つけにいこうと思って一人出かけた。

コルドバのメスキータでロザリオの祈りを捧げた後

路地裏のバルでうたを詠んだ。



主イエスの愛も祈りも、珈琲も

さながら灼熱のアンダルシアのように胸を熱くする





(愛読する古典「伊勢物語」に敬意を表して)









VII

文字のような (関内)



暗室の写真家は欲情する

赤い灯火に イーゼル上の印画紙に

そして光が描く画に



暗室の写真家は沈黙する

その横顔はプラトンの如く哲学的である

やがて印画紙をして雄弁に語らせる



暗室の写真家は傲慢である

光までも意のままに操ろうとする

印画紙の汚れなき真白さえ容赦なく焼き尽くす



暗室の写真家は旅人である

時を止めたネガフィルムは果てしなくのびる街道

光の速さで過去と現在を行き来する



暗室の写真家は色事師である

濡れた印画紙に触れる快感を知っている

闇のなか、光で焦(じ)らす術を知っている





ゆえに 暗室の写真家は夜の貴族である










VIII

あかりをつけましょう (山手)



天の狩人オリオンを一突にせんとする猛牛の瞳アルデバラン

やさしき乙女の光スピーカ、孤高の巡礼者フォーマルハウト



星を見上げよう それはみんなの宝石 神様の贈り物



だからわたしは 宝石などいりませぬ 豪華な暮らしものぞみませぬ

主のもとに帰るときは 何一つ持ってはゆけない

全ては借り物なのだから


お金も 名声も

借り物

この暮らしも

借り物

この身体も

借り物



この世にいる間の、ホンのみじかいおつきあい。










IX

いばらのかむり (山手)



ぶどう酒の樽みたいに太った、寮のおじさんは

いつも不思議な匂いのするパイプをくわえて

右の目だけ細くして、新聞を読んでいた

「苦しいときは 主の御受難を思いなさい」と

彼はいつも言っていた。

これが、舌をかみそうな、カスティーリャ語なのである。

19世紀の人ではないかと錯覚した。



四旬節の御ミサで 彼の直ぐ近くに座った

おじさんの歌声は かすれていたけれど とてもよかった





いばらのかむり おしかぶされ

きびしき鞭に はだは裂かれ

血しおながるる 主のみすがた

いたましきさま たれのためぞ


(カトリック聖歌 #171)










X

斜光線 (山手)



長い石段を上ると海が見える広場がある

読みかけの本を閉じて空を仰げば

南風が春を告げてくる



何かを追い求めても

一生懸命に生き続けても




行き着く先は Finisterre,

(フィニステーレ:地の果て)




やがて道は尽き

ただ風に吹かれるしかない

たどり着くのは 虚しさだけのある場所

そう信じていた




主の御心を知るまでは




やがて道は果てる しかしそれは重要ではない

私には空が在る

この身体には大切な傷がある

南風の季節が来るたびに 私はここから歩き出す










XI

よこぎる (関内)



ひとり とこにふし

おもきまぶた とぢれば

あつきなみだ るるる と ながる

ひとみのおくに よみがへる

ふるさと

つめたき ははのて

ながき かげ

すすきは さゆさゆ と ゆれ

あかくそまる

まぶたのうちがは

ふがひなき いまのわたし

ほつり と こぼる

ちひさきものの うた









XII

彩雲 (元町)



写真に一番大切なものは何か、と問われたなら

「それはライティングである」と私は答える



写真を撮ることを覚えて

この世界は光に満ちているのだと知った。

自分はずっと暗闇にいるのだ と信じていたから

私を包む光があるのは驚きだった。



この私にさえ

光を注ぐ方がおられる





主よ

私は信じます。





神のライティングが、涙さえも美しくする

Yokohama,

主が私に呼びかけた街










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