おおかみ
横浜画夢2006

主と、私と同じ病に苦しむすべての人に捧げます


2006年7月29日〜7月30日
(横浜・エリスマン邸)




若い頃、スペインを旅していた時の思い出です。

ピレネーの山麓にある小さな修道院で、おおかみと一緒に描かれた聖セシリアの絵を見せてもらった事がありました。

聖セシリアといえば音楽家の守護聖人。絵の作者はきっと、愛する人をモデルにこの聖人を描いたに違いありません。聖セシリアの姿は美しいスペイン娘そのもの、誘うようなまなざしの愛らしさは底知れない魅力をたたえていました。しかしそれよりも私を虜にしたのは、オルガンを弾く美しい少女の傍らで、目を細めて心地良さそうに横たわるおおかみが描かれていた事です。それは私たちがイメージするような、恐ろしい獣の姿にはほど遠く、子犬のように愛らしい。

「おおかみと一緒に描かれた聖セシリアの絵なんて聞いた事がありません」私は言いました。
「おおかみは、とてもよい耳をもっているのです」修道院長は言いました。「若い音楽家に恋をしたおおかみの話を、あなたは知っていますか?」

修道院長は私にお茶をすすめ、おおかみの物語をきかせてくれました。

そのおおかみは自分に似ているように思われました。そして旅の思い出として心に深く残りました。いつか散文にしたいと思いながら果たせずにいたのですが、今回、思い切って写真で表現してみようと思ったのです。












1


おおかみは 森の嫌われ者

ひどい目つきだよ 恐ろしい声を出してるよ

醜い奴だよ あいつは不気味な奴だよ



だから おおかみは

いつも ひとりぼっちで いるのです



わたしは 醜いから みんなに嫌われているから

ひとりには 慣れているの












2


おおかみはひとり 泣いている

わたしも きれいな動物に生まれたかったのに

もっと かわいい動物に生まれたかったのに


でも よいの

わたしは 魔法使いに 仕える身だから


あのおばあさまは わたしが役に立つように

するどい爪と 尖った牙と よく聞こえる耳をくださいました












3


夏のはじめ

湖のほとりの別荘に 美しい青年がやってきた

バイオリンを携えて

森の動物たちは 大喜びで お出迎え


でも 嫌われ者の おおかみは

遠く離れたところに身をひそめて

青年の演奏を 聴いている


だって 私が近づいたら みんなが嫌がるでしょう

彼も私を嫌うでしょう

だからこうして 遠くから 聴いていましょう

私の耳は とても良いのだから












4


こらえきれずに おおかみは

魔法使いを訪ねて 泣いてお願いする


魔法使いのおばあさま

私はあの青年に恋をしてしまいました

どうかお願いです あなたの魔法で

私を人間の姿にしてください

一度だけ あの人と過ごせるようにしてください


ああ 私のかわいい おおかみよ

人間に恋をするなんて

だがかわいいお前の願いなら きいてあげる

おまえに与えた その鋭い爪と ひきかえに

一日だけ 美しい人間の姿に 変えてやろう












5


美しい娘の 突然の来訪に 青年はおどろく

なんて美しいひとだろう

森の動物たちも この美しい娘が

あのおおかみとは 知る由もない


二人の若者は楽しく語らい

幸せなときをすごす


生まれて初めて おおかみは

恋の喜びを 知ったのだよ












6


やがて日が沈む 魔法はとける

おおかみは 青年に別れを告げる



「明日も来てくれるね」

「・・・ええ」


その夜 おおかみはふたたび魔法使いを訪ねて言う



おばあさま お願いです

もう一度 私を人間の姿にしてください



魔法使いは すっかり呆れてしまった

一度だけと言う約束で お前の願いを聞いたのだ

決して叶わぬ恋なのだよ

だが そこまで言うなら しかたがない

お前に与えた その牙と ひきかえに

もう一度 お前を人間にしてあげる

お前はこれまで私のために よく働いてくれたから












7


あくる日の朝

ふたたび訪ねてきた 美しい娘を見て

青年は喜び 夢を語る



昨日 きみと出会えたおかげで

ずっと書けずにいた曲を 仕上げる事ができるよ

そして

こんどのコンクールで優勝できたなら

ぼくは宮廷演奏家になれるだろう

ぼくの夢が叶うよ



目を輝かせて語る 青年の傍らで

娘は あふれる喜びをおさえきれない

青年の演奏を聴きながら

夢を見るような心地

ああ このまま 時が止まってくれたなら












8


おばあさま わたしの最後の お願いです

わたしをもう一度だけ 人間の姿にしてください

この よい耳をお返しします



わたしの かわいいおおかみよ

悲しい事をいわないでおくれ

私が与えた宝を すべて失ってもよいのか












9


美しいひとよ 今日も来てくれたのだね

きいておくれ ついに曲が完成したのだよ

この美しい曲を きみに捧げよう

これからぼくは街に帰るけれど

必ずよい知らせをもって戻ってくる



だからそれまで 待っていておくれ

約束のしるしに この指輪をうけとっておくれ



けれども その青年には

娘の 涙の理由が わからない



さようなら

さようなら










10

10


最後の魔法がとけて

娘は おおかみの姿にもどる



魔法使いは言う

愚かなおおかみよ もうお前に用はない

どこへでも行くがよい

爪も牙もなく 耳も聞こえないお前など

私の役には立たないのだからね










11

11


わたしは

もうあのひとに 会えないのです


爪も 牙も無いから 食べることもできないの

もう 元気も出ないの



誰もいない 森の隅っこで

楽しかった思い出をふりかえり 目をとじる



夢のような時間

わたしも 恋をしたのです

後悔なんて しないけれど



わたしにはもう あのひとの演奏は聞こえないの

それが とても悲しいの










12

12


秋の終わり

青年が いくら待っても

あの娘はもう 訪ねては来ない



おおかみの 亡骸は

指輪を抱いていたという



そんな物語を きいてから 私には

おおかみが 気味の悪い獣とは思えないのです



友人の演奏を聴くたびに

素敵な音楽を聴くたびに

すこし離れたところに ちょこんと座って

目をほそめて うっとりとして

耳をすませているおおかみが 居るような気がする










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